『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(75)**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 横断車道

スーパーで買物の際、レジのお姉さんは、必ず挨拶する。こちらも「こんにちは」あるいは、「こんばんは」。清算が終ったら、「ありがとう」と挨拶している。でも、無言の客が多いことが気になる。バスに乗った際も、前払いだと「よろしくお願いします」ないし「お世話になります」。後払いだと「有難うございました」。▼何も道徳教育ではない。社会性の欠乏の現れに、懸念しているのだ。人は高度な文明と豊かさを得るために、社会を構成し、分業という方法を選択したのだ。ロビンソンクルーソーだって、社会人に違いはない。事故で社会から隔離されたにすぎない。人類は社会的動物という選択を、太古から遺伝子的に決定しているのだ▼レジのお姉さんも、バスの運転手さんも、その社会の一員として働いているし、皆さんも同じように働いている。職種に差はあっても、単に分業しているということに変わりはない。その意味では、働く仲間であるから、客だからと横柄になったりしないで、挨拶するのが当たり前だ▼熊野から沖縄にとんだヤマンバさんも、パリや沖縄の「挨拶」に触れている。そもそも挨拶とは、「私はあなたと敵対しません」という表明から来ている。江戸時代の任侠では、仁義を切るということが行われた。フーテンの寅さんがやっていた、「帝釈天で産湯につかり……」というやつである。それをしなければ、バッサリ切られるのだ。現代日本では、挨拶しなければ切り殺されることはない▼が……、である。働く者の連帯感が希薄とは感じないか?分断されてきたというのが実態ではある。歩き煙草のポイ捨て。100円の携帯灰皿を持てば解決する簡単なこと。町内のお掃除世話人さんの努力との、労力衡量を考慮すれば、当たり前のことではある。が、何とポイ捨て煙草の多いことか。これも社会性の欠落である▼愚痴を言って、社会性の欠乏について、事を矮小化してはならない。本来、富は平等に分けなければならない。それが社会性である。男女差はいけないし、国力による偏重もだめ。力のあるモノが、自らに有利に制度化し、富の一極集中が進んでいる。地球は狭くなって、グローバル化を言いだした。結局のところ、個人では一生どころか、一万回生まれ代わっても、使いきれない収奪をする者どもが発生している▼規模が大きくなってくると、個人では見渡せなくなる。そこで社会性の欠落を指摘しなければならない。現代の若者は、生まれた時から景気後退期にあった。バブルの崩壊は1990年のことである。寝るとき以外は働かなければ、食えないと感じている。結婚や、まして子供を産むと、生活が成り立たないと思っている。そして、それは「自分が悪いから」と、錯覚しているのだ▼そうではないと、団塊の世代は知らせる義務がある。社会性の欠落を教える義務を、墓場まで持ち越すことは許されない  (コラムX)

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