全員で合唱した「青い山脈」は青春の思い出
代表世話人 大橋 昭
『みちじるべ』30号記念パーティーの参加者全員で歌った、映画「青い山脈」の主題曲は、久しく忘れていたこの歌の変わらぬ魅力と、合唱の持つ力強さに感動した。
戦後日本映画史上の名作として、いまなお世代を超えて愛されている「青い山脈(1949)」(原作・石坂洋次郎)の主題歌は、戦後の混乱期から多くの人たちに歌い継がれ、いまなお機会あれば人々は口ずさみ時には合唱し、個々人の思い出の余韻に浸ることが出来ることは、他の歌謡曲にも共通するが、この日の合唱は私にとっては半世紀前の遥かなる、青春時代の思い出につながり感無量であった。
この映画の話題を耳にしたのは確か新制中学に入って間もない頃(1950年)で、巻間ではやたらと「新憲法」「自由」「民主主義」なる言葉が使われ、大人たちに混じって訳も解らず言葉だけを振り回していた頃でもあった。
この頃は日々、満足な食料もなく頭の中は「腹一杯食べること」の願望のみで、親たちは育ち盛りの子供を抱え、ただその日を如何に精一杯に生きるか。戦後の爪痕も生々しい廃墟の街灯もない真っ暗な夜と、信じられないような絶望的飢餓状態が事ある毎に、今も鮮明に脳裏をかすめる。映画「青い山脈」はこんな時に世に送り出された。
長い戦争による精神文化の涸渇の中で、この映画はまさに多くの人たちが待ち望んだ「明るく爽やか」で、敗戦後の荒廃した人々の心を癒し、愚かだった戦争への反省も込め、明日への夢と希望を託すに有り余るものがあった。それ故に燎原の火の如き早さで、主題歌の新鮮さと躍動感は共有され全国に広まった。特に軍国主義と封建社会に決別せんとする意気は、歌詞の中でも「古い上着よさようなら」の一節に表され新生日本を象徴し、戦争は嫌だと言う人々の平和への願いと、ひたすら実直に勤勉に生き様とする気高さを思い出させる。
しかし、映画の明るさとは反対に敗戦から僅か数年を経て、この国の「平和」を「再軍備」へと急旋回させる勢力の台頭も見落とせない時代でもあった。
時に対米追従の第二次吉国内閣のもとで、いまなおその霧が晴れない奇怪な社会事件(下山総裁の怪死・無人電車暴走の三鷹事件。東北本線列車転覆の松川事件)が引き起こされ、人々の間に再び戦争への不気味な予感が広まって行く。
そしてこれらの事件の直後、1950年6月25日朝鮮半島は戦火に見舞われ、南北分断で隣国の無辜の人々は塗炭の苦しみを受けることになる。
熱気溢れる全員合唱の余韻に浸りつつも、いまこの国の平和憲法が蔑ろにされる中で、映画「青い山脈」の時代を忘れることは出来ないものとして、書き連ねればキリがないが敢えて、この機会にその時代背景も併記して置きたい。
参考 青い山脈 藤山 一郎 You Tube
http://www.youtube.com/watch?v=P-QUP13GAeA
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