『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』一番大事な“みちじるべ”**<2004.7. Vol.30>

2006年01月11日 | 澤山輝彦

一番大事な“みちじるべ”

世話人 澤山輝彦

 今、私達が「何時にどこそこへ着く」と言えるのは全国的に時間と距離の関係が正確なものに統一されているからで、大坂にあった時計と長崎や江戸にあった時計が全く同じ時刻を告げていたとは考えられない、それに距離だって確実に同じ長さの統一したものがあったとは疑わしい。そんな時代にあっては、「何時にどこそこへ着く」とは軽々しく言えなかったにちがいない。そういう時代に時間と距離の関係を知るための目安を得るために作られたのが“……冥土の旅の一里塚”という歌で人々の口に残っている一里塚であろうし、東海道五十三次などの街道沿いに宿場が生まれ発達したのも、当時の人々の歩く時間と距離との関係からであろう。

 そんな時代の旅人にとって、時間、距離はともかく、みちしるべが果たした役割は大きかったにちがいない。みちしるべは指し示す行き先の重要度や知名度によって、またみちしるべの立つ土地の経済力、建てた人の財力などによって、大きな石造りの物から小さな石柱であったり、簡単な木の柱だったりした。木や石、大小と統一したものが無いということは幕府が交通政策としてみちじるべを建てなかったからだ。それでもみちじるべを建てるには該当地の藩に伺いをたて、許可を得なければならなかった。計画以外のものを付けたりすると叱責があったという。石灯籠風のものから簡単な石のみちじるべまで、大きな街道に限らず地方の街道に今でもそれらはあちこちに残っている。能勢妙見山を背後に控えた川西市近郊には能勢妙見への参道がいくつかあり、そこにこんなみちしるべやみちしるべの役割を果たした石灯籠などを見ることができる。

 道に迷う原因になる分岐が次から次ぎへと出てくる人里近くの低山を歩いていて、みちしるべ(道標)が立てられているのに出会うとほっとし、安心して前進することが出来る。今年(2004)千葉県の里山へハイキングに出かけた人達がこんな分岐の一つで道を間違え、道を見失い長時間徘徊したうえ山で一夜をあかし「遭難か」と騒がれた事件があった。

 私は自動車運転免許証を持っていないから運転したことはないが、助手席に座って高速道路を走ったことはある。高速道路は遮音壁があったりして目印になる物が見えにくいから、うっかりしていればどこを走っているのかわからなくなりそうだと私は思った。そんな時に見た案内板、それが高速道路のみちしるべである。普段通り慣れない高速道路を走る時には案内板をしっかり見ていなければならないのだなと思った。うっかり者が案内板を見落とし行き過ぎに気づいて元へ戻ろうと車線を逆走行して事故を起こすというバカげた事が時々起こっている。正しし方向へ導くみちしるべ、案内板はしっかり見ていなければならない。

 国の行き先を示すみちしるべは憲法だ。日本国憲法が日本の行く道を指し示す。平和憲法と言われるすばらしいみちしるべを私たちは身近に見て大事にしないといけない。ほうっておけばその隙にこのみちしるべをじゃまだという連中が建て替えを企む。引っこ抜きにかかる。かってそういう 連中は暗躍という状態で行動していたが、有事3法から有事7法に、イラクヘ派兵した自衛隊を多国籍軍に参加させるなど、最近では堂々と表立って動きだして来ており、憲法改正を言ってはばからない。何が大事と言ってもこの一番大事な“みちしるべ”を守らなくてはならないのだ。その次に大事な“みちしるべ”は、これこれ。

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