『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(23)**<2003.5. Vol.23>

2006年01月09日 | 横断車道

西宮の山手幹線の運動で頑張ってこられた、横内滋氏がお亡くなりになられた。山手大橋が完成し、部分改築された山手幹線が供用されてしまってからは、奥さんに時にお会いするくらいで、久しくお会いしていなかった。聞けば、入退院の闘病生活であったとか▼西宮市当局と火花を散らしていた頃、徹夜で武庫川河川敷にて焚き火をしながら、当局の動きを共に監視した事を思い出す。遅くに仕事から帰宅した山本氏が、皆に悪いからと、背広にコート姿で監視に加わった。そんな格好では寒いし、翌日の仕事に差し支えるから、適当に家に帰って寝た方が良いと勧めたのは横内氏であった。案の定、山本氏は翌日、風邪をひいて仕事を休む事になったようだ▼小生は防寒作業服の上下で完全武装。横内氏は毛皮のコートにキャラバンシューズで、充分な防寒をしていたが、オシャレであったのを覚えている。テンガロン・ハットがあれば、西部劇でカーボーイが野宿する時のようであった。焚き火を絶やさぬように、火の番をするのも手馴れたもので、野外活動に親しんでいるように見えた。そんな印象が残っていたので、訃報が入るまで予期せぬ事であった▼いずれの団体でも長年の運動の中で、お亡くなりになる方はいることでしょう。しかし、西宮の山手幹線では、染原会長(当時)に始まり、黒住先生。そして横内氏。一昔前なら思わないのであろうが、皆さん少し早すぎたように思う。いずれも病に倒れられ、何とも残念で仕方ない▼染原会長のお宅には昼間から上がり込んで、ビールをよばれた事を思い出す。本来、住民運動など縁の無い方であったとは、息子さんの言である。しかし、町内の住民が困っていたら、黙っていられない性格であったようだ。懐の深さを感じた。黒住先生の奥さんから、先日、先生の遺稿集が届いた。一気に読んでしまったのは、先生の魅力に取付かれたからだ。せかされている原稿が溜まっているにもかかわらず、ついつい最後まで読んでしまった。横内氏の想い出は、武庫川での座り込みの最中も、愛犬の散歩をしながら参加されたり、非常に優しさがあった事だ。当局とは厳格に対処する一方で、氏の表情が厳しくなったのを見た事が無い。何事にも動じず、冷静に対処できる人柄の大きさを感じた。このような人は、相手の立場に立つ事が出来、心の中を覗いて見れる人だと思う。感情の衝突による喧嘩を知らない人であろう▼このところ、訃報が続いた。人である限り必ず訪れる事で、止むを得ない事であるのだが、残された人は先人の教訓を得て、健康に留意されるよう祈るばかりである (コラムX)

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