踏切(斑猫独語 56)
澤山輝彦
新橋、横浜間に鉄道営業が始まったのは1872年で、以後、鉄道は国策としてどんどん延びて行った。道路なんてたいして問題にならなかった時代なのだ。(この1872年を「いやな兄さん汽車しらぬ」こんな語呂合わせで覚えると受験雑誌に載っていて、まんまとのっかった私は覚えてしまったのであります。もっと大事なことはちっとも覚えなかったのに……。)やがて、歴史的な時間で考えればほんの最近のことなのだが、自動車と道路の普及、発達によって鉄道は落日の悲哀を味合うことになる。と言っても大都市圏における鉄道事情は少々異なることと、鉄道の持ち味を生かして人々を鉄道へ回帰させる手もうたれていることがあることはあるのだが。
自動車と道路によってどんどん存在感を薄くして行った鉄道だが、鉄道と道路が地上で出会い、交差する場合には未だもって鉄道が堂々とまず走り抜ける、踏切である。道路はそこ踏切を横切ることになり、列車接近時には自動車はもちろん人も列車の通過まで止って待たねばならない。こんな踏切も都市や近郊では事故防止や渋滞解消とかで、どんどん高架化が進みその数は減少傾向にある。このことはスピードアップ、安全、渋滞解消と、鉄道、道路両者に悪いことではない。ただ私など、踏切に情緒ありと感ずる者にとっては、そこは人の叙情的精神涵養の場の一つだとするので、その減少は寂しいことになるのだ。
私が今よく利用している能勢電鉄、阪急電車、JR福知山線の内、踏切を見ることが出来るのは、能勢電鉄では畦野⇔川西能勢口間、JR福知山線では尼崎⇔川西池田間であり、そこで踏切の数を数えると、前者20カ所、後者16カ所であった。そのうちこれらを渡らねばならないと思うとささやかながらうきうきするのだ。(阪急はまだ数えてない)
今、見たい踏切は南紀へ向かう特急くろしお、関空特急はるか、コンテナ貨物が通過する、大阪駅西側にある踏切だ。カンビール又はお酒、ワインでもかまわない。つまみ、何がいいかな(?)、これを少々持って何本か列車の通過を見る、まさに酔狂な事である。
カンカンカンカンと警報音がなり、赤ランプが点滅する。人手あるいは自動的に遮断機が下りる。待つことしばし、すぐそばを列車は通過しその風圧を感じる。踏切はそれが出来る公許の場なのだ。四季により、天候によって雰囲気も変わる。大人に抱かれたり、手をひいてもらった子供はいつまでもそこを離れず列車に見入る。こんな場が減ることは寂しいことではないか。私は車を持たないということもあるかもしれないが、車と道路との関係が人の情緒をたかぶらせるという場に出会ったことがない。インターチェンジなんて人をよせつけないし、道の駅なんてただの商業施設ではないか。
踏切はいいぞ。踏切を楽しもうではないか、老人の繰り言かなあ。全日本踏切快楽倶楽部の立ち上げを宣言しようか。(言うだけです)
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