続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

女の執心人に敵を討たする事

2018-09-16 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 奥州仙台役者町に都筑慶元という者がいて、名作の脇差を持っていたが、それを手に入れるには、次のような次第があった。
 慶元の近くに、伊達の何某とかいう武士の後家がいて、家来衆もなく、ただ独りで住んでいたが、女ながらも心ざま甲斐甲斐しく、侍の心映えを失わず、誰かと再縁するなどという事もなく、三十八九まで貞女を立て、機織りの仕事で渡世していた。
 この女に伝わる、村政とかいう名作の腰の物があって、女が十二三の頃、伊達の家に嫁した時、伊達の父より譲り得たものであるが、その後、子もなく、夫にも先立たれてしまったので、誰に伝えるべき筋もなく、刀を秘したまま暮らしていた。
 慶元は、その頃三十ばかりで、いささか武道の心得があったので、剣術で身を立て、天晴れな仕官をしたいと考えていたが、それにつけても、良い刀を手に入れ、武士の魂にしたいものだと思っていた。
 そんな折りしも、慶元はこの脇差の事を聞き、何とかしてこれを手に入れ、自分の宝にしようと目論んだ。
 幸い自分も独り身であるのをいいことに、この女に気があるようなふりをして、人に仲立ちを頼んで様々と文を通わせ、自らも折節は忍び寄りなどして口説き、または衣服や金銀の類などを遣わして女の心を引こうとしたが、女は一向になびいて来ず、衣類や金銀の贈り物にも手を触れず、慶元に恥をかかせて、万事つれなくするだけであった。
 これには慶元も遂に痺れを切らして、女を思い詰めて優しくしたのに余りの仕打ち、恨みの一つも言ってやろうと、人が静まり返った夜更けに、かの仲立ちを頼んだ人をすかし出し、この家に忍び込んだ。
 そして女が寝ている納戸に入り、何とか女に懇願しようとしたが、女は慶元が突然現れたのに肝を潰し、寝間から逃げ出ようとした。それを引き留めて、何かと口説こうとしたが、全くなびく気色がない。
 慶元も今はこれまでと、
「我も覚悟をして来ている。今宵限りの命と思え」
と言って、懐より九寸五分(短刀)を抜き、女の乳の下を目がけて斬り付け、返す刀で止めを刺して、かの村政を奪って夜のうちに逐電した。

 それから慶元は、しばらく世間を窺っていたが、悪事の様子は誰言うとなく露顕して、ここにいては、貞女を殺した盗賊の罪から逃れられるものではなく、かといって国許へ帰るわけにもいかず、方々を流浪し、元禄十年の夏頃より、しかるべき由縁を頼んで越前の敦賀に下り、今橋という所に住み着いた。そして、腕に覚えがある武芸の指南を職にして、所の若侍を集めては剣術など武道を教え、生活の糧にしていた。
 ところが、これが縁で、さる方に仕官の誘いがあった。
 それには変わった条件が付いていて、それは、三日市という所に、誰も住まなくなって久しい屋敷があり、しかも化物が出るらしく、どんな腕自慢の者も、この屋敷に泊まったら、一夜と置かず殺されてしまうので、今は、いよいよ業が深く、物すさまじい屋敷となっているのだが、もし、この屋敷に住み着くほど武芸に達者な剛の者がいれば、百石で召し抱える朱印(証書)を賜る、という内容である。
 慶元は、ここで生活の安定が得られるかもしれないのと、自らの腕を試してみたいという気持ちもあって、所の侍に仲介を頼み、先ずは試みに一夜泊まってみたいと申し込んだ。そして、門弟四五人に知らせただけで、忍びやかに、かの屋敷へ出かけて行った。
 屋敷は、荒れた軒の板庇、漏れ来る月の光、どこからか聞こえてくる梟の声など、いかにも古ぼけた昔の様子であった。
 慶元は書院の塵を掃き、破れた障子を引立て、燭台に蝋燭を輝かせて、刀を抜いて膝の下に敷き、千手陀羅尼を唱えて、化物が出てくるのを今か今かと四方に目を配り、心を澄まして座っていた。
 夜も早や子の刻ばかりかと思う頃、天井から白く細い手がいくらともなく出てきて、もやもやと漂い始め、そのうちに慶元の鼻を摘まもうとしたところを、刀を引き抜いて切り払うと、あっという声がして手は消えてしまった。するとそこへ、奥の間より静かに歩み来る音がして、襖を押し開けた者を見れば、十二三ぐらいの、玉のように美しい禿(かむろ)が、慶元を一目見て、
「よいお客ですな」
と言って立ち帰って行くと、俄かにその後ろ姿が髑髏となって、庭の方へ飛び散った。
 すると広庭から人の声がして、「慶元、慶元」と呼ぶので、「何者か」と問えば、縁の障子を開けて入ってくる者がある。見ると、さし渡し七八尺もあろうかという、白髪を惣髪に結った男が、苦し気な息をつきながら、口から火を吹いて来た。
 その男は、
「我は此の屋敷の主なり。仔細あって、人に陥れられて主人の恨みを受けてしまい、しばらく閉門させられていたのだが、あまつさえ、その者が謀ってこの館へ賊を遣わし、我は闇討ちにあってしまった。しかもその者は、我の首を雪隠の底に埋め隠し、表向きは自害したかのように装われ、その恨みは骨髄に浸みておるが、その敵は今なお何事もなく暮らしておる。仇を討ちたいところであるが、敵は常に千手陀羅尼を誦して毎日怠らないので、我が自ら行って仇をなす事もできない。その方の武勇が世に並びないのを見込んで、今、我の無念を晴らす意趣を語った。その方が我のために仇を討ってくれたなら、この屋敷を永くその方に与え、我もまた屋敷の守神となろう」
と語った。
 これを聞いて慶元は、快く請け合うことにし、
「さて、その敵はどのようにして討てばよいのか。名は何と言う」
と問い、化物は
「その敵というのは、今、その方が兵法の弟子にしている設楽専左衛門である。奴が我を討った時の脇差は、今も身に離さず我の方に取り持っておる。ぜひとも、この脇差で討って欲しい。明晩、必ず持って来よう」
と、懇ろに約束して帰った。
 程なく夜も明けて、「これほど確かな事を見届けた上は」と慶元は、名主や代官にも断って、また一夜泊まることにした。
 次の夜、化物は、今度は供の侍を連れて現れ、慶元に向かって一礼し、供の侍に持たせた刀箱から、錦の袋に入れた二尺ばかりの刀と、封をした文とを慶元に渡し、
「この刀を以って、かの敵を首尾よく討ってもらいたい。その後、この文を開いて、名主へも披露していただきたい。我の意趣はことごとくこの書中に記し置いた。決して、敵を討つまでは、文の封を解かないでもらいたい」
と言い、渡したかと思うや否や、掻き消すように姿を隠した。
 慶元が、
「それにしても、敵がどこにいるのか言わなかったのは粗忽だな。どう敵を探して、本望を遂げさせようと言うのか」
などと思ううちに夜も明けたので、先ずはこの事を報告しようと、名主方へ急いだ。

 そして名主へ、化物から渡された刀に、何心なく例の村政も添えて差し出すと、慶元の様子を見た周囲の者たちが、ばたばたと騒ぎ立てて門戸の口を固め、取手の者が二三人出てきて、慶元を搦め捕えた。
 これはどうしたことかと、慶元が訳を聞けば、
「今宵、代官の刀が何者かによって盗まれてしまい、上を下へ返して探しても見つからなかったのだが、今、お主が差し出した刀は、主人の腰の物に紛れない」
と言う。
 厳しい取り調べが行われ、慶元はさまざまに言い訳をしたが聞き入れられず、刀は慶元が盗んだものと断定され、その罪によって、慶元は首を斬られてしまった。
 その懐から、かの封をした文が見つかり、開いて見ると、仙台の役者町にいた伊達の何某の後家が、村政の脇差のために謀らて殺された恨みを晴らすため、怨霊となって、今、例の屋敷に入り来て、慶元を謀り殺した経緯が、こまごまと書かれてあった。
 女ながらも、恐ろしい念を通したものだと、人々は皆、慄きあった。

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