『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**第31回道路公害反対運動全国交流集会参加報告**<2006.1. Vol.39>

2006年01月14日 | 藤井隆幸

第31回道路公害反対運動全国交流集会参加報告

世話人 藤井隆幸

∽∽ 会場となった鞆の浦とは∽∽

 昨年の11月5日(土)~6日(日)にかけて行なわれた、全国交流集会の報告をします。今回は広島県福山市で行なわれました。土地勘の無い方のために説明しますが、瀬戸内海沿いに、岡山県を越えて広島県に入ったすぐの都市です。福山市の中でも、最南端に位置する、鞆の浦(とものうら)という観光地での開催でした。

 瀬戸内海の東の入口である紀伊水道と、西の入口である豊後水道の丁度中間に位置した天然の入り江で、古くから港町・漁港として栄えたと言います。瀬戸内海の満ち潮の時には、大阪と下関の両方から潮の流れに乗って、船が輌の浦に辿り着き、丁度潮目を迎えたのだそうだ。暫く鞆の浦港で休憩した船は、今度は引き潮に乗って、それぞれ下関と大阪に向かったそうです。

 そんな歴史を感じさせる街であり、やたらとお寺が多く、古い民家も多く残っていました。歴史財産を生かして、観光の街として街興しに、NPOが活躍していることを聞きました。今回の集会のお世話をしてくださった一団体が、そのNPOでした。天然の入り江を生かした古い港であり、観光的価値の高い風景がありました。しかし、その入り江の一部を埋め立てて、古い灯台(常夜灯)も取り壊し、入り江の横断橋を掛け、靭の浦の街をバイパスにする計画があるとの事でした。未だに、そのようなゼネコン行政がまかり通っていることに、参加者一同は怒りを持って視察しました。

 首都圏・中部圏・関西圏では新たな高速道路計画は、財政的な背景もありますが、土地収用の困難さから、余り目立った動きはありません。その分、四国や広島といった地域に、高速道路の建設がシフトしています。高速道路は必要性から造ると言うより、造りやすさで動くと言うのが実態のようです。広島に道路団体が出来だしたのは、90年代に入った頃からでした。本四公団の尾道~今治ルート(しまなみ海道)は広島になります。山陽自動車道の関連で、国道2号線のバイパスなどが、目白押しというところです。そんな情勢のもと、今回は広島での開催となったわけです。

∽∽ 集会の主な経過∽∽

 さて、初日はNPOの案内で、まず鞆の浦の視察から始まりました。その後、鞆支所の上に併設された公民館で、全体集会が開かれました。現地実行委員長の挨拶の後、全国連事務局長の基調報告がありました。集会のメインは、その後行われた記念講演でした。奈良女子大学大学院の中山徹先生が『住民参加のまちづくリ――道路政策の民主的な転換を求めて――』と題して講演されました。

 1時間半の講演を私如きが数行の文章にするのは無理ですが、日本が人口減少の時代に入り、これまでの右肩上がりの経済活動はありえないことから、発想の転換が求められているとの事でした。都市間競争や大型開発競争の時代は去って、これからは環境型社会・循環型社会の形成が大切だとのお話でした。

 初日の締めくくりは、夕食を兼ねた懇親会です。場所は鞆港の向かいに浮かぶ、仙酔島にある国民宿舎でした。市営の渡し舟に乗って5分程度でした。例年の立食パーティーと違い、座敷に座ってのお食事会でした。洒落たホテルのお食事と言う感じは無く、民宿のもてなし風でした。海産物はふんだんに出て、満足の行くものでした。国民宿舎の表は自然の砂浜のようで、多分、夏は海水浴客で賑わうのでしょう。庭のバーベキュー施設で、蛤を焼いてくれたのが一興でした。

 阪神間道路問題ネットワークからは4人の参加でしたが、懇親会は「北部水源池問題連絡会」の西浦代表世話人と私の2人だけでした。「中の自然と住環境を守る会」の西田代表は、初日はお子さんを同伴されていましたので、新幹線で2日間、かよいの参加となりました。「みちと環境の会」神崎事務局長は、初日が勤務の為、2日日だけの参加でした。懇親会の席が、恒例により各団体の自己紹介の場ですので、少し淋しい感じもありました。

 宿泊は鞆の浦シーサイドホテルで、公民館・ホテル・渡船場ともに歩いてすぐで、会場の設定は申し分ありませんでした。ホテルは5人部屋が殆どで、深夜まで飲んだり話したりで、結構、交流の場となりました。

 翌日は分科会が中心になりました。最初に全体集会で、3本の特別報告がありました。地元福山と広島市内のバイパス問題、それと東京の圏央道のあきる野・高尾からの裁判闘争の報告でした。分科会は2つに分かれたのですが、それぞれテーマを決めるのではなく、出来るだけ全員に発言してもらうとの配慮でした。今回の会場にはハイテク施設は無いのですが、ノートパソコンと液晶プロジェクターを持ち込んでの説明が多くありました。時代を感じさせるのですが、財政的についてゆけない気がしました。最後に全体集会で締めくくりましたが、このところ通例になっているように、あえてまとめはせずに集会アピールだけを採択しました。

 今回の参加は、61団体から201名の名前での参加があったとの報告がありました。

∽∽ 集会参加こばれ話∽∽

 開催地が福山市と、大阪や京都のように近いわけではありませんが、首都圏のように遠いわけではありません。当初、JRの在来線で行くつもりをしていました。尼崎駅発9:05の新快速に乗ると、姫路着は10:01です。姫路発(10:04)三原行の普通で、29駅目の福山駅着が12:24です。運賃も\3,890とリーズナブルです。福山駅から会場までは、15分間隔でバスがあり30分程度ですので、充分に間に合います。

 しかしながら、西浦さんは車で行くので、往復便乗させてもらいました。神崎さんが往路、JR在来線で行かれたので、感想を聞いてみてはと思います。運賃は安いのですが、みんなで行くと飲み代が高くつくかもしれません。

 200人の参加者がありましたが、それでも全国連の事務局長が集会最後の事務連絡で、カンパの要請をされましたので、きっと赤字運営であったのだと思います。70~80年代の全国集会では黒字運営が続き、地元へのカンパにするのがお決まりになっていました。最近は赤字になるのが当たり前で、主催団体は大変です。

 わがネットワークが全国集会を誘致できればと思いますが、現実的には難しいでしょう。そんな思いで、僅かばかりのカンパをして帰りました。

《完》

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