『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』熊野より(3)**<2003.1. Vol.21>

2006年01月08日 | 熊野より

三橋雅子

く水のカルチャーショック>

 最初まだ水源の確保が充分でなかった時、隣でもらい水をした。いつでも、ここから勝手に…と、外の蛇口は勢いよく水を噴出している。谷水のおいしさに感動したりして、ありがとうと蛇口を閉めようとしたら、閉めんといて、蛇口はそのまま、に???。閉めると圧がかかり過ぎてダメという。水事情はどこも同じ。

 蛇口を閉めない暮らしに慣れるのはなかなか…。つい閉めてしまって、オーバーフローさせているホースがガボガボとアップアップしているのに驚いて、慌ててひねりなおす始末。それどころか、長年染み付いた節水の習慣は一朝一夕には改まらない。洗い物の水はボールで受けて次次使い回しのあげく、まだ雑巾か泥の野菜を洗うかも、などとつい捨てきれずに…。かつては何よりトイレに、多大のエネルギーが投入された飲料水をみすみす大量に流すのが痛ましくて、洗濯のすすぎ水を、腕っ節の鍛錬と称してよく運んだものだった。一人の楽しみにしていたのが、いつの間にか子ども達が面白がってタンクに入れるレンガの個数をどこまで増やせるか(流す水量をどこまで減らせるか)、バケツで流すには瞬発力と角度が問題、と水量の少なさを競ったり(これは流す固形物の形状と質量によるところが大きいと分かってすぐゲームはパーになったが)これも懐かしい子育て期の賑わいだった。

 自然の恵みが如何に豊富であっても、時には自然のいたずらで供給がままなぬことも起きる。オーバーフローが止まっている、となるとようやく蛇口を止め、でっかいタンクはそう簡単には払底しないが、それでも気付かずに出しっぱなしにしていればひとたまりもない。昔取った杵柄の節水技で最小限の家事を済ませ、いざ水源調査へ出動となる。長靴に軍手、七つ道具に飲み物とおやつも忍ばせてちょっとした山登り。途中、あっ茗荷だ、こっちははじかみ、と見つけたものは、帰りは別の道かも知れぬから怠りなく掘り起こしては背中に放り込む。芳香が漂ってきて、頭上に柚子がたわわに垂れ下がってくることもある。1キロも行かぬうちに水管の継ぎ手がはずれていたり、穴があいて噴水が生じているのが見つかつたり(大雨の後に多い)、中継の貯水槽にほんの一ひらの落ち葉が網をふさいでいることもある。大抵は3キロほど迄に解決するが、時には猪の仕業と思しき痕跡の傍らで、水管が遥か谷に放り出されていることもあった。猟犬にでも追われたものか、ミミズを取るのに夢中だったのか…。とも角原因は単純で、よく目に見えて明快である。処置を終え、これで水流再起動の筈、と野草茶の一服でほっと。

 今連れ合いの工事計画には、オーバーフローの垂れ流し水をトイレに引き込んで、常時流しっばなしの万年水洗にしようというのがある(川に辿り着くまで充分、土壌浄化する距離がある)。これは工事の段取りは簡単だし、自動水洗は魅力的だが…。しかし固形物は我家の農作物にとって大事な肥料、みすみす水に流すわけには行かない。(畑にはコンポストが3基、既に完熟した有機肥料に出来上がったのと、枯草とよく混じり合って熟成を待っているのと、刻刻真新しいのが放り込まれるのとが、大きな顔で、でんと座っている)水分の方はあまり入れたくないから天然水洗で流したいが、分別排泄はまあいいとしても水分用のみの、それもほとんど私一人のための水洗トイレを作るのも労力不足の折柄もったいない。

 ある大雨の朝、ちょっとの地震くらいでは目覚めたことのない睡眠達人がすさまじい轟音で熟睡を破られた。川音とはせせらぎの音くらいしか知らなかったから、音の正体が眼下の、いつもより激しく蛇のようにくねっている川水のとどろきだと分かるのに暫しかかった。さらに、流しっ放しの水を受けるバケツに、自動すすぎの雑巾をつけておいたのが、丸ごとどこにもない。こんなところにも迷い込んだ、どじな泥棒が盗る物に事欠いてバケツを持って行ったのか…?これは数日後、下の畑から、おーいあったぞー、大事な探し物が…の声がして解決。車道を隔て道中いろいろかいくぐって来たであろうバケツも健在、見覚えのある柄の、いとおしい雑巾の員数も揃って、先ずはめでたし。暫し幼い日の童話「鉛の兵隊」が辿る水路の旅に想いを馳せていた。

 思えば日照り続きにも切れない水量、加えて、作業場、住居、道路、畑といずれも急な段差、息子たちに、バリアフリーの家なんかにしたらボケちゃうぞ、と親孝行か不孝か分からない脅しをされたからではないが、これまたよくも、というほどバリアだらけの環境、これは水力発電にもってこいでは?当初、先ずは太陽光による自家発電所の設置を楽しみにしていたのが、杉檜だらけの山奥とあっては、日照時間が短い上に雨も多い。これは無理、と諦めボックスにポイしていたのだ。早速、わがアラジンの魔法のランプ、インターネットを呼び出す。忠実なるしもべの迅速なこと、かしこまりました、ご主人様、と捧げ持ってきたるは、太陽光、風力発電の情報量には敵わないが、あるはあるは、これで水力発電の仕組みは分かった。鍵となる水量と落差は合格の筈。後は実践あるのみだが…。立ちはだかるのは未開拓の畑、決して広いわけではないが、草が生い茂る間は蝮を用心して、まだ境界線がどこやら、辺境を確認していないのである。作物の自給には、豆類各種、麦に蕎麦…とまだまだ畑は足りない。水力発電装置の着手はいつのことやら。夢の実現への道は遠い。

 雨去りて川音さらに高まりぬ

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