『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』熊野より(11)**<2004.5. Vol.29>

2006年01月11日 | 熊野より

三橋雅子

〈山姥署名に走る〉

 平成市町村大合併の嵐が吹き荒れている中、ご多分に漏れず我本宮町でも、「合併することの可否を住民投票に付するための条例制定請求」の署名活動が始まった(この趣旨の署名は県下初めて)。署名活動には積極的にはなれなかった私も行きがかり上、重い腰を上げることになる。ここまで来て署名活動に加わることになるとは!藤井隆幸氏の「日本国中どこまで行っても同だよ」の声がまたしてもよみがえる。

 まず我が家の周辺から、となると隣へ200メーター以上、あるいは石段をよいしょよいしょと登って大声で叫ばなければならない。3回呼んでも応答なしでは留守かな、ときびすを返そうとすると、なんじゃえーと薄暗がりから腰を曲げたおばあさんが出てきたりする。新興住宅地の、びっしり隣り合ったドアからドアヘとピンポーンを次々鳴らしていくのとは勝手が違う。もっともあのピンポーンから、なまの顔を玄関に出させるまでの手間ひまとテクニックは容易なものではなかった。十中八九は押し売りへの対応よろしく、今手が離せないだの、うちは署名はしない主義!少し反応があって、そんなん専門家の行政にまかせとったらよろしいやん、とプツン。ここではいきなり顔をあわせてしまうから、何はともあれ、よう来ておくれだのう、ご苦労なことで、と先ずはねぎらってくれる。しかし今回のようなややこしい署名の趣旨を簡単に正確に伝えるのは難しい。しかし反応はよい。決して無関心なのではない。本宮町だけでやっていけたらいいのにのう、というのが全員の願いだ。町長も職員もその気持ちは同じだけど、それしか生き延びる手立てがないちゅうもんは仕方ないかのう…誰も60数キロも離れた、滅多行ったこともない田辺市なんかと吸収合併(事実上)を望んでいるものはいない。まして健康保険料も、年金から差っ引かれる介護保険料もめちゃくちゃ上がるっちゃ、つらいことよなあ…ごみ出しまで銭取られっつうこったら、そのうち川ごみだらけになっとよ。

 実は既に二年前、住民アンケート実施を要望する署名があって1200名分(有権者数3千ちょっと)が集まったにも拘わらず、町は重く受け止める、とのみでアンケートをせず合併を推進して来た。今、合併決定が目前に迫ったこの期になって締めムードになった中、八十過ぎの年寄りたちが、どうしても、このまますっこむ手はない、もう一度署名を!と言い出したのである。法定有効数は60数名(有権者の50分の1)ではあるが、1000はないと格好が付かない、到底無理じゃろうが…と背水の陣の気分で始まった。

 よそ者への抵抗もなく、すんなり書く気になってくれるが、それからが大変なのである。もう目が見えんよってあんさん書いてや、という老婆にも原則、代筆は効かないから、と一字一字指で指しながら書いてもらう。今回の署名「住民投票条例制定請求」となると選管がばっちりあら捜しをして、ばしばし無効にするそうだから、慎重にも慎重を期する。年寄りほど生年月日はばっちりだが、住所欄の番地が問題。何度も表を見ては確認するのでなるほど、と賢くなったつもりで、次の家で、じいちゃんがやはりぶつぶつと番地を反芻しているので、違う違う、と表札の数字を読むと、ちゃうねん、そいつがまちがっとるねん、には恐縮、余計なことを言ってしもうた。確かにここで、番地を書くことなどは、まずあるまい。ハンコがまた大ごと。たいていは箪笥の奥をごそごそ、多分通帳などの貴重品の在り処でもあろうかと目をそらせて梅など愛でたりしていると、ややあって逆さまに押しちまうから、ねえさん押してやー(まもなく七十になろうというのに、ここでは“ねえさん”なのである)。一行を埋める重さをずっしりと受け止めていとま乞いをすると必ず、これでもなめなめ行きや、と飴玉を握らせてくれたり、断っても缶ジュースだのグロンサンなどがポケットにねじ込まれてしまう。こんなに重い署名は初めて。老人で生年月日に戸惑うものはなかったが、生まれは24年や、というだけで後が出てこないツワモノに出会った。九十近いおばあさんが、自分のはすらすら出て来たが、あれはいつだったかのう、には息子の生年月日を知らないとは、と少し驚いたものだが、少しもぼけた兆候もない屈強な五十代本人の、自分の誕生日知らずには、いささか度肝を抜かれた。日常生活に不必要なものは一切関知しないという潔さか。さてどないしょう?と私は手立てが思いつかなかったが、さすがに婆ちゃんは知恵者、保険証に何もかも書いとるで、と。それから、その健康保険証探しが大変。箪笥から、鞄類、袋物と、大変な家捜しとなってしまった。

 この辺りで留守ということはめったにないが、家の中で捉まえられるのもまた少ない。畑で土の手を拭き拭き書いてくれても、ハンコを押しに屋敷に戻らねばならない。それからまた、婆さんやー、そこらに居るはずじゃがのう、とひとしきり婆さん探し。かくて半日かけて二軒で終わりもざら。早くも正午を知らせる童謡、今は「はーるの小川はさらさら行くよ…」が聞こえてくる。帰り道、もうあらかた開いてしまった蕗のとうが、日陰ではまだ、むくっと顔を出したばかり。今夜は蕗のとうのてんぷらにしよう。ついでに蓬も、アザミの若い葉も…次々に摘んでポケットは満杯に。邪魔なジュースの缶もあるし…たちまち入れ場所がなくなって、仕方なく署名の画板をお盆代わりに、てんぷらの材料を山盛り載せて捧げ持って帰る羽目になった。

 本宮町民の名誉のために付け加えるなら、山を少し降りて平らな集落に入ると、さすがに番地も生年月日もはんこもスラスラ出てくる。やはり我が家の周辺は、仙人か山姥の住処なのだ。こんなものは念頭になくても暮らしに何の支障もない。

 この署名、たまげたことに1400名を越えてしまった。県下初の署名、有権者数の43%、と紀伊民報の一面トップを飾った。集めた本人たちが一番驚いて老人たちの顔がつやつやしてしまった。しかし議会はやはりこれを無視、却下するのではないかとの見通しが濃い。年寄りの落胆を見るのはつらい。

 はか行かぬ署名に代わる蕗豊か

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