『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(61)**<2010.11. Vol.66>

2010年11月08日 | 横断車道

今回は結論を先に書こう。「若い人を見たら、声をかけよう。」だ。国政選挙でも、都市部では40%程度の投票率しかない。地方選挙ともなると30%ほど。当選した人は喜んでいるが、実は少数派の支持しかなかったということだ。圧倒的多数派は、選挙に行かない人たちだ。日頃、声をかけた2~30代の若者の殆どが、選挙に行ったことがないというのだ。「投票しても変らない」▼その若者たちだが、社会に対する不満を聞くと、「満足している」との答えだ。身の上話になると、とんでもない悲惨な状況が珍しくない。しかし、「自分が悪いから」だそうだ。自己責任論が体の隅々にしみ込んでいる▼「今の若いもんは…」というのは、歳を取った証拠か。昔から言われてきたことのようだ。世代間格差は、何時の時代もあった。が、時代の進行と共に、その差が急速に開いているように思う。団塊の世代にとって、若者に声をかけるのは恐ろしいことになっている。切れてトラブルになると困ると思う▼近年になって、時間が許す限り、若い人に声をかけている。スーパーのレジのアルバイト、電車の駅でのグループ、スケボー練習中の子。特に男の子のグループは、いかめしくしている事が多いが、話してみると意外に素直だ。結構、目上を尊敬してくれる▼構造改革(国)や行財政改革(地方)で、徹底して貧乏人を締め上げた。そして金持ち優遇。格差社会は極限かと思いきや、まだまだ強化する政策が執られている。計画的に特定企業のみを優遇する、社会主義日本の企業は世界最大の国際競争力をつけ、円高が留まるところを知らない。内部留保という非課税の純利益は、国内総生産の半分もある。一方で、過労死や自殺が止まるところを知らず、増え続けている▼このような社会にあって、家庭環境が劣悪になっている。世帯を支える者の所得減退、失業。経済的混乱による離婚も後を絶たない。そのような社会にあって、最大の犠牲者は子供たちだ。若者は良かったと思う時代を一切経験していない。社会が信じられなくなったからといって、若者を責める気にはなれない。孤立無援の中で、自分がシッカリしなければ…。そう思っている。そして「自分が悪い」なのだ▼若者に限らず、団塊の世代も社会性を失ってはいないだろうか。地域社会などで、協力し合うことがなくなってきている。労働組合だってそうだ。個人主義的になっている象徴は、我が子や孫だけを、特段に可愛がる。社会の子供は総て可愛くて、大切にしなければならない。そんなところを、若者は見逃すことはない。しっかりと見られているのだ。青年層に社会性の欠如があったからといって、攻められるのか▼そこで結論である。選挙にも行かない多数派が、社会性に目覚めたとき、世の中に変化が生まれる。活力が生まれる。閉塞感一杯の社会に、光りを見出す一点は、そこにある。若者に声をかけよう。(コラムX)

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