『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**常に生きがいを求めて**<2006.7. Vol.42>

2006年07月01日 | 芦屋道路問題ネットワーク

常に生きがいを求めて

芦屋市 三木悦子

 阪神淡路大震災のあとすぐ芦屋道路問題ネットワークそして、地域環境を守る会の一員また翠ヶ丘町の住民として山手幹線事業計画反対の活動をしてきました。

 芦屋市長に対しては、震災直後発表された都市計画道路建設に反対の意見書、要望書、請願、その他様々の行動を展開し、日夜忙しい日々を遇ごし、周辺からは過激だと批判を受けても止めることなく前進していました。

 こんなエネルギーはどこから出たのかなー?自分自身不思議な位でした。思い起こせば40数年前、芦屋市は内海清市長の時代です。何の前触れもなく市から突然翠ケ丘町各戸にはがきが届き驚きました。稲荷山線道路建設事業の説明会を翠ヶ丘集会所で開催の通達です。翠ヶ丘町民は怒りに震え、当夜集会所は満席、廊下にはみだし入れろ入れないで大混乱、説明会が始まっても怒号と野次で話の内容は伝わりません、仕方なく流会となりました。

 当時翠ヶ丘は名の通りみどりいっぱいの町でした。鴬や百舌鳥の鳴き声を聞き、若葉の香りで森林浴に浸り、美しい紅葉、自然が季節を教えてくれる環境に住まいする人々同じ想いで一堂に会したのでしょう。その当時の追力は忘れることは出来ません。その直後から10数名が住民運動の会を発足させました。市当局も手こずっていたのでしょうか進捗状況は伝わってきません、住民側の結束も希薄になり数名が他地区同志の連絡会に出席し学習程度の参加活動に終始していました。平和な日々が続くうち、何か刺激を求めていたのでしょう、消費者運動に力を傾け食べ物の安全性を求め、日本各地駆け巡り生産者と交流し、農業疲弊を憂い日本の食料自給率の低さを出来るだけ多くの人々に知ってもらう運動を続け、わが家の食料すべて安全な材料で手作りに満足、家族一同健康で幸せでした。

 平成7年1月17日思いがけない大震災に芦屋市も大被害を受けました。幸い自宅は倒壊を免れ、当時自治会の副会長の役目で大忙し、全国から援助物資を頂き感謝、感謝の毎日でした。特に交流のあった各地生産者は道なき道を駆け巡り軽トラックに氷上の美味しい水を大きなタンタに入れ温かいご飯を重箱に入れて届けて下さった方。遠方から車中で寝泊りしながら援助物資届けて下さった生産者の方々、10年経っても有難い感謝の気持ちは変わりません。

 震災で家屋倒壊、死者多数、怪我人続出、集団避難生活、情緒不安定の最中、行政は家屋の倒壊をばねに50年前に計画し眠っていた道路を絶好のチャンスとばかりに再浮上させてきました。市民の怒りは最高潮に達し、市庁舎に押しかけ委員会の傍聴を要求しましたが拒否され閉ざされたドアを壊し暴挙にかわりマスコミの全国版になった程です。私も一員として参加していました。その後組織をつぐり活動開始し現在に至って、山手幹線道路は全線買収完了、工事も着々と進み、反対運動ではなく、条件闘争の形に変化しています。沿道の方々が行政との話し合いに努方しておられます。

 翠ヶ丘町の唯一緑深い公園、子供たちも大勢遊びにきます、ある日、二人の男性が立ち木を指しながら話しているのを見て一緒に遊んでいた小学4年生の男の子が「あの人、道造る人?」と私に聞き「僕言ってくる」と言ったのです。二人の男性に「僕たちこの公園なくなったら困るんです壊さないで下さい」と言ったのです。二人の行政マンはどんな気持ちで開いていたのでしょうか?唯笑っているだけで、何も答えませんでした。答えられなかったのでしょう。正しい判断力、積極的な意見発表、あの子が大人になるのが楽しみです。名前を聞くのを忘れましたが。

 楠や銀杏の木は百年以上経った大木です、夏は日陰をつくり冬ぼ防風林の役目をして静かなたたずまいの憩いの場所でした。現在は樹木は全部取り払われ赤土の荒野です。私はこの公園で週2回ペタンクの練習をしていました。この公園がなくなり仕方なく朝日ヶ丘北公園、西浜公園等、北谷南に単車で走っています。ペタンク初めて16年兵庫県代表で全国大会出場3回、昨年は兵庫県で優勝して県代表として北海道早来市に参加、今年はつい先日6月25日の日曜日雨の中、北淡路市の兵庫県予選で3位でした。今年もすれすれで全国大会の出場権をいただきました。

 出場者の年齢差は3世代に互り、まさに孫とばあさんの戦いです。体力の劣る分は作戦と技術で補うしかありません。これは何事にも通じる事でしょうが、好奇心旺盛の性格は何年経っても変わりません。周辺の興味ある物事にのめりこみ体力の限界を忘れます。医者をはじめ友人、家族にも「無理をしないで」と言われます。傍から眺めると哀れに見えるのでしょうか、私は命ある限り常に生きがいを求めて充実した毎日でありたいと願っています。

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