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DoaU437日目_Part3_靖国神社を上空から眺める

2010-05-12 16:58:06 | 歩道橋
前職にいたころの8月半ば。
早稲田通りを駆け抜ける、街宣車が、
だみ声でわめき散らしながら。
そして近くの朝鮮総連でごんごん吠えて、そこから巨大な神社へと向かう。
その神社は通常の神を祀っている訳ではない、
いわゆる戦没者である、だから街宣車が吠えるのだ。
ただでさえ蒸し暑い東京を、さらにうんざりさせるには十分なほど。

市谷本村町交差点から東へ進む。
市谷八幡町交差点で右から来た外堀通りと合流する。
市谷見附交差点まで100m、靖国通りと外堀通りの重複区間となる。
市谷見附で右に曲がる。



四ッ谷駅方面
外堀の左側を中央線が走り、右側を外堀通りが走る。
3月下旬からココは見事に淡いピンクに染まる、かなり素敵な所。
でも、今日は雨雲でグレーの水面。
おまけに、この辺りから雨脚が強くなる、参ったなあ、ホントに。



市ヶ谷駅方面
靖国通りからちょっとそれる。
一瞬、これが市谷見附跡?と思ったけれど、もちろん違う。



飯田橋方面
テレビ朝日「臨場」で内野聖陽が釣り糸を垂れるのがココ。
正面に法政大学の巨大タワー、明治とどっちがでかいんだろ?
左端に飯田橋に建設中の高層マンション。
昨年7月、元同僚が飛び降りた、もう1年近く経つのか・・・。



市ヶ谷駅
外堀を跨ぐ橋を渡ると右手にJR市ヶ谷駅。
直進すれば、日本テレビがあった場所を抜けて麹町へと。
しかし、靖国通りは左へと向かう。
ここまで新宿区だったけれど、ここから千代田区になる。

すぐすぐ左に外堀公園があるので一服。
するとそこにあった。



市ヶ谷御門橋台の石垣石
市谷見附に使われていたものらしい。
しかし、ほとんどは外堀通りの下に眠っているとのこと。
見附として残っているのは赤坂見附だけというのはホントらしい。

市谷見附から550mぐらい進む。



靖国神社外塀
ここから650mぐらいに渡って靖国神社がだーっと続く。
長いよなあ、ホントに。
ココから350mぐらい進む。



九段坂上交差点
南から走ってきた内堀通りが靖国通りとぶつかる交点である。
ここから450mは靖国通りと内堀通りの重複区間となる。

200m進むとようやく、本日3基目の歩道橋にようやくたどり着く。



田安門前歩道橋
片側3車線となった靖国通りを跨ぐ歩道橋。
階段はこちら側にストレート型が2脚、橋部から90度曲がったこちらへ1脚、
橋部からまっすぐと靖国神社方面へと階段がもう1脚。
向こう側はストレート型の階段だけれど、
その踊り場に折り返すようにもう1本付け加えたような変な階段が1脚。



北の丸公園方面
上ると早々に日本武道館のタマネギがこんにちは。
北の丸公園は環境省の管轄、写真を撮るのも環境省の許可が必要なんてある。
本気か?



新宿駅方面
右側には靖国神社の緑が広がる。
左側100m先を左に曲がった所が千鳥が淵、サクラの名所。



神田方面
右側手前、得体の知れない形をした建物は昭和館。
戦中・戦後の日本の生活を展示しているらしい。
厚生労働省所管だけれど、たぶん、いや確実に天下り先。
その奥に九段会館、けっこう素敵な佇まい。
その奥に千代田区役所がどかんと。

左側ひときわ高い建物は北の丸スクエア、ユニクロの本社がココに入っている。
その横に御茶ノ水の明治大学がそびえ立つ。

右側車線に下りて、200m進む。



名も無い交差点、ココで靖国通りと内堀通りの重複区間は終了。
内堀通りは南下する。
北上する道は、ココから目白通りとなり飯田橋を抜けて
関越の練馬入口まで行ける。
そんな地点なのに、交差点名がないなんてねえ。

首都高をくぐる、日本橋川にかかる俎橋を渡って。
もう神田神保町である。
向かい側にこんな建物。



こんな古びれた建物が神保町にはまだたくさん残っている。
かつて、好きな中華料理屋があったけれど、とっくに閉店。
この建物はどうなるんだろ?
この街の高層化が始まったのは、右上に見える専修大学のビルから。

このまま直進して神保町交差点まで。
新宿大ガード東から神保町まで約5,468m。
歩道橋は3基のみ。
1.4kmぐらいに1基の割合。
少ないけれど、まあこんなもんだ。

この先、浅草橋まで靖国通りは続くけれど、
14時過ぎには帰ってこい、そう携帯が叫ぶのは目に見えている。
もう13時20分過ぎ、昼ごはんを食べておこう。
ココは素敵な神保町、
キッチングラン
キッチンカロリー
いやいや、いやいや


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