ピジョンズ・パーク読者の皆さん、おはようございます。
最近、各媒体の話題となっているのは、
アメリカの株安を受けた世界的な不況の影響や衆院解散の時期予想、
あるいは放火や殺人など、文字にするのも嫌な雰囲気の、
物騒で面白くないニュースばかり。
加えて、角界では、大相撲の八百長疑惑をはじめ、
さまざまな問題が取りざたされ、
日本の伝統文化の一角が揺らいでいるのを感じます。
とはいえ、そんな暗い世相の中にも、一点の光明を発見するのが、
ポッポニュースの本懐。
というわけで、本日ご紹介するのは、
一大興業であった大相撲の歴史の一端を、
楽しく学べる企画展のご案内です。
その前に『八百長』という言葉の由来のこと。
ご存じの方も多いかと思いますが、明治の頃(?)に、
角界でのある出来事に起因して生まれた言葉だそうですね。
昔、相撲の部屋(力士が所属する各団体)を相手に、
商いしていた八百屋さんがあり、たびたび部屋を訪ねては、
年寄(相撲部屋を運営する親方)と碁を打っていたのだそうです。
その際、八百屋さんの方が腕前がかなり上だったようで、
勝ち負けをうまく調整して親方のご機嫌ととっていたのだとか。
そしてその八百屋さんの名前が長兵衛さんといい、
そこから勝負に手心を加えることを
『八百長(やおちょう)』と呼ぶようになったのだそうです。
閑話休題。
さっそく企画展のご紹介です。徳島県つるぎ町貞光の織本屋
(重層うだつをあげた元商家を再建した町営施設)で、
幕末に活躍した、つるぎ町(旧半田町)日開野出身の江戸力士
『雲早山鉄之助(くもさやま・てつのすけ)』をメーンテーマにした
『第3回織本屋企画展 雲早山鉄之助と相撲錦絵展』が開催されています。
会場で配布されている企画展資料によると、
雲早山鉄之助は江戸相撲入幕当時(1848年・弘化5年正月)、
身長176cm、体重112.5kgという体格で、
現在の力士から想像すると小柄なように感じますが、
当時はどうだったのでしょう。
また幕内在位14場所、最高位は前頭2枚目、勝率6割だったということで、
『待ったなしの雲早山』と呼ばれ、
当時は、名の通った力士の一人だったに違いありません。
このようにさまざまな想像が楽しめるのが、この企画展の勘所。
同企画展では、雲早山の風貌あるいは場所での活躍ぶりを伝える
錦絵(カラーのリトグラフ)や番付表などの資料、
雲早山のお墓の写真など数多く展示されています。
阿波出身の名力士の足跡をかいま見ることで、
大相撲の歴史に触れてみてください。
きっとテレビで見る、あるいはラジオで聞く、
今の大相撲がいっそう面白くなるはずです。
『第3回織本屋企画展 雲早山鉄之助と相撲錦絵展』
展示/相撲錦絵・相撲番付・関係文献・関係写真など約40点
場所/徳島県美馬郡つるぎ町貞光字町83-2 織本屋2f展示室
期間/開催中~11月11日(火)
時間/9時~17時
料金/無料
問い合わせ/0883-62-2009
▲会場では、雲早山鉄之助の詳しい解説資料が無料配布されている
This program is presented by
PIGEONS-PARK.