『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』熊野より(28-1)**<2009.3. Vol.57>

2009年03月04日 | 熊野より

三橋雅子

《新しい住人》

 行き止まりかと誰もが見紛う我が家の更に奥に、昨秋未就学の子連れ一家が引っ越してきた。別荘にしていた持ち主が老齢化で、通うのがしんどい、管理に骨が折れる、と畑をぼさぼさの荒地にし放題で持て余していた。売りに出してはいても、こんなところを買う奇天烈人もなかろうと高をくくっていたら、冷やかしの下見に来たかと思いきや、なんと気に入って、ここに決める、と言うのにはこちらが驚いた。栗垣内(クリガイト)というと、どこで聞いても、あそこはやめた方が良いと言われるという。あんな不便なところにわざわざ住むことはあるまい、もっとましなところがあるよ、と異口同音に言うそうである。まあ、Iターンの三橋が住んでいるから訊くといい、と言われて訪ねて来た。

 我が家にとってのメリットは、塩素入りの簡易水道が未来永劫、敷設されないこと、自己流コンポストトイレが心置きなく可能なこと、近所が密集していなくて、生活が監視されない、夫婦喧嘩はまず聞こえる心配がないことを挙げたら、まさにそれが望むところだから、とほいほい引っ越してきてしまった。連れ合いなどは自分の仙人振りを棚に上げて、あいつアホとちゃうか、と呆れながら心配する。もちろん杉がまだまだ伸びて、畑の条件は悪くなるばかり、湿度がかなりのもの、子どもの仲間がいない、学校にはスクールバスまで4~5キロ送っていかなくては、とマイナス要因は漏れなく話した。救急車も入れないが、担架で運ばれて救急車が搬送してくれる大きな病院がこれまた遠いのも、老人の移転条件の最悪に挙げられるが、子持ちにとっても同じであろう。我が家にとっては、これは絶好の環境ではあるが。いざと言う時、苦しんでなければ救急車は呼ばないでおこうね、と言うのが二人の間の珍しく議論なしの合意である。痛かったりしんどい時は仕方ない、救急車のお世話になって、最小限の緩和策をしてもらって1時間半も揺られている間に事切れた、と言う展開になれば、めでたいからである。

 新住人の噂はたちまちの中に広がるようだった。人と顔を合わせれば、お宅の奥に引っ越してきたんだって? と皆呆れ顔で言うのである。情報伝達の早さは驚くばかりだが、さらに驚くのは、何を好き好んであんな所に、と異口同音の呆れようである。わが家のことも、こういう具合に人の口の端に上ったのか、と今更ながら驚く。道理で最近でも、初めての出会いの人に、ああ、あんただったんか、あんな奥に来てる人がいてるというのは聞いていたんだが、としげしげ見つめられることがある。何やら「伝説の人」になったような。

 どこへ行ってもその話で持ちきりで、どうやって暮らすんだろう、歳はいくつ? もう働き口は決まったのか、とか、いや、彼は働き口を探すつもりはないみたい、というと皆あきれ返る。お金を稼がなかったら、どうやって暮らすんだろう? 第一、子どもが育てられない、親はよくても子どもが可哀想だ、と。

 私には解せないことが多いが、これらの反応を、各人の人生観の一つのバロメーターとして面白く聞いている。 (続く)

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