続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻6の5 斉の閔王の后、頸に宿瘤ある事

2017-05-31 | 理屈物語:苗村丈伯
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 唐土、斉の閔王の后は、頸に大きな宿瘤があったので、その名を宿瘤(しゅくりゅう)といい、もとは卑しい民の娘であった。

 その昔、閔王が東郭に遊んだ時、その地方の民百姓は、閔王の御出ましということで、皆、出て見ていたが、宿瘤は蚕の世話をするため桑の葉を採っていて、王を見に行こうとはしなかった。閔王が不審に思って、
「朕が地方へ遊びに出れば、民百姓はみな朕を見に来る。それなのに、そなた一人、一度も朕を見に来ようとしないのは何故だ」
と尋ねれば、宿瘤は答えて、
「私は父母の教えを受けて桑を採っています。いまだかつて、王が遊びにいらっしゃっているのを見に行け、という教えを受けたことはありません。ですから私は、王を見に行かなかったのです」
と言う。閔王は大いに驚き、
「お前は胆(きも)のある女だ。しかし惜しいことには、瘤があって醜い娘だ」
と言えば、宿瘤が言うには、
「私の仕事は、父母の教えを受けて、ひたすら桑を採ることです。容姿の美醜などを気にかけ、宿瘤があることを憂える必要はありません」
と言ったので、閔王はいよいよ驚き喜び、
「これは賢女である。后にしよう」
と言って、車に乗せて連れ帰ろうとすれば、宿瘤は、
「父母にも告げずに家を出て、男性のところへ行くような女を奔女と言います。私には父母があるのに、事情を知らせもせずに王の后となったなら、私は奔女になってしまいます。王は、そんな奔女を后にしたいのですか」
と言ったので、閔王は大いに恥じて、彼女を帰した。
 その後閔王は、黄金百枚を贈って、かの宿瘤を娶ることとなった。宿瘤の父母は大いに驚き、
「ちゃんと衣服を着替え、沐浴して行きなさい」
と言ったが、宿瘤が言うには、
「私は初め、この格好で王にまみえました。それを今、衣服を替えて行ったなら、王は分からないではないですか」
と言って、ついに、初めに桑を取っていた時のままで行き、閔王にまみえた。
 その後は宮中も、この宿瘤の働きでよく治まり、その噂は隣国まで及んだ。


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