「老いへの道」ひとり言
重親 明
三連結の台風が去り、その余波で一層、蒸し汗が肌にからむ。
空はどんより曇って蒸し暑い。そよとも風は無い。
時折、晴れ間が覗いたら、たちまち灼熱の真夏日だ。
庭の雑草を片手鍬で掻き取った。この作業が足腰を甚だしく痛める。
あら方取り除くのに小一時間掛かった。
じっとり汗ばむ体にシャワーを浴び、扇風機を点け、籐の枕で涼む。
クーラーを点けるにはまだ時期尚早と決めて、扇風機の風で良とする。
梅雨の昼下がりはこれに限る。癒しのひと時である。仰向けになって天井を見つめる。
天井板に樹木の年輪を模した同形の図柄が一面に嵌め込まれている。
大量に印刷した合板もので合理化による既成品であろう。言わば単調なインテリアだ。
自然の木目であればこうは揃わない、節目があったり、年輪が詰まっていたりする。
樹齢の苦節を想像し、成長過程を楽しみたいのだが変化に乏しい。
天井板を見飽きて、ふと「そうだ、宿題を抱えていた」庭の雑草を数えると14種類も有るので、予てより、この名前を調べようと試みたことだった。
これらの写真を撮っているが、残念ながらまだ一種しか分かっていない。
その一つ、とても小さく愛しい花を付けている、是非知りたい。
観察は図鑑と首っ引きになろうが、図書館に足を運ぶ事になる。これは億劫だなー。
些細なことで時を刻んでいる。老いへの道には社会性は無い。
老化は、細く長く休むことなく確実に進んでいる。雑草の様には往かない。