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DoaU437日目_Part2_市ヶ谷の空、20年前と今

2010-05-12 11:51:30 | 歩道橋
「3本の棒」を語ったアイソーポスの死から2000年たった日本、
中国地方を治めていた毛利元就。
三本の矢で知られているけれど、彼はそんなことは言っていない。
しかし3人の息子に三子教訓状という文書を書いたことは事実。
3人で毛利家を支えろ、そんな内容。
このことから、後世、三矢の教えとして作られたものだと言われている。

東富久歩道橋を靖国神社方向車線側に降りる。
この辺り15年前に、すでにおでん缶を売っている自販機があった。
しかし、おでん缶が一般化した今はもうない、どうなってんだ?

そのまま400m進むと住吉町交差点。



あけぼのばし通り
台場に移転する前、この道を進んで行くとフジテレビがあった、
それで、ここはフジテレビ通りと言われていた。
「通り」の上に見える巨大なタワーは、フジテレビ跡地に建つ、
仕分け対象のURのマンション。
CXはいなくなったけれど、さほど寂れた感じはしなかった。

そのまま左側を歩いて、坂を上って右に曲がる。
外苑東通りが靖国通りを跨ぐ曙橋へと向かう。



新宿駅方面
左側車線、車が止まっている所が住吉町交差点。
右側にかつてのフジテレビ通り、今のあけぼのばし通り。
左側に入ると、3本目の棒がいる。
名古屋出身のMM社のO社長は、何かにつけて名古屋に来た。
同級生は県会議員とヤクザ、無茶苦茶な組み合わせで飲みに行く。
1軒目は県会議員の馴染みの高級倶楽部、
2軒目も県会議員の馴染みの飲み屋。
そろそろ帰りませんか?ノドまで出てくる、
しかし、ヤクザに言えるか?
しょうがなく、そのままつきあう。
3軒目はヤクザが世話をしているフィリピンパブ。
しかし、だ。
3人とも寝ているのだ、がーがー。
朝6時、オレだって寝てえよ、でも1人、フィリピーナ3人と話す。
O社長には無理も言ったけれど、O社長の無理にもつきあった。
まあ、おあいこだ、そう思おう。



左側、ひときわ巨大な建物が防衛省、その手前に中央大学の市ヶ谷校舎。
右側には10階建てぐらいのビル・マンションが建ち並び、
いつ何時でも強風が吹き捲くるビル風の名所である、ここから先は。

降りる間際に南の新宿通り方面を見上げる。



バブルの塔
バブルの頃に建設が始まり、しかし資金調達が破綻。
建設は中断され、長らく放置され、誰が言ったかバブルの塔。
ただ、電気が付いているフロアがある。
近寄ってみるとタワーレジデンス四谷の文字。
いつの間にか完成していた、どんな人がいるんだろ?

この外苑東通りを南下すれば、四ッ谷三丁目を抜けて、
赤坂御用地の西端を抜けて246を跨いで、六本木交差点飯倉片町を抜け、
飯倉で桜田通りへと接続する。

また坂道を下って靖国通りへ復帰すると・・・。



合羽坂下交差点
何だよ、このカッパ。
合羽坂を下りきった所に設置されているベンチ。
いつできたんだろ?この辺りで働いていた時にあったっけ?

ちょっと行きたい所があるので、新宿方向車線へと渡る。
津の守坂を見上げながら、新宿区坂町に入って100mぐらい進む。



カフェリブ
けっしてウマくはない、カウンターぐらいでくつろげない。
しかし、困った時に昼ごはんを食べていた、そんな店。

そのまま200m進んで右に曲がる。

20年ぐらい前、職場があった所が曲がってすぐの所にある。
その手前。



台湾屋台 新台北
いや、こんな店ではなかった。
窓や外壁は一緒だけれど、こんな下品な黄色と赤の看板はなかった。

Berg und Fruend、和訳すれば山と友達、そんな名前。
LIVとは違ってこちらはまともな洋食を、何時でもごはんを喰わせてくれる、
そんな店だったけれど、いつの間にか閉店。
開いてたら食べたんだけどなあ、チキンピカタを。



坂町から靖国通り方面
オレが働いていた当時は防衛庁陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地。
三島由紀夫が割腹自殺した場所だった。
それが防衛省となり、巨大なビルが建つ。
あんなデカイ建物は見えなかった、だってなかったんだから。

右手のお弁当と抜かれた赤い幟はそもそも肉屋だった。
しかし、こぎれいになって弁当専門に変貌。
焼肉弁当が強烈な匂いで、職場で誰か1人でも食べていれば、
すぐに佐野屋の焼肉弁当だとわかるぐらい。

その向かいには酒屋があった。
やってらんねえな、そう思って自動販売機にビールを買いに行く。
途中から23時以降は買えなくなって、ぎりぎりに買いに行っていた。

その先に、楓庵という蕎麦屋は何も変わらない。
14時過ぎ、カメラマンとビールを飲みながら天麩羅をつついていたら、
総務部長に見つかった。
ほどほどにしとけよ
彼はそう言っただけでお咎めなし。
そんな会社だった。

もうちょっと進む。



四方菓子店
ロッテチョコレートと書かれたファサードは当時からぼろぼろ。
店内を猫がうろついていたから、猫屋と呼んでいた。
シャッターすらさびているから、もう何年も営業はしていないんだろうなあ。
ココで食玩を買って遊んでいた、もちろん会社で。

靖国通りに戻る。



レストラン朱鷺
20年前から変わっていない。
ココは当時としては高めの値段設定だったから、年中行ける店ではなかった。
しかし、ココに年中入り浸っていたのが、当時の取締役。
社長は本社にいたので、事実上のトップはここで毎晩、飲む。
日本酒を置くような店ではないのに、
日本酒を出せ!酔っぱらうと人が変わる彼に強要されて日本酒を置くようになる。
滅茶苦茶だ、ホントに。

ここから200m進むと市谷本村町交差点。
右に曲がって50mぐらい上がると、坂町から移転したあとの職場。
バラバラだった部署が初めて1カ所に集まったビルがある。
ココから北を見る。



防衛省正門
六本木から移転してきたのはもう10年前だけれど、
それ以前は陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地。
こんなにオープンではなく、自衛隊員が警備していた。
もちろん入ることはできない、春の花見と夏のお祭り以外は。

正門を眺めながらてけてけ進む。
市ヶ谷駅はもうすぐ。


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