ピッコロ便り

ピッコロシアター、県立ピッコロ劇団、ピッコロ演劇学校・ピッコロ舞台技術学校など、劇場のトピックをご紹介します。

ピッコロ Side Story(6) ピッコロ劇団と近松門左衛門

2012年07月27日 | piccolo side story

“東洋のシェイクスピア“とも称される近松門左衛門。ピッコロ劇団の本拠地・尼崎は、近松ゆかりの地でもある。

市内の広済寺にお墓があり、隣接する近松記念館には愛用の文机も残されている。

近松公園内にある近松門左衛門像

今年6月、ピッコロ劇団は近松門左衛門の「博多小女郎波枕」を上演した。もともと人形浄瑠璃として書かれたが、現在では一部が歌舞伎で上演されるのみで、現代劇としての上演は珍しい。心中物で知られる近松が、悲恋の恋人を心中させない異色の作品を、演出家・鐘下辰男さんの大胆な脚色と演出で、現代に甦らせた。

「博多小女郎波枕」舞台より

ピッコロ劇団では、これまでも近松作品やゆかりの作品を数々上演してきた。名作を現代に置き換えた「心中天網島」(1996年)、近松の青春時代を描いた「門 若き日の近松」(2009年)、近松戯曲賞(尼崎市主催)受賞作品「螢の光」(2011年)など。

「心中天網島」で主役の遊女・小春を演じた平井久美子は、「台本に『この売女!』というセリフがあって、県立劇団として相応しくないのでは?という議論もあったのですよ」と、当時のエピソードを明かしてくれた。平井は今回の「博多―」でも、主役の遊女・小女郎を演じた。愛に殉じて心中してゆく小春とは対照的な、生きることに貪欲な女性をくっきりと造形した。

「博多小女郎波枕」(左から)岡田力・平井久美子

そんな平井を客席から感慨深く観ていた人がいる。神戸新聞社社会部の長沼隆之さんだ。1994年のピッコロ劇団設立と時を同じくして文化部の演劇担当となり、誕生したばかりのピッコロ劇団をよく取材して下さった。現在も、劇団公演を観続けてくれている。当時、長沼さんの書いたピッコロ劇団の「心中天網島」の劇評が残っている。

≪(中略)劇団員は軒並みスマートに演じていた。それだけに、平均年齢の若い劇団員には酷だが、個性の乏しさがあらためて浮き彫りに。心中物に潜む情念や色香、退廃、美意識が伝わりにくく、目いっぱい背伸びした演技ぶりだけが印象に残った。(中略)≫と、なかなか手厳しい。

長沼さんは当時を振り返り、「全国初の県立劇団に愛着がありましたし、良くなって欲しいという気持ちから、あえて厳しいことも書きました。」と、劇団への思い入れを話してくれた。
そんな長沼さんに、今回の「博多―」はどのように映ったのだろう。感想を聞いてみた。

「圧倒されて、終演後、言葉が出ませんでした。とにかく目の前の舞台に引き込まれました。平井さんや孫さん(孫高宏)創立メンバーの貫禄も感じましたし、俳優の層も厚くなりましたね。」と、興奮した様子で語ってくれ、後日、「生の演劇に改めて感動しました」とメールが届いた。

「博多小女郎波枕」(右端:孫高宏)

20代の俳優中心に20名でスタートしたピッコロ劇団も、現在、20代から50代まで34名が活動する。創立から18年、様々な作品や演出家との出会いが、俳優として、劇団としての幅や奥行きとなり、また、重ねた人生経験が、より豊かな表現へと成長してきたのかもしれない。

今回のような新たな近松作品に取り組むことも県立劇団の役割のひとつだが、地元の皆さんとの連携は必須だ。「近松応援団」「近松かたりべ会」、園田女子大学の「近松研究所」など、地元の愛好家や研究者の応援や協力はいつも心強い。
劇団の成長を見守り、叱咤激励してくれるピッコロサポートクラブや地域の皆さん、また、長沼さんのような存在も大きな支えだ。

アンケートに「生と死のリアリティーが強烈な衝撃として迫ってきた。感動」(40代・男性)という感想をいただいた。
隠れた名作を掘り起こし、人間ドラマの醍醐味を伝え、近松の世界をさらに深めることに繋がっていたなら嬉しい。

文楽夏休み特別公演チラシ

国立文楽劇場(大阪市)では、今月7月21日から、近松作品の中でも最も高い人気を誇る「曽根崎心中」の上演が始まった。人間国宝・吉田蓑助さんが10年ぶりに遊女・お初を遣うのが話題だ。

人形と人間。それぞれの近松ワールドを見比べてみてはいかがでしょうか?

(業務部 古川知可子)


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