変化のきざしの中で
北部水源地問題連絡会 北神 雄一郎
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わたしたちが取り組んでいる阪神高速道路北神戸線の東伸部建設計画も、橋脚を主とした下部工から桁、高欄などの上部工の建設過程に移りつつある。
ここに至って、調整役である県から「説明は行ったが双方の接点はなく、話し合いをこれ以上続けても堂々巡りの感がある。これまでの議論を整理した上で、県としての調整案を示したい」という提案があった。そこには、「説明を尽くしたが納得しないのは住民のほうだ、最終的に示す調停案に不満であるなら裁判で決着をつけることになる。もうこれ以上住民と話し合っても意味がない。」という当局の本音がみてとれる。この県の提案に対して、「議論の途上であり、私達は議論を尽くしたとは思えない。供用開始時期から逆算すると当局にとっては結論を要する時期かもしれないが、私達としては時期尚早というほかない。」と反論したところ、調停案提示の時期はやや延びた。しかし、それは当局の都合に合わせた許容範囲にすぎない。
「議論は尽くしたが住民が理解しようとはしない」という論理のもと、工事は予定どおりの日程で消化し、完成させたいという当局の意欲はすこぶる強い。
この道路計画はもともと、西宮市の環境保全に対する政策の欠如が生み出した事例である。このことを当局自身が自覚しなければ、住民の意見や問題提起を率直に反映させた解決策を見いだすことは出来ないだろう。
当局がこのような視点に立つ限り、この国に(市民が主役の街づくり)を定着させるための行政の働きを期待するのは無理なことである。「市民の参加と協働」ということをかかげても、所詮お題目にすぎない。
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事を進める上で説明と同意が必要なのは、なにも医療現場に限った問題ではない。先頃、公共事業分野でも事業の中止・凍結の箇所が公表された。批判すべき点はあるものの、「まずは計画ありき」と梃子でも動かなかった公共事業で、事業の中止・凍結のルール化が決定されたのは評価すべきことである。これまでの、住民の血と汗の運動の成果のひとつと考えれば、蟻の執念が巨像の歩みにブレーキを掛けた意味は大きい。阪神道路公団が抱える4兆円を超える長期負債(借金)を、道路から揚がる通行収入だけで返済出来るというのは幻想にすぎない。あるゼネコンが抱える負債について、銀行団に債権放棄を要請して会社の再建を図るというニュースがあった。公団等の特殊法人にもそんな時がやってくるかもしれない。
公団等の特殊法人の大口債権者は国で、その資金源は第二の予算と呼ばれる大蔵大臣が管理する財政投融資である。その原資は郵便貯金と厚生年金であり、一般金融機関の扱う資金とは根本的にちがうところである。その融資の破綻は、国家財政の破綻の引き金になりかねない危険性を孕んでいるため、「返済は可能である」と無理な説明をせざるを得ないというのが実態なのかもしれない。
公団等が破綻した時、記者会見で頭を下げるにしても、はたして個人責任の自覚のない天下り役員個人にその経営責任を問えるだろうか。公団等に毎年巨額な投融資を継続してきたツケは、巧妙な論理に隠されて、結局は国民にまわされ、誰にも責任が問えない形で処理されてしまうのは目に見えている。
橋本前首相は選挙区の講演で、自民党の亀井政調会長の4兆円規模(事業規模で10兆円)の補正予算構想を批判して「子のクレジットを使い果たし、それでも足りなければ孫のクレジットまで使ってしまっても良いという権利はだれにも許されていない。従来型の、公共事業を中心とした補正予算の構想には反対だ。真剣に財政再建の道を考える時だ。」という考えを示した。国家財政が大きな財政赤字に苦しんでいる時に、公団等の破綻の処理を担うだけの余力は国にも無いはずで、返済されるはずの資金が
戻ってこないとなれば、貯金利子や年金額の引き下げによる対応しかないということになる。
以前にも述べたが、そこで泣かされるのは名も泣き無き多くの庶民であることは歴史の教えるところである。