『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』我が悔恨と失敗の人生(2)**<2004.3. Vol.28>

2006年01月10日 | 藤井新造

我が悔恨と失敗の人生(2)

芦屋市 藤井新造

Kより自死宣言の電話が入る

 それはさておき、昨年の2月にKより会いたいとの電話があり、私はシネ・ヌーボでの映画を観てのあと西九条の喫茶店でおち合った。Kはしきりに睡眠不足と不眠症を訴えた。睡眠薬(セルシン、ハルシオン)が効かず、その上に舌痛、手足のしびれ、頭痛と外見上見えない症状であった。この時私は素人判断でたいしたこともないだろう、主治医とよく相談するように言って別れた。

 そのあと春の選抜野球が始まっても一向にKより誘いがなく、私より電話を入れ準決勝の試合(四国の2チームが出場)を見る約束をした。しかし、前日の試合が延長戦で再試含となり、準決勝は翌日に延びた。彼とのその際の連絡不十分で私一人のみの甲子園での観戦となった。それから夏にもKからの誘いがなく、私も体調を崩しこちらから電話する気持ちが起こらず甲子園球場へ二人で行くことが出来ずに終わった。

 9月に入り、私は月一回の「歩こう会」の恒例のハイキングに行った日に帰宅すると彼より電話が入ったと言う。すぐ電話を入れると、症状は春より進行し、睡眠不足に加え、食欲もなく全身にしびれ感(特に手足を中心に)があり、外出する気持も湧かず、いきているのが情けない、死にたい心境だと言う。私はそのうち暇をみて会いに行くからと約束し電話を切った

 それから十日後に、私が外出中にKの家族より電話が入ったと言うので又すぐ電話を入れる。Kは「頭痛、眼痛、腕、手足の疼痛」「肛間がはれている」「顔がむくんでいる」そして睡眠不足と食欲ない症状の訴えと続いて、入院して点滴投与の効果がないと医療不信まで言及する。病名を聞くと医師は「膠原病」との診断をくだしている。最後にKは、これ以上生きていても家族に迷惑をかけるので自死すると告げる。電話での話で20分以上にもなり、これ以上は直接Kに会い話を聞かねばと思い受話器をおいた。そして2月後に上述したようにKは家出をして自死した。

 私の田舎では、自殺を公言する人間で実行した者はいないとの格言に近い言い伝えがあった。私はまさかKが「宣言」した「自死」を決行するとは夢にも想像しなかった。私がKと会い、彼の主訴を聞き相談相手となり、慰めと激励の言葉をかけても彼は自死していたかもしれない。しかしKと会わなかったことに対し私の心臓のなかに重い鉛の塊が残り後悔の極みである。

 私はギリシャの哲学者セネカの「生涯かけて学ぶべきことは死ぬことである」を身近かな言葉として肝に銘じている。又「君の人生の日数を差し引き決算し、よく調べてみるがよい。そうすれば君にはもうほんの僅かな使い残ししかないことが分かるだろう」の言葉も自分に言い聞かし、またそう思う年齢に十分に達していることを痛感している。明るい話題をこうと思ったのだが意に反してしまった。であるが私は今年こそ有効な時間の使い方をしようと心底決意した。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『みちしるべ』インドヘ仏跡... | トップ | 『みちしるべ』**北から南... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿