『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(24)**<2005.9. Vol.37>

2006年01月13日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<鴻応山へ行った>

 大阪府豊能町と京都府の境にある鴻応山(こうのやま)へ行ってきた。678.9mという覚えやすい高さの山だ。麓には石仏が点在し、それらを訪ねるのもこの山へ登る楽しみの一つになっている。私たちも山頂を踏んだのち石仏をたどった。そんな石仏の一つを「ここから200m」と書いてある案内板を頼りに接近したのだが、200mほど行くと道は人家に入ってしまうようだ。とても石仏があるとは思えない。行ったり来りしながらとうとう近くにいたお婆さんに尋ねると「うちの裏だ」と言って案内してくれた。人家に入ると見えた道は門前で急角度に曲がって小さく続いており、ほんの少し先の尽きるあたりに石仏はあった。お婆さんは「こんな石仏なんの値打ちがあるの、わざわざ遠方からこんな物を見にくるとは」と言い、私たちを眺めながら近くに腰を下ろした。そして少し離れた後ろ側の崖を指さし、防空壕があると教えてくれた。

 戦争中とはいえ、こののどかな地にどうして防空壕が必要だったのだろう。何か軍の関係した施設でもあったのだろうか、軍需品の加工場でもあったのだろう、私はそう考えた。ところが真相は、大阪方面を爆撃してきた米軍の飛行機は、この辺りで進路を変えて引き返すのだが、そんな飛行機が投下しそこねた爆弾をこのあたりで捨てた、落として、身軽になって帰っていったのだという。なんたることだ。戦争とはこんな馬鹿げたことを平気で、当然のごとくやるものなのだ。詳しく資料をあたるなどの調べはしていないから、実際どの程度の投下があったのか、被害者があったのかなどわからないが、戦争というものの汚さ、愚かさはよく分かる。

 イラクでもアメリカ軍による捕虜虐待という戦争が生んだ汚いものが露見した。戦争を美化することなど絶対出来ないことだ。日本は過去の反省から、二度と戦争はしない、という理想の憲法を持った。この理想を堅持しなければならない。

 後日、堺市大泉緑地へナチュラリストのグループで出かけた時のことだ。鳥の糞を帽子に浴びせかけられて憤慨した仲間がいて、我々は笑ったのだった。鳥は空中を飛行するのに重量を軽くするため、餌の体内貯留時間が短い、消化管が短いのだというような話になった。その時、「戦争中アメリカの爆撃機が落し損ねた爆弾を帰路に落して行ったのも、その理屈ですわ」と言うた方がおられて、能勢の防空壕を改めて思い出したのだった。

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