続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

山賊しける者仏罰を得し事

2018-08-12 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 長門の国、浮野という所の、隆長司という禅宗の修行僧が、多くの僧が集まって行われる修行のため、岩国の寺へ出かけて行った。
 この僧は極めて肝が太く、大変な力持ちで、武術の腕も人に超えた男であったが、昔から殺生を好み、生き物の命を取る事など何とも思わぬ生まれつきだったので、親も見余して出家させた次第であった。
 それほどの者だったから、夜道を行き、山坂を踏み迷うことがあっても、そんなことなど苦にする様子もなく、思い立った事があれば何時でも踏み出す気質にまかせ、この岩国へ行くにしても、軽い旅姿で、ちょっとそこまで出掛けるかのように出かけた。

 隆長司は、秋の日の七つ(時刻)に下がった頃、岩国への道にある、人影もない坂の入り口に行きかかった。
 あまりに足がくたびれたので、馬を借りて乗っていたが、馬方が、
「この道は、一里半に渡って坂が続き、殊に日が暮れては、用心の悪い所です。もしもの事があっても、私をお恨みなさいませんよう」
などと呟くのを聞いて、少し急いで進んでいたら、案の定、向こうの坂に、大きな男が大小を腰に差して立ちはだかり、道の真中を踏み塞いで、
「こりゃこりゃ。坊主。酒手を置いて行け」
と言う。
 隆長司は、知らん顔して通り過ぎようとしたが、追剥ぎは矢庭に走りかかり、隆長司を馬より引き下ろして酒手を奪おうとするので、いろいろと言い聞かせてみたが男は聞かず、あまつさえ脇差を抜き放して、隆長司を殺そうとした。
 しかし武術に長けた隆長司は、追剥ぎの切っ先をかいくぐり、あべこべに脇差を奪い取って、追剥ぎの真向を立割にと、拝み討ちにしようとしたが、やや手元が狂って、肩先から胸のあたりまで袈裟掛けに斬りつけ、追剥ぎは、あっと叫んで倒れた。
 こんな状況で、追剥ぎの同類が出てきたら面倒だと思った隆長司は、馬の方を振り返って見たが、馬方は馬を連れて、とっくに逃げ帰っていた。仕方なく隆長司は、速足で一里あまりを逃げたが、その頃には、夜も早や四つ過ぎになっていた。
 あまりの疲れに、早くどこかの宿に落ち着きたいと思ったが、坂ばかりの道で、家さえも見当たらない。此処彼処と知らぬ道を分けていると、遥かな谷に火の影が見えたのを幸いに、立ち寄って宿を乞うと、主は留守のようであったが、年老いた祖母(ばば)と、嫁と思われる者の二人が居て、庭に筵を敷いて寝かせてもらった。
 降りかかった災難に滅入りながらも微睡んでいると、程なくして、表に人の声がして、入ってくる者がいた。
 見れば、さっきの男より一回り長い大小を差した者が二人来て、
「御亭主はおられるか」
と問う。女房は、
「いや、うちの人は、明るい内に出かけて、まだ帰ってきません」
と答えた。
 二人の男は、一旦、家を出たが、すぐに戻って来て、
「亭主は、深手を負っていたところを、我々が見つけて、担いで帰ってきた。こんな不覚があってはいけないから、いつもは我々三人で一緒に出掛けていたものを」
と悔しがりながら、亭主を囲炉裏の傍へ下ろした。

 隆長司は、嫌な予感がして筵の下から見上げれば、運ばれてきたのは、疑いもなく我が手にかけた山賊であった。これはどうするべきかと胸は騒いだが、今更どうしようもなく、南無阿弥陀仏、助け給えと縮まり返っていた。
 祖母や女房は枕にひれ伏して泣き叫び、一体どうしたらいいのと悲しむばかり。
 亭主を運んできた盗人仲間は、印籠から薬を取り出し、水を汲みに行こうとして、隆長司を見つけ、
「これはお坊様、ちょうどよかった。ここに泊まり合わせたのも何かのご縁。起きて、一緒に看病してください」
と隆長司を引き立てた。
 隆長司も是非なく、怪我人の亭主に寄って世話を焼いていたが、亭主は隆長司に気が付き、隆長司を睨みつけて何か言おうとしていたが、舌が強張って、言葉にならない。隆長司は気味悪く思いながらも、亭主が喋れないので、ひとまず安堵した。
 そうこうしていると、女房も母も口を揃えて、
「何の気もなく宿をお貸ししましたが、御出家をお泊めしたのが不思議な縁となって、怪我人の看病をお願いすることとなりました。亭主は、助かるかどうかも分からない瀕死の重傷で、しかも山の中ですから、然るべき療治を頼む人も近くにはおりません。お願いですから、今宵は一緒に居てやってください。そして、もし死にましたら、お知らせください」
と頼んできた。
 隆長司は、心ならずも請合って亭主を看病し続け、妻子は次の間の納戸に入って休んだ。
 亭主は、傷は深手ながら急所を外れていたので、次第に容態を持ちなおし、ひたと隆長司を見つめ「おのれ、おのれ」と言う。しかもその声は、夜が更けるに随って段々はっきりしてきたので、隆長司も高々と念仏を唱えて、他の者に亭主の声が聞こえないよう取り繕った。そして、何とかして殺さねばと思い、そのあたりを見回すと、石臼の挽木があったので、これを押っ取り、亭主の咽笛に差し込み、力に任せて押し込めば、挽木は亭主の喉笛を砕いた。
 隆長司が、
「今、ご亭主がお亡くなりになりました」
と大声で呼び起こせば、母も女も起き出て泣き騒いで悲しんだ。
 ところがその後、乗りかかった舟とでも言うべきか、隆長司は野送りの弔いまで頼まれ、それから三十五日まで引き止められて、ようやくその家を辞して帰った。
 この話は、一人の僧が破戒の罪を為したものであるが、同時に、一人の山賊が、長年悪事を働いてきた因果により、僧の手にかかって報いを受けた道理でもある。

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