黒住格先生の道路問題への取組姿勢
世話人 藤井隆幸
世間では先達を「先生」と、敬意を込めて呼ぶ。議員等もそう呼ぶが、汚職横行の中、値打ちがない。男女雇用均等法を意識して、看護婦(看護士)・保母(保育士)は、改名して看護師・保育師と呼ぶ事になった。師匠でもないのに。詐欺師も「先生」だから、ことさら異議を唱えるほどの事でもないのかも。
人は個性や得意分野に差はあるが、所詮ドングリのせいくらべ。その人の特技や長所は誉めても、その人自身を誉める事は差し控えている。従って、「先生」を付けて呼ぶ事は、形式的な儀礼のみ。ところが黒住先生は例外であった。死んだ人は神様にでも仏様にでも、祭り上げたらよい。だが生前から神格化されると、ろくな者にならないのは、歴史が教えるところ。黒住先生はそうならないと、確信をさせるほど謙虚であった。医師でもあったが、よき人生の先達であった。
ネパールは高地で、それ程の高地も無く低地で暮す日本人には、その大自然には驚嘆する。山岳写真やネイチャー・フォトを志す者は、一度は被写体にしたい地だ。しかし、ネパールで眼科医療援助活動を行っている先生は、「とんでもないところです。汚いところです。」と言ってのける。そこに住む人たちの生活や気持ちを無視できない、先生の優しさが感じられる。作家、黒住格がネパールの大自然に心打たれる表現をするのは、住民の生活に遠慮した範囲でしかない。
山手幹線の架橋・拡幅反対の運動に巻き込まれた(先生なら多分こう表現したのではないか)際、みんなの生活や気持ちを大切にされたのだと思う。強力な指導力を発揮して奮闘してこられた、染原町会長(当時)が急逝された。その後を黒住先生が引き受けざるを得なくなった。が、忙しい事など自分の都合は言われなかった。「私のようなものでよいのでしょうか。」みんなの気持ちの重みを感じ、逃げる事ができない人だ。
阪神間道路問題ネットワークの月例会にも、忙しい合間を見計らって、よく参加して頂いた。忙しい人ほど、時間をつくるのが上手だと言われる。先生はそんな人だ。
あれよりこれが大事とは言わない。そんな忙しさが、過労死の代表的疾病であるクモ膜下出血で、早すぎた人生の最期を迎えられた原因になったのは、残念である。
冬の武庫川河川敷で、徹夜の座り込みをした日。一応の決着後の河川敷での花見の例会。常に美味しいお酒を下げてこられた先生の想い出は、忘れられない。