『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**変化のきざしの中で**<2000.10. Vol.7>

2006年01月03日 | 北部水源池問題連絡会

変化のきざしの中で

北部水源地問題連絡会 北神 雄一郎

1

 わたしたちが取り組んでいる阪神高速道路北神戸線の東伸部建設計画も、橋脚を主とした下部工から桁、高欄などの上部工の建設過程に移りつつある。

 ここに至って、調整役である県から「説明は行ったが双方の接点はなく、話し合いをこれ以上続けても堂々巡りの感がある。これまでの議論を整理した上で、県としての調整案を示したい」という提案があった。そこには、「説明を尽くしたが納得しないのは住民のほうだ、最終的に示す調停案に不満であるなら裁判で決着をつけることになる。もうこれ以上住民と話し合っても意味がない。」という当局の本音がみてとれる。この県の提案に対して、「議論の途上であり、私達は議論を尽くしたとは思えない。供用開始時期から逆算すると当局にとっては結論を要する時期かもしれないが、私達としては時期尚早というほかない。」と反論したところ、調停案提示の時期はやや延びた。しかし、それは当局の都合に合わせた許容範囲にすぎない。

 「議論は尽くしたが住民が理解しようとはしない」という論理のもと、工事は予定どおりの日程で消化し、完成させたいという当局の意欲はすこぶる強い。

この道路計画はもともと、西宮市の環境保全に対する政策の欠如が生み出した事例である。このことを当局自身が自覚しなければ、住民の意見や問題提起を率直に反映させた解決策を見いだすことは出来ないだろう。

当局がこのような視点に立つ限り、この国に(市民が主役の街づくり)を定着させるための行政の働きを期待するのは無理なことである。「市民の参加と協働」ということをかかげても、所詮お題目にすぎない。

2

 事を進める上で説明と同意が必要なのは、なにも医療現場に限った問題ではない。先頃、公共事業分野でも事業の中止・凍結の箇所が公表された。批判すべき点はあるものの、「まずは計画ありき」と梃子でも動かなかった公共事業で、事業の中止・凍結のルール化が決定されたのは評価すべきことである。これまでの、住民の血と汗の運動の成果のひとつと考えれば、蟻の執念が巨像の歩みにブレーキを掛けた意味は大きい。阪神道路公団が抱える4兆円を超える長期負債(借金)を、道路から揚がる通行収入だけで返済出来るというのは幻想にすぎない。あるゼネコンが抱える負債について、銀行団に債権放棄を要請して会社の再建を図るというニュースがあった。公団等の特殊法人にもそんな時がやってくるかもしれない。

 公団等の特殊法人の大口債権者は国で、その資金源は第二の予算と呼ばれる大蔵大臣が管理する財政投融資である。その原資は郵便貯金と厚生年金であり、一般金融機関の扱う資金とは根本的にちがうところである。その融資の破綻は、国家財政の破綻の引き金になりかねない危険性を孕んでいるため、「返済は可能である」と無理な説明をせざるを得ないというのが実態なのかもしれない。

 公団等が破綻した時、記者会見で頭を下げるにしても、はたして個人責任の自覚のない天下り役員個人にその経営責任を問えるだろうか。公団等に毎年巨額な投融資を継続してきたツケは、巧妙な論理に隠されて、結局は国民にまわされ、誰にも責任が問えない形で処理されてしまうのは目に見えている。

 橋本前首相は選挙区の講演で、自民党の亀井政調会長の4兆円規模(事業規模で10兆円)の補正予算構想を批判して「子のクレジットを使い果たし、それでも足りなければ孫のクレジットまで使ってしまっても良いという権利はだれにも許されていない。従来型の、公共事業を中心とした補正予算の構想には反対だ。真剣に財政再建の道を考える時だ。」という考えを示した。国家財政が大きな財政赤字に苦しんでいる時に、公団等の破綻の処理を担うだけの余力は国にも無いはずで、返済されるはずの資金が

 戻ってこないとなれば、貯金利子や年金額の引き下げによる対応しかないということになる。

 以前にも述べたが、そこで泣かされるのは名も泣き無き多くの庶民であることは歴史の教えるところである。

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『みちしるべ』**本当のところはどうなんだ**<2000.8. Vol.6>

2006年01月02日 | 北部水源池問題連絡会

本当のところはどうなんだ

北部水源地連絡会 北神 雄一部

 連絡会が、阪神高速道路公団の北神戸線東伸部計画について、その問題点を提起しその解決のため、微力ながら取り組んで6年が過ぎようとしている。当局との長いやりとりの中で、幾つかの疑問が今なお解消しないでいる問題がある。そんな代表例を示しておきたいと思う。当局の説明責任に基づく正確で透明性の高い情報を、請求に応じて法の制限条件に抵触しない限り、躊躇せず開示するとの自覚を、当局がどのくらい認識しているかによって、情報開示をめぐる官民間の紛争が増減するに違いない。当局が不都合な事柄のなかに、市民が知りたい事実があるかもしれないのだから。

■複数のルート策定図は存在したか

 私たちは、この計画を検討するなかで当局が策定したルート案のすべてを開示するよう要求したが、計画当局は「このルートは都市計画法の手続きに基づいて決定された。ルート選定にあたって、複数のルート案はなかった」との説明を繰り返すだけであった。

 これに対して、私たちは「検討の過程で、複数のルート案があったはずで、検討のうえこのルートが決定されたはずだ。消去されたルート案を含めた説明をしてくれないと、このルート案がベターだとは言えないではないか。検討されたルート案を開示せよという要求は当然の事で、当局に無茶な主張をしているとは思わない。」と主張し、ルート案の全面開示を迫った。この主張に対して、計画当局は「この協議会では、計画策定の過程の問題についてまで、説明するつもりはない。ここで議論するルートは、法決定されたものに限定したい。」と回答し、これに関わる議論を打ち切るとの態度をとった。このようなやりとりがあった後、議員との話し合いの中で、ある市会議員が「当局から検討中の複数のルート案を示され、私としてはその中から、ベストではないがベターな案ということで、現ルートに賛成した」と語った。当局が私たちに対して、存在したはずの複数ルート案の全面開示を頑として拒否したのは、それをすると当局側に不都合が生じると判断したに違いないという確信を抱くようになった。

■道路のほんとうの性格は何なんだ

 計画当局は、この道路について「北部西宮地域と神戸地域を結ぶ利便性を目的とする近隣生活道路の建設をめざしたもの」と説明会などで繰り返し説明していた。

 これに対して、私たちは「この道路の真の性格は、当局のいう近隣生活道路ではなく、明石海峡大橋から山口町を結ぶ物流の幹線道路である。当局の言う近隣生活道路というのであれば、現在共用されている県道や市道の拡幅等の改善をすれば良いはず。」と主張した。これについて、計画当局は「道路の性格づけについては、皆さんとの見解の相違」とした。

 しかし、その後ある新聞が「この道路は、四国。中国方面と中国自動車道とを結ぶ重要な物流幹線道路である」との当局幹部の談話を掲載した。

 このことについて、私たちが「かねてから私たちの主張を当局幹部が認めたではないか。これまでの説明と矛盾するではないか」と追求した。

 これに対して当局は私たちに「誤解を生じさせたことについてお詫びをする」とは言ったが、当局が新聞社に内容の訂正を求めたり、その紙上で訂正記事が掲載されたという話を聞いたことがない。

 この二つの事例を、あなたはどう感じますか。与えられる情報が誤りであったり、恣意的に隠されたり、本当のところを説明しない情報操作が行われ、説明側の都合に合わせた説明を重ねられると、聞く側が意識的に注意しておかないと、それを真実と思い込まされる危険性を学んでいることを注意しなければならないことは悲しいことと言わねばならない。

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『みちしるべ』**緑の山河は誰のもの**<2000.4. Vol.4>

2006年01月02日 | 北部水源池問題連絡会

緑の山河は誰のもの

北部水源池問題連絡会 北神 雄一郎

 「緑なす祖国日本を目指していた中国からの引揚者を乗せた帰還船・興安丸が、ここ舞鶴港の沖合にその姿を現し始めました。、、、」中国からの帰還船の入港を告げるラジオ中継の声が、昭和20年生まれである私の耳に今も妙に残っている。

 その日から50余年、無一文からスタートし高度成長の波に乗った日本は、世界にその経済力を誇示するまでになった。しかし、やがてむかえるバブルの崩壊でそれまで蓄積してきた果実は泡と消え、いまは不況の大波に翻弄されて、全ての自信を失い自己喪失の状態に陥ってしまった。しかし、今もなお昔の夢を追い求める面々は、「景気回復には公共投資が有効」と、いわゆる従来型の公共事業に巨額の予算を計上し、その結果、国全体で約六百兆円にのぼる累積債務を抱えることになった。公共投資による景気浮揚は期待できないということは、ここ数年の経済動向で実証されているはずなのに。

 最近、愛知万博の跡地を住宅地にするという利用計画が万博国際事務局で否認され、国や県の慌てふためく様が大きく報道された。もし、いま私たちが取り組んでいる阪神高速道路公団の北神戸線東伸部建設計画も、国際的な審査機関があったとしたら、「ルート上に水道水源がある。」という理由で計画の変更をせまられたはずである。

 数年前、この計画について、地権者の住む山口町の有力者と話し合う機会があった。有力者に私たちの思いをこめて計画の問題点を説明し、ルート変更によつて水源池を避けるよう、行政に対して共に提案できないものかと理解と協力を求めた。しかし、この有力者は次のように語った。

 「あんたらは緑の保全や水質保全を言うけれど、最近になってここに越してきた君らと私らの考え方は根本から違うんや。私らかて霞を食って生きているわけやない。緑を見てるだけで腹は膨れへんで。私らの山林や田畑などの財産を、どない処分しようと所有者の胸先三寸と言うものやで。第三者からとやかく言われる筋合いはない。これは憲法で認められた個人の権利や。山林や田畑も金になってこそ、値打ちがあるというもんやで」さらに、「町のためになるこの計画に反対はできん。私らは、あんたらとは違って行政のすることに不信感はあらへん。」と言い切って話を結んだ。

 この話し合いで私達の心には虚しさだけが残った。戦後のゼロからのスタートから、今日に至る経過の中で、いつとはなしに皆が「金さえあれば」という拝金主義にまみれてしまったのだ。採算のとれなくなった山林や田畑が、公共事業によって買い上げられ、お金持ちになったという開発ドリームは数えきれない。

 自然環境を破壊してまで、鉄とコンクリートで構築される無機質な道路や橋梁などがこれ以上必要なのであろうか。多くの無駄が指摘されている従来型の公共事業に、湯水のごとく資本を投下するという手法から脱却し、本当の意味での「国づくり」とは何かを考える視点が必要な時期にきているのではなかろうか。

 このままでは、国の破産という重大な事態を招きかねない。そのような事態に陥って困り果てるのはいつも名のない庶民である。そして、このことは、すでに五十年あまり前に体験した歴史的事実でもある。

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『みちしるべ』**公共事業への抑止力**<2000.2. Vol.3>

2006年01月01日 | 北部水源池問題連絡会

公共事業への抑止力

北部水源池問題連絡会 北神 雄一郎

 このネットワークに参加している団体は、公共事業としての道路建設に関わって計画当局と対峙しつつ、問題解決に努力しているところである。

 私自身は、阪神高速道路北神戸線東伸部が、北部西宮市域3万人に供給している上水道の水源地である金仙寺湖内を通過する問題に関わって、早5年が経過しようとしているが、この関わりの中で痛感したことを少し述べてみたいと思う。

 道路を始めとする公共事業の多<は、計画案が公表されたときにはルートなどは当然のように固定され、計画当局は市民からの問題提起や反論に対して謙虚な態度で耳を傾けようとはしない。

 官優位のこの国では、当局側によほどの事情がない限り計画の変更や廃止が行われることはなく、まして市民との対話によって計画の変更や廃止が決定されることはないらしい。

 なぜそのようになるのだろうか。ここには、明治以来の官側が抱く信仰にも似た「行政の無誤謬性」の論理が今も存在するからではないかと思う。つまり、行政の行為には誤りはな<、それを貫徹することが、公共の利益にかなうことになると固く信じているからである。この論理が、時には無謀とも言える計画さえも許される素地にもなっているのではないかと思う。

 この論理は、一方で「無責任」を生み出すのである。計画の決定や認可の権限者である建設大臣、知事、市町村長やその計画に必要な資金を手当てする予算に同意した各級議員は、例えその計画が結果として、公害や多くの不良債権を生み出そうとも、それらの関係者には何らの個人責任が及ぶことはない。

 この無誤謬性と無責任(あるいは免責)の二点をどこかの時点で、解決しておかないといつまでもこの流れが継続されるだけである。

 その一歩として、第三者の準司法機関である「公共事業不服審判所」を設置して、官と市民の主張やその事業評価を含め多面的に検討し、かならず2年以内に、それを一審とする審決を下すことにしてはどうかと思う。また、審判係属中の事業は審判提起の時点で、詳細な計画案や次の段階に至るような工事日程を中断させることが不可欠であることはいうまでもない。

 市民がこうした抑止力をもたない限り、官優位の今の流れを止められないと思う。

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『みちしるべ』**安心して飲める水を求めて**<1999.9. Vol.1>

2006年01月01日 | 北部水源池問題連絡会

安心じで飲める水を求めて

北部水源池問題連絡会 世話人代表 Y.T.

 創刊おめでとうございます。

 私たちは平成5年、阪神高速道路北神戸線の東伸部が決定された後に、一部住民の犠牲のもとで、北部3万人の水がめとして巨費を投じて人工的に作られた小さな水源池「金仙寺湖」(丸山ダム)の内に橋脚を立てて高速道路を建設するという、世界的に例を見ない計画により、水道水の水質に対する不安が、多くの自治会員から寄せられたことから、種々活動を始め、地元6自治会の賛同を得て現在に至っております。

 県、市、公団との四者協議会も20回を数えることになり、建設工事は進んでいますが、住民の水質に対する不安を解消する状況ではありません。安全のためのルート変更、又はトンネル化を要求しましたが“計画変更は認められない”とする当局側の意向とともに両側から工事が進められる事態となり、水質保全のため、せめて湖面上にシェルターを設置するよう要求することにいたしました。

 当局側は現在の方法で、科学的知見はないが水質に対する影響は軽微であるとし、軽微の内容を求める私たちには具体的回答のないまま、逆にシェルターの必要姓を示す科学的知見を私たちに求めるなど、不要論をならべるばかりで、当事者である水道局の協議会への出席も認めようとしない現状です。

 市会の協力もあり、必要があればいつでもシェルターが取り付けられる構造にする確約は取りましたが、原水が汚れ設置が必要と認めるまで、私たちはモルモットにされたくありません。孫、子の代まで安心して飲める水を求めて努力をしております。

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