池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】(最終)第五章「大団円」(日本語朗読)

2022-12-20 15:40:19 | 日記

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】(最終)第五章「大団円」(日本語朗読)

 

メリイ・クリスマス

山川方夫

(後半)

 

 小さな彼女、無言で話す彼女に親しみを深めて行く彼にとって、妻は、なんとしても大きすぎ、その声はそうぞうしすぎた。いつのまにか彼は、身長5センチの彼女の仲間入りをし、その目で妻を見、その耳で妻の声を聞くようになっていたのかもしれない。かつて愛した妻の肌は、いまは毛穴ばかりが目立つグロテスクな象の皮膚でしかなかった。湯上りのときなど惚れぼれしたその淡紅色に染《そま》った白い肌も、いま見ると皺《しわ》だらけの、やたらと赤い斑点を散らしただんだらの臭くて粗悪なゴムの延板にすぎない。しかも皺にはかならず脂と汗がひかり、毛穴からは剣のようなおそるべき剛毛が突き出ている。

 いちど接吻をしようとして、彼は吐気と恐怖とをかんじて身をそらせた。鯨が口をあけたような、赤い洞窟を思わせる巨大な暗がりのなかに、核分裂によって膨脹した奇怪なアミーバみたいな舌がひそみ、それが無数のいぼを密集させて動くのがなんとも醜怪でたまらず、おまけに自分がそのぬるぬるの赤い洞窟の中に吸いこまれ、嚥《の》みこまれてしまうような気がしたのだ。

「……どうしたの? どうかしたの?」

 うすく目をひらいて、妻が訊いた。彼は、思わず耳をおさえ、顔をしかめて叫んだ。

「うるさい! だまってしゃべれないのか?」

 妻は黙り、目をうるませて横を向いた。怒った表情だった。その夜、彼は二人のベッドを部屋の中のできるだけ遠い場所へと離した。

「……ねえ、なにが気に入らないの? いってよ。……ねえ、なにかいったらどう?」

 ベッドに坐ったまま妻はいった。彼はいいかえした。

「いったい君は、どうしてそんなに言葉をほしがるんだ? 人間は、みんな言葉にならないもので生きてる。言葉にはならないところに本当のぼくたちはいるんだ。言葉なんか不要で、それで心が通じあわなくって、それでどうして夫婦なんていえるんだい? もう、いいから黙っててくれ」

「だって、私……」

「たのむ、黙っててくれ!」

 妻はぷいと立ち上ると、ベッドを下りて三面鏡に向かった。彼は蒲団《ふとん》をひっかぶった。

 彼と妻とのあいだは、だんだん疎遠になり、反比例して彼の小さな彼女への思いはつのった。妻とのしらけた時間のあと、だから彼はかならず抽斗しの鍵をあけて、5センチの彼女と「目で」話すのに熱中した。

 ああ、自分も5センチの小人になり、同類となって同じ机の抽斗しの中の、マッチ箱ほどのベッドに横になって彼女を抱くことができたら、彼女と結婚することができたら、どんなにすばらしいだろう!

 あまりにも小さな彼女をみつめながら、彼は、ときどきどうにもならぬ欲望のとりこになり、狂ったようにシャワーを浴びたり、ベッドを撲《なぐ》りつけたりした。5センチの彼女はあいかわらず魅惑的で、やさしかった。もしサイズさえあったら、きっと妻になってくれるだろう。なんとかして自分を小人に、または彼女を自分と同じ大きさの人間に、つまり二人の体格が合うようにできるものだったら、彼はきっとなんでも捨てただろう。……

 

 欲望に燃えたつからだに、刃物のように鋭い風がかえってひどく快かった。季節はすでに冬に入り、いつのまにか、十二月の終りちかくになってしまっていた。

 彼はまたアパートの手すりにもたれていた。木枯しが夕暮れの街をはしり、胡麻粒のように見える人も、みんな外套《がいとう》の襟《えり》を立てて、うつむきがちな速足で歩いていた。彼はぼんやりとそれを見下ろし、その日の朝刊の見出しをけんめいに思い出そうとしていた。沸《たぎ》るような欲望を抑えつけるときの、それは彼のいつものお咒《まじな》いだった。

「……月が出たわね」

 気がつくと、煤けたような夕暮の色のスーツを着た彼女が、手すりの金棒に腰を下ろしていた。

「オレンジ色なのね。今夜の月」

 彼女の目が語るとおり、東の空に蜜柑色の巨大な月が顔を出して、それがいま、ちょうど影絵になったビルの頂上をはなれようとしていた。

「ながいあいだお世話になったわ。でも、今夜ここを立ちます」

「え? 今夜?」

「ええ」

 彼の目は無言だった。しばらくは、彼女の目もなにもいわなかった。

「私の休暇は、今日でおしまいになったの。それで、べつの星に、そこの生物に生まれかわりに行かなくちゃならないのよ」

「生まれかわる?」

「ええ。まだまだ知能の遅れた星がいっぱいあるのよ。そこの星の生物の心の指導者になりに行くの。その星で、しばらくその星の生物になってから死んでみせるの。つまり生き方のモデルね。……そこの星では、私のことを神さまなんて呼ぶのよ」

「神さま?」

「ええ。あなたの星の生物たちのあいだには、神さまはない?」

「あったよ。だけど男だった」

「女の神さまの星もあるのよ。そこでは指導者らしく、いちばんその星の生物のイメージの中での、崇高で美しいすがたになることになっているの」

「じゃ君は、神さま?」

「ちがうわ。向うでそう呼ぶっていってるだけ。それに私、この星には、ただ休暇をつぶしにやってきただけですもの」

 彼はさらに聞こうとした。いったい、彼女はどこの、なんという生物なのか。だが、すると彼女は笑いだした。はじめて秋の夜に聞いたのとおなじ、愛らしく、無邪気な、心に沁みるような澄んだ笑い声で。

「……あなたがたは、あなたがたのわかっていることしかわからないのよ。だから、いくら私のことわかろうったって無理だわ」

 月はだいぶ上り、彼女のスーツもしだいにオレンジ色になりはじめた。

「……あ、来たわ。お友だちが」

 彼女は金棒の上に立って、その横に、やはり同じ色の背広を着た5センチほどの青年が一人、にこやかに彼に笑っていた。

「この人ね、これから太陽系の中のある星に生まれに行くの。その星の汚ない馬小舎の中で生まれてね、うんとゲンシュクな顔になってお説教をしてね、そこで裏切られて、ハリツケにされて殺されちゃうのが役目なのよ」

「たのしい休暇でした」と、青年も目で話した。「私たちは、しばらく骨休みにこの星にあそびに来ていたんです。ずいぶん昔、私たちの仲間の一人が神さまになったはずのこの星の生物たちが、その後どんな心の動き方をするようになったか、それを参考にしがてら」

「新《あた》らしい神さまが必要なようね。どうやら」と、彼女は青年の言葉にうなずきながらいった。「ここの星の人は、みんないつも不安なのね。きっと愛することを忘れちゃっているのね」

「まったく、みんなわがまま放題でね」

 と、青年も和した。

 ふいに片手をあげ、色白で長身の美青年は、いささか茶目っけのあるしぐさで、彼の背後を指さした。

 彼は振りかえった。妻がそこにいた。妻は、じっと青年の目をみつめていた。

「もしぼくがお相手になっていてあげなかったら、奥さんだって、あなたがかまいつけないのを、そうそう黙ってほってはおかなかったでしょう……ね、奥さん?」

 青年は笑った。

「じゃ、さよなら。これであなたがたの星とも、あなたがたともお別れです。ご幸福に」

「さよなら。お元気でね」と、小さな彼女もいった。

 

 5センチの美しい男女は、彼ら夫婦がさよならも目でいえないうちに消えた。あとには冬の月光を浴びた手すりだけが光っていた。

「……あの小さな男、あいつはいつごろからあらわれたの?」

 と、彼は妻に訊いた。妻は、月のほうに目を向けたまま答えた。

「今年の、秋の夜よ。たしかお月さまがとってもきれいだった晩だわ」

「そうか」

 と、彼はいった。

「あなたは、あの小さな女のひと、どこにかくしてたの?」

「机の、抽斗しの中さ」

「そう。……私は、三面鏡の抽斗し」

 妻のその声音が、ふと彼にひどくなつかしい、確実な手ごたえのある甘くあたたかなものに聞こえた。彼は、妻の肩を抱いた。……とにかく、ぼくたちは同じサイズなんだ。と彼は思った。他の星の生物たち、わけのわからない神さまたちなんてものは、たとえ存在するとしたって、ぼくらには幻影とおなじなんだ。どんなに頑張っても、やはり等身大の大きさの同類しか、ぼくたちは、本当には愛することができない。……

 妻の肩はやわらかく、その下で生きて動いている鼓動が、彼のそれと一つになり、しだいに高く、速くなった。二人は寒さを忘れていた。

 目の下にひろがる夜の都会は賑やかで、鋪道には車と人間があふれていた。今夜は、ひときわネオンも美しく夜空に映えているように思える。たのしげな音楽も流れてくる。

 ふいに妻がいった。

「……そうだわ。今夜は、クリスマス・イヴなんだわ」

 二人は目を見あった。そのとき二人には言葉は要らなかった。二人は、おたがいの中に、それぞれ今夜生まれたあたらしい生命の貴重さを眺めていた。

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チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第五章「大団円」(最終)(英語原文朗読+和英対照表)

2022-12-18 12:19:20 | 日記

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第五章「大団円」(最終)(英語原文朗読+和英対照表)

 

さて、【クリスマス・キャロル】の最終章です。三人の精霊の訪問を受けて、スクルージはどのように変わったのか。ユーモアを交えながら、ディケンズは彼の変貌ぶりを語ります。

 

ショートストーリーに定評のある山川方夫がクリスマスを題材に短編を書いています。前後二回に分けて転記します。

 

 

メリイ・クリスマス

山川方夫

(前半)

 

 ある秋の夜。むし暑く、寝苦しいまま、彼はアパートの手すりにもたれて、目の下にひろがる都会の夜を、ぼんやりと眺めていた。彼の部屋は、都心に近い高層アパートの、それも最上階にあった。

 月の美しい夜ふけで、空は月のまわりだけ穴をあけたように明るく澄み、淡い煙に似た薄い雲が、ときどきそのまんまるな月の前を流れていた。しばらく風に吹かれてから、彼が部屋に戻ろうとしたとき、ふと、背後にごく小さな――まったく、ごく微《かす》かな、しかし明瞭な女の忍び笑いが聞こえた。びっくりして彼は振りかえった。背後には、高い夜空に突き出したアパートの手すりと月光のほか、なにひとつあるわけがなかったのだ。

 しばらくのあいだ、彼は口をポカンとあけ、自分が精神錯乱におちいったのだ、とくりかえし思いつづけた。月光に青白く光る手すりの金棒に腰をかけて、豆つぶほどの一人の女が、脚を組み、手を唇にあてて笑っている。小さな、しかしあきらかに若い女性だけのもつ愛らしい澄んだ忍び笑いが、そこから、彼の耳にとどいてくる。

 蟋蟀《こおろぎ》や、鈴虫やの見まちがいではなかった。彼は自分の耳を疑い、目を疑い、顔を近づけてしげしげとその若い女性のミニアチュアのような生物を観察した。それは、大きささえ無視して考えれば、まったく人間の若い女性、それもかくべつ美しく魅力的な女性と、かわるところがなかった。

 漆黒のやわらかな髪が肩まで垂れ、まるで月の光を凝固したような色のスーツは、胸のこんもりした双つの丘のしたで花籠のように緊《しま》って、腰から腿にかけてのカーヴをひときわ魅惑的にしている。真白な肌。小さな紅い唇。形よくのびた脚のさきには、服とおなじ銀色の小さなハイヒールが、キラキラと光を弾いている。……しかし、その身長は、わずか5センチにみたない。

 睫毛《まつげ》の深いせいか、その目は大きく見え、そして女は――どうみても完全な女性だった――笑っていた。愛らしく。無邪気に。彼の心に沁みるように。

 思わず、彼は手をさしのばした。開いた彼の掌は汗ばみ、彼女にとっては、それはレスリングの選手の汗にぬれたマットみたいなものだっただろう。が、躊躇《ちゅうちょ》なく彼女はひらりとその巨大な掌のくぼみに降り、(マッチ棒二、三本ほどの重さだった)彼を見上げながらニッコリと笑いかけた。

「……私を好き?」

 話しかけているのは、声ではなかった。それは彼女の目なのだった。

「いい? あなたも目で話すの。お祈りと同じだわ。声なんか出しちゃ駄目よ。だって、私、吹き飛ばされちゃうかもしれないもの」

「……わかった。目で話そう」

 それが、彼が彼女に逢い、目で言葉をかわしはじめた最初だった。……いつのまにか、彼はたとえそれが夢であり、自分の狂気がつくりあげた幻影であるとしても、彼女といるその時間を失うのが惜しくなりはじめた。彼女が、どこからどうやってこの高層アパートの最上階に来たのか、彼女の正体はなにか、そんなことはどうでもいいと思った。問題は、いまげんに彼女がぼくの目に見えているという事実だ。せっかくやってきたこの可愛らしい、貴重な、すばらしいお客を失いたくない。ただそれだけで彼は夢中だった。

「……ねむいわ。どこか眠るところない?」

 やがて、彼女はいった。彼は、そっと両手でかこうようにして彼女を自分の机の上に運び、その抽斗《ひきだ》しの一つに、柔らかな絹ハンカチと綿とで彼女のベッドをつくった。

「おやすみ」

 未練な自分の気持ちをそこにしまいこむみたいに、彼はそっと抽斗しを押してやった。彼女はベッドの上で大きな欠伸《あくび》をしながら、机の中にかくれた。

 彼は、自分がふたたび彼女を見ることができるとは、つまり明日もこの錯乱がつづいていることは、信じられなかった。だが、彼はその抽斗しを閉めるとき、通風のごく細い隙間をのこすのを忘れなかった。

 

 眠りこけている妻のとなりのベッドに横になると、彼は、しばらくは煙草《たばこ》をふかしつづけた。ばかげた幻覚だと思った。が、奇妙に幸福な気分ものこっていた。……ふと、妻の寝息がうるさく耳についた。休息中の巨大な機関車のような眠っている妻をながめ、そのときはじめて彼は、結婚してまる三年、妻への自分の愛が、いまでは一つの義務に似た負担になっていることをはっきりと感じとった。

 翌日の出勤まえ、念のため昨夜の抽斗しをひらいて、彼はあやうく声をあげるところだった。小さな彼女は、ちゃんとそこにいたのだ。

「もうお出かけ?」

 眩《まぶ》しげに目をひらくと、いたずらっぽく彼女は笑いかけた。「安心してらっしゃい。私、あなたに無断で消えちゃったりはしないわ。ほんとよ、当分ここにいるわ」

 そのときとなりの部屋から妻がいった。

「早くしないと遅れるわよ。大丈夫なの?」

 まるで雷鳴のように、無数のバケツを土間にほうり出したみたいに、その声は彼の全身にひびいた。……ふつうの声音だったのだが。

 

 それから、彼と身長5センチの彼女との交際がはじまった。彼は毎日いそいで会社から帰ると、抽斗しの鍵をあける。(ただの夢ではなかったとわかったとき、彼は彼女の部屋を鍵のかかる抽斗しへと移した。鍵穴は通風孔によかった。)そして、いつもなにから伝えようかと惑いながら、彼女との「目で」のお話をはじめる。

 どうやら、彼は気が狂ったのではなかった。小さな彼女は幸運の女神なのか、会社での勤務も評判がよく、彼の位置も課長補佐にあがった。ただ、彼はだれにも――もちろん、妻にさえも――この小さな彼女のことはいわなかった。彼女は、彼の、彼だけの大切な秘密だった。

 彼女との話はたのしかった。おそらく、彼女はちがう星の生物に違いなかった。彼は、彼女から、月が四つある星の話や、それらの星たちの上での奇妙な習慣、彼女の星では実現されているタイム・マシン、宇宙旅行用のロケットの話など、彼には想像もつかない別世界の話を聞くのだった。その中にはロボットの話もあったし、意のままのものを出現させたり、時間、空間を無視して、自分を好きなところに、好きな形で存在させうる星の生物たちの話も、自分たちの手で作りあげたエネルギーで全滅した星、宇宙間の戦いの話もあった。また、いまごろ旧式の空飛ぶ円盤におどろいている星や、その存在を信じないという、彼女にいわせれば「知能の遅れた生物」の支配する星での出来ごとなどもあった。

 彼女の衣裳は、そのときの光によって変化するのだった。月夜には月光の色に、太陽の照る昼は、きらめく黄金色に、朝は昧爽《まいそう》のバラ色に、夕暮はあたたかい茜《あかね》色に、そして雨の夜は、正確にその濡れた闇の色に。彼女は、まるで空気だけで充分だというみたいに、なにも食べなかった。いつもニコニコと蠱惑《こわく》的にやさしかった。彼が目ざめたときに目ざめ、彼が眠るときに眠り、彼が見ていないときは、まるでどこにも存在しないもののように、彼女も彼を見ない。……

 彼の生活は、この5センチたらずの彼女をめぐってまわった。毎日、彼は飽きもせず彼女の話を聞き、彼女に見惚れつづけた。彼女はしだいに彼には欠くべからざるもの――恋人に近いものになっていった。彼は彼女を愛し、彼女といっしょに話しあっているときが、彼にとっての最高の幸福な時間だった。彼は、ほとんど妻をかまいつけないようになった。

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チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第四章「最後の精霊」(日本語朗読)

2022-12-16 17:41:20 | 日記

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第四章「最後の精霊」(日本語朗読)

 

チャールズ・ディケンズ作【クリスマス・キャロル】の第四章「最後の精霊」の日本語朗読バージョンです。

一言も発しない黒ずくめの精霊に導かれ、スクルージは、自分の死という人生最大の問題に向き合うことになります。

 

太宰治「メリイクリスマス」の後半を以下に転記します。

 

メリイクリスマス(後半)

太宰治

 

 私は自惚れた。母に嫉妬《しっと》するという事も、あるに違いない。私は話頭を転じた。

「アリエル?」

「それが不思議なのよ。」案にたがわず、いきいきして来る。「もうせんにね、あたしが女学校へあがったばかりの頃、笠井さんがアパートに遊びにいらして、夏だったわ、お母さんとのお話の中にしきりにアリエル、アリエルという言葉が出て来て、あたし何の事かわからなかったけど、妙に忘れられなくて、」急におしゃべりがつまらなくなったみたいに、ふうっと語尾を薄くして、それっきり黙ってしまって、しばらく歩いてから、切って捨てるように、「あれは本の名だったのね。」

 私はいよいよ自惚れた。たしかだと思った。母は私に惚れてはいなかったし、私もまた母に色情を感じた事は無かったが、しかし、この娘とでは、或《ある》いは、と思った。

 母はおちぶれても、おいしいものを食べなければ生きて行かれないというたちのひとだったので、対米英戦のはじまる前に、早くも広島辺のおいしいもののたくさんある土地へ娘と一緒に疎開《そかい》し、疎開した直後に私は母から絵葉書の短いたよりをもらったが、当時の私の生活は苦しく、疎開してのんびりしている人に返事など書く気もせずそのままにしているうちに、私の環境もどんどん変り、とうとう五年間、その母子との消息が絶えていたのだ。

 そうして今夜、五年振りに、しかも全く思いがけなく私と逢って、母のよろこびと子のよろこびと、どちらのほうが大きいのだろう。私にはなぜだか、この子の喜びのほうが母の喜びよりも純粋で深いもののように思われた。果してそうならば、私もいまから自分の所属を分明にして置く必要がある。母と子とに等分に属するなどは不可能な事である。今夜から私は、母を裏切って、この子の仲間になろう。たとい母から、いやな顔をされたってかまわない。こいを、しちゃったんだから。

「いつ、こっちへ来たの?」と私はきく。

「十月、去年の。」

「なあんだ、戦争が終ってすぐじゃないか。もっとも、シズエ子ちゃんのお母さんみたいな、あんなわがまま者には、とても永く田舎で辛抱《しんぼう》できねえだろうが。」

 私は、やくざな口調になって、母の悪口を言った。娘の歓心をかわんがためである。女は、いや、人間は、親子でも互いに張り合っているものだ。

 しかし、娘は笑わなかった。けなしても、ほめても、母の事を言い出すのは禁物の如くに見えた。ひどい嫉妬だ、と私はひとり合点《がてん》した。

「よく逢えたね。」私は、すかさず話頭を転ずる。「時間をきめてあの本屋で待ち合せていたようなものだ。」

「本当にねえ。」と、こんどは私の甘い感慨に難なく誘われた。

 私は調子に乗り、

「映画を見て時間をつぶして、約束の時間のちょうど五分前にあの本屋へ行って、……」

「映画を?」

「そう、たまには見るんだ。サアカスの綱渡りの映画だったが、芸人が芸人に扮《ふん》すると、うまいね。どんな下手《へた》な役者でも、芸人に扮すると、うめえ味を出しやがる。根が、芸人なのだからね。芸人の悲しさが、無意識のうちに、にじみ出るのだね。」

 恋人同士の話題は、やはり映画に限るようだ。いやにぴったりするものだ。

「あれは、あたしも、見たわ。」

「逢ったとたんに、二人のあいだに波が、ざあっと来て、またわかれわかれになるね。あそこも、うめえな。あんな事で、また永遠にわかれわかれになるということも、人生には、あるのだからね。」

 これくらい甘い事も平気で言えるようでなくっちゃ、若い女のひとの恋人にはなれない。

「僕があのもう一分《いっぷん》まえに本屋から出て、それから、あなたがあの本屋へはいって来たら、僕たちは永遠に、いや少くとも十年間は、逢えなかったのだ。」

 私は今宵《こよい》の邂逅《かいこう》を出来るだけロオマンチックに煽《あお》るように努めた。

 路は狭く暗く、おまけにぬかるみなどもあって、私たちは二人ならんで歩く事が出来なくなった。女が先になって、私は二重まわしのポケットに両手をつっ込んでその後に続き、

「もう半丁? 一丁?」とたずねる。

「あの、あたし、一丁ってどれくらいだか、わからないの。」

 私も実は同様、距離の測量に於いては不能者なのである。しかし、恋愛に阿呆《あほう》感は禁物である。私は、科学者の如く澄まして、

「百メートルはあるか。」と言った。

「さあ。」

「メートルならば、実感があるだろう。百メートルは、半丁だ。」と教えて、何だか不安で、ひそかに暗算してみたら、百メートルは約一丁であった。しかし、私は訂正しなかった。恋愛に滑稽《こっけい》感は禁物である。

「でも、もうすぐ、そこですわ。」

 バラックの、ひどいアパートであった。薄暗い廊下をとおり、五つか六つ目の左側の部屋のドアに、陣場という貴族の苗字が記《しる》されてある。

「陣場さん!」と私は大声で、部屋の中に呼びかけた。

 はあい、とたしかに答えが聞えた。つづいて、ドアのすりガラスに、何か影が動いた。

「やあ、いる、いる。」と私は言った。

 娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたと思うと、いきなり泣き出した。

 母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる間際《まぎわ》のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという。

 娘はひとり東京へ帰り、母方の親戚《しんせき》の進歩党代議士、そのひとの法律事務所に勤めているのだという。

 母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。

 私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。

 私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。

 母は、うなぎが好きであった。

 私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。

「いらっしゃいまし。」

 客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。

「大串《おおぐし》がよござんすか、小串が?」

「小串を。三人前。」

「へえ、承知しました。」

 その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪《しちりん》をあおぐ。

「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」

「へえ。もうひとかたは? あとで?」

「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。

「へ?」

「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」こんどは私も少し笑って言った。

 若い主人は、私の言葉を何と解したのか、

「や、かなわねえ。」

 と言って笑い、鉢巻《はちまき》の結び目のところあたりへ片手をやった。

「これ、あるか。」私は左手で飲む真似《まね》をして見せた。

「極上がございます。いや、そうでもねえか。」

「コップで三つ。」と私は言った。

 小串の皿が三枚、私たちの前に並べられた。私たちは、まんなかの皿はそのままにして、両端の皿にそれぞれ箸《はし》をつけた。やがてなみなみと酒が充たされたコップも三つ、並べられた。

 私は端のコップをとって、ぐいと飲み、

「すけてやろうね。」

 と、シズエ子ちゃんにだけ聞えるくらいの小さい声で言って、母のコップをとって、ぐいと飲み、ふところから先刻買った南京豆の袋を三つ取り出し、

「今夜は、僕はこれから少し飲むからね、豆でもかじりながら附き合ってくれ。」と、やはり小声で言った。

 シズエ子ちゃんは首肯《うなず》き、それっきり私たちは一言も、何も、言わなかった。

 私は黙々として四はい五はいと飲みつづけているうちに、屋台の奥の紳士が、うなぎ屋の主人を相手に、やたらと騒ぎはじめた。実につまらない、不思議なくらいに下手くそな、まるっきりセンスの無い冗談を言い、そうしてご本人が最も面白そうに笑い、主人もお附き合いに笑い、「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ妾宅《しょうたく》ハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向ウガマイッチャテネエ、……」という工合《ぐあ》いの何一つ面白くも、可笑《おか》しくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の酔客のユウモア感覚の欠如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑い合っても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとおる師走ちかい人の流れを、ぼんやり見ているばかりなのである。

 紳士は、ふいと私の視線をたどって、そうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを眺《なが》め、だしぬけに大声で、

「ハロー、メリイ、クリスマアス。」

 と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。

 何というわけもなく、私は紳士のその諧《かい》ぎゃくにだけは噴《ふ》き出した。

 呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、大股《おおまた》で歩み去る。

「この、うなぎも食べちゃおうか。」

 私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。

「ええ。」

「半分ずつ。」

 東京は相変らず。以前と少しも変らない。

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チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第四章「最後の精霊」(英語原文朗読+和英対照表)

2022-12-12 11:56:27 | 日記

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第四章「最後の精霊」(英語原文朗読+和英対照表)

 

チャールズ・ディケンズ作【クリスマス・キャロル】、第四章「最後の精霊」の(英語原文朗読+和英対照表)バージョンです。

三番目、つまり最後に現れたのは、「未来の精霊」です。この精霊は、黒ずくめの格好で、手先だけが見えており、残りの部分はまったくわかりません。おまけに、この精霊は何も語りません。手で方向を指さすだけです。

この精霊とともに、スクルージは、未来のクリスマスに入っていきます。そして、自分の死という人生最大の問題と向き合うことになります。

 

太宰治がクリスマスをテーマにした短編を書いています。

概要欄に転記するには少し長いので、前半と後半の二つに分けます。

 

 

メリイクリスマス(前半)

太宰治

 

 東京は、哀《かな》しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行《いちぎょう》に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。

 私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。

「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変って居りません。もちろん形而下《けいじか》の変化はありますけれども、形而上の気質に於いて、この都会は相変らずです。馬鹿は死ななきゃ、なおらないというような感じです。もう少し、変ってくれてもよい、いや、変るべきだとさえ思われました。」

 と私は田舎《いなか》の或《あ》るひとに書いて送り、そうして、私もやっぱり何の変るところも無く、久留米絣《くるめがすり》の着流しに二重まわしをひっかけて、ぼんやり東京の街々を歩き廻っていた。

 十二月のはじめ、私は東京郊外の或る映画館、(というよりは、活動小屋と言ったほうがぴったりするくらいの可愛らしくお粗末な小屋なのであるが)その映画館にはいって、アメリカの写真を見て、そこから出たのは、もう午後の六時頃で、東京の街には夕霧《ゆうぎり》が烟《けむり》のように白く充満して、その霧の中を黒衣の人々がいそがしそうに往来し、もう既にまったく師走《しわす》の巷《ちまた》の気分であった。東京の生活は、やっぱり少しも変っていない。

 私は本屋にはいって、或る有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買い、それをふところに入れて、ふと入口のほうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない。

 吉か凶か。

 昔、追いまわした事があるが、今では少しもそのひとを好きでない、そんな女のひとと逢《あ》うのは最大の凶である。そうして私には、そんな女がたくさんあるのだ。いや、そんな女ばかりと言ってよい。

 新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?

「笠井さん。」女のひとは呟《つぶや》くように私の名を言い、踵《かかと》をおろして幽《かす》かなお辞儀をした。

 緑色の帽子をかぶり、帽子の紐《ひも》を顎《あご》で結び、真赤なレンコオトを着ている。見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、私の思い出の中の或る影像とぴったり重って来た。

「シズエ子ちゃん。」

 吉だ。

「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」

「いいえ。アリエルというご本を買いに来たのだけれども、もう、いいわ。」

 私たちは、師走ちかい東京の街に出た。

「大きくなったね。わからなかった。」

 やっぱり東京だ。こんな事もある。

 私は露店から一袋十円の南京豆《ナンキンまめ》を二袋買い、財布《さいふ》をしまって、少し考え、また財布を出して、もう一袋買った。むかし私はこの子のために、いつも何やらお土産《みやげ》を買って、そうして、この子の母のところへ遊びに行ったものだ。

 母は、私と同じとしであった。そうして、そのひとは、私の思い出の女のひとの中で、いまだしぬけに逢っても、私が恐怖困惑せずにすむ極めて稀《まれ》な、いやいや、唯一、と言ってもいいくらいのひとであった。それは、なぜであろうか。いま仮りに四つの答案を提出してみる。そのひとは所謂《いわゆる》貴族の生れで、美貌《びぼう》で病身で、と言ってみたところで、そんな条件は、ただキザでうるさいばかりで、れいの「唯一のひと」の資格にはなり得ない。大金持ちの夫と別れて、おちぶれて、わずかの財産で娘と二人でアパート住いして、と説明してみても、私は女の身の上話には少しも興味を持てないほうで、げんにその大金持ちの夫と別れたのはどんな理由からであるか、わずかの財産とはどんなものだか、まるで何もわかってやしないのだ。聞いても忘れてしまうのだろう。あんまり女に、からかわれつづけて来たせいか、女からどんな哀れな身の上話を聞かされても、みんないい加減の嘘《うそ》のような気がして、一滴の涙も流せなくなっているのだ。つまり私はそのひとが、生れがいいとか、美人だとか、しだいに落ちぶれて可哀《かわい》そうだとか、そんな謂《い》わばロオマンチックな条件に依《よ》って、れいの「唯一のひと」として択《えら》び挙げていたわけでは無かった。答案は次の四つに尽きる。第一には、綺麗《きれい》好きな事である。外出から帰ると必ず玄関で手と足とを洗う。落ちぶれたと言っても、さすがに、きちんとした二部屋のアパートにいたが、いつも隅々《すみずみ》まで拭《ふ》き掃除《そうじ》が行きとどき、殊にも台所の器具は清潔であった。第二には、そのひとは少しも私に惚《ほ》れていない事であった。そうして私もまた、少しもそのひとに惚れていないのである。性慾に就《つ》いての、あのどぎまぎした、いやらしくめんどうな、思いやりだか自惚《うぬぼ》れだか、気を引いてみるとか、ひとり角力《ずもう》とか、何が何やら十年一日どころか千年一日の如き陳腐《ちんぷ》な男女闘争をせずともよかった。私の見たところでは、そのひとは、やはり別れた夫を愛していた。そうして、その夫の妻としての誇を、胸の奥深くにしっかり持っていた。第三には、そのひとが私の身の上に敏感な事であった。私がこの世の事がすべてつまらなくて、たまらなくなっている時に、この頃おさかんのようですね、などと言われるのは味気ないものである。そのひとは、私が遊びに行くと、いつでもその時の私の身の上にぴったり合った話をした。いつの時代でも本当の事を言ったら殺されますわね、ヨハネでも、キリストでも、そうしてヨハネなんかには復活さえ無いんですからね、と言った事もあった。日本の生きている作家に就いては一言も言った事が無かった。第四には、これが最も重大なところかも知れないが、そのひとのアパートには、いつも酒が豊富に在った事である。私は別に自分を吝嗇《りんしょく》だとも思っていないが、しかし、どこの酒場にも借金が溜って憂鬱《ゆううつ》な時には、いきおいただで飲ませるところへ足が向くのである。戦争が永くつづいて、日本にだんだん酒が乏しくなっても、そのひとのアパートを訪れると、必ず何か飲み物があった。私はそのひとのお嬢さんにつまらぬ物をお土産として持って行って、そうして、泥酔《でいすい》するまで飲んで来るのである。以上の四つが、なぜそのひとが私にとって、れいの「唯一のひと」であるかという設問の答案なのであるが、それがすなわちお前たち二人の恋愛の形式だったのではないか、と問いつめられると、私は、間抜け顔して、そうかも知れぬ、と答えるより他は無い。男女間の親和は全部恋愛であるとするなら、私たちの場合も、そりゃそうかも知れないけれど、しかし私は、そのひとに就いて煩悶《はんもん》した事は一度も無いし、またそのひとも、芝居がかったややこしい事はきらっていた。

「お母さんは? 変りないかね。」

「ええ。」

「病気しないかね。」

「ええ。」

「やっぱり、シズエ子ちゃんと二人でいるの?」

「ええ。」

「お家は、ちかいの?」

「でも、とっても、きたないところよ。」

「かまわない。さっそくこれから訪問しよう。そうしてお母さんを引っぱり出して、どこかその辺の料理屋で大いに飲もう。」

「ええ。」

 女は、次第に元気が無くなるように見えた。そうして歩一歩、おとなびて行くように見えた。この子は、母の十八の時の子だというから、母は私と同じとしの三十八、とすると、……。

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チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第三章「第二の精霊」(日本語朗読)森田草平訳

2022-12-09 22:00:48 | 日記

チャールズ・ディケンズ【クリスマス・キャロル】第三章「第二の精霊」(日本語朗読)森田草平訳

 

【クリスマス・キャロル】の第三章「第二の精霊」の日本語朗読バージョンです。今回は、前の二回にも増して、日本語にかなり手を入れました。聞き取りやすくなっているといいのですが。

この第三章は、ディケンズの思想を最もよく表しているように私には思えます。

 

前に取り上げた宮本百合子が、ソビエト連邦時代におけるモスクワのクリスマスの様子を伝えてくれています。

社会主義とクリスマスという、ある意味で正反対のものがどう両立するのだろう。その疑問がわきますが、この文章を読むと(特にソ連という国の断末魔を知っている世代として)、この宮本の報告にはちょっと寒気がします。

ディケンズとの対比は明らかです。

 

モスクワの姿

――あちらのクリスマス――

宮本百合子


 モスクワに着いてやっと十日めだ。
 一九二七年のクリスマスの朝だが、どういうことがあるのか自分たちには見当がつかない。
 ソヴェト同盟で、街じゅうが赤旗で飾られるのは春のメー・デー、十一月の革命記念祝祭などだ。
 クリスマスそのものが、誰の降誕祭かと云えばイエス・キリストで、眼の丸かった赤坊ウォロージャ(レーニン)の誕生日ではない。ロシア語はろくに読めないが、国立出版所(ゴスイズダート)で插画が面白いから買った本が一冊ある。題は「聖書についての愉快な物語」。第一頁をやっとこさ読んで見たら、こんな風に書いてあった。
「諸君。一冊の本がある。それを教会で坊主が読むときには、みんな跪いて傾聴する。開けたり閉めたりする時には、一々接吻する。その本の名は聖書だ。
 ところで、聖書には、神の行った実に数々の奇蹟が書かれている。神は全智全能だと書かれている。けれども、妙なことが一つある。それは、その厚い聖書を書いたのは神自身ではない。みんな神の弟子たちだということだ。ヨブだのマタイだのと署名して弟子が書いている。全智全能だと云いながら、して見ると神というものは本はおろか、自分の名さえ書けなかった明きめくらだったんだ。云々」
 ――モスクワのどの店頭にだって、Xマス売出しはない。
 厳冬(マローズ)で、真白い雪だ。家々の煙出しは白樺薪の濃い煙を吐き出している。赤と白とに塗った古い大教会のあるアルバート広場へ行ったら、雪を焚火のおきでよごして、門松売りのようにクリスマスの樅の木売りが出ている。女連が買物籠を片腕にひっかけ、片っ方の手で頻りに大きい樅の枝をひっぱり出しては、値切っている。
 自分たちは、ホテル暮しだ。
 その上、樅の木にローソクをつけて、三鞭酒をのむというような習慣は子供のときから持ち合わせていない。
 橇にのっかって、別の、そこの廊下には絨毯を敷いてあるホテルへ行った。
 黒田礼二がドイツから来ている。
 コスモポリタンになっている黒田礼二はブルジョア・ヨーロッパの感情でクリスマスというものをハッキリ感情するらしい。
 今夜ローソクが点(とも)る樅の木を買って君達のホテルへ行くから、お茶でものませて、ということになった。
 自分は夕方、紙切れを握って塩漬キャベジの匂いのする食糧販売店の減った石段をトン、トン、トンと下りて行った。
 紙切れを見ては、あやしい発音でイクラを買った。漬胡瓜を買った。
 ハムを買った。
 黒田君の買って来た樅の木は小ぢんまり植木鉢におさまり、しかも二寸ぐらいの五色のローソクを儀式どおり緑の枝々につけている。
 灯がついたら銀のピラピラが樅の枝で氷華のように輝いてキレイだ。
 夜がふけて見たら、サモワールの湯気で、凍った窓にそれよりもっと綺麗な氷華がついていた。

 一九二八年のクリスマスは、クリスマスということを忘れてすごした。
 雪をよごして零下十二度の夜焚火をする樅の木売りも、モスクワの目抜きの広場からは姿を消した。
 レーニングラードの『労働婦人と農婦』は十五万部売って、レーニングラード『プラウダ』を経済的にもりたてている。
 主筆が三十六七のギメレウスカヤだ。彼女には五つばかりの女の児がある。「チャンバレーン」という犬を飼っている。その児が云った。
「母さん! 樅の木伐(き)るの可哀そうだから、いらないヨ」
 モスクワ全市の労働者クラブで、夜あけ頃まで反宗教の茶番や音楽やダンスがあった。

 五ヵ年計画がソヴェト同盟に実行されはじめて、教会と坊主は、プロレタリアートと農民の社会主義社会建設の実践からすっかりボイコットされてしまった。
 農村で、青年・貧農・中農たちが現実に有利な集団農場を組織しようとする。農村ブルジョアの富農は反対で、窓ガラス越しに鉄砲をブチ込み積極的な青年を殺したりした。坊主をおふせで食わせ飲ますのは富農だ。坊主と富農は互に十字架につらまって、農村の集団化の邪魔をする。
 坊主を村から追っぱらえ!
 レーニンの云った通り、社会主義建設の実際からソヴェト同盟の反宗教運動は完成された。
 一九二九年、坊主はXマスであった日にパン屋の入口に職業服のまんま立って乞食していた。

〔一九三一年十二月〕

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