毎日が休日、盆と正月のオメデタイ生活をしているから、先週の立山ナダレ事故のニュースで、その週末が連休だったと気がついた。
山スキー用の兼用靴と貼り付けシールが世に出たしたのが、確か30年程前。
そしてその頃から山スキーを始めたワタクシ、テントを担いでまずは立山へ。5月の連休、雷鳥沢をベースにして剣沢を平蔵谷の出会いまで、剣沢滑降デビュウ。
翌年は三ノ窓雪渓を滑るべく、二俣まで降りてテントを張ったが、ズッと降雪。1/3程登った所でギブアップ。
二晩、プロック雪崩の音を聞きながら過ごし、次の日、ハシゴ谷を登り、内蔵助谷を黒部川へ滑り降り、黒四ダムへ着いたものの、扇沢側はまだ開通しておらず、関電のトンネルを延々と歩いて扇沢の駅でビバーグ。
関電のトンネルを歩いたのは三回目だったが、雪を吸ったテントがとにかく重かった。
しかし、まだ三十代、元気だった。
その後も立山通いは続いたが、行くのはいつも五月の連休。11月末の新雪シーズンは知りません。
大体、雪の締まっていない新雪は、ワタクシのレベルでは楽しく滑れないし、営業職は気持ち的にも年末間近に山スキーをする余裕などなかった。
今回のナダレ事故、新聞等の写真を見るとかなりデカイ。大走りの稜線から大走谷をズドンと落ちて、雷鳥沢のテント場近くまで雪煙が届いている。これはスゴイ。
この写真は08年5月。
別山のテッペンから真下に落ちる谷を滑って大走谷に降り、室堂へ登り返し、振り返って撮った写真。右手からなだらかに写真中央へ下る尾根が大走りの稜線のハズだから、今回のナダレはその稜線の裏側だと思う。
この尾根周辺は雷鳥沢でテントを張って、悪天停滞続いて、それが好天になりそうな午後、チョコッと登って滑り降りたりしたエリアだ。
しかし、それをするのはいつも尾根沿い。
今回のナダレ事故、新聞の記事によると、稜線から男性が急斜面を滑り降り、数ターンした後、ドンと亀裂が入り、ズズズッと雪崩れ、7人が巻き込まれたとのこと。
と言う事は、稜線から裏の大走谷に向かって降りたと言うコト?、もしそうだとするとこれはスゴイ。
22日までの2週間はズッと降雪で、富山側からのパスはほぼ運休していて、ナダレのあった23日、やっと晴れたそうで、いずれにせよ、ドナイ考えてもかなりヤバい状況、と全てのニンゲンは思うハズ。
それなのに谷側に下る?ホンマにその人達はそんなコワい行為をやったンだろうか。
深雪でもラクぅに上手に滑れるファットの板履いて、ビーコン持ってルから、何かあってもダイジョウブ、と信じていたンだろうか。
一体、どんな人達なんだろか。
新聞の記事では、亡くなったのは、40歳前後の東京の夫婦と、それとは別の5人のグループらしい。
5人のグループは、東京は世田谷区の女性59歳と男性72歳、国分寺の男性46歳、埼玉県の男性55歳、そして姫路市の女性58歳、となっている。
これはどんな関係?ネットなどで知り合った関係?
姫路市の女性58歳は関学のWV部のOB会常任幹事で、スキーはプロ級だとか。毎年海外へ滑りに行くそうで、親族が兵庫県議会議員らしい。所謂、お金持ちの活発なお嬢さんだったンでしょうね。
そして皆さん、この時期の立山初滑りの常連だったそうで、ワタクシなど足元にも及ばないスキー名人だと察します。
毎年来ているこの時期、降雪直後とは言え谷側に降りてもダイジョウブ、ナダレても大したコトない、埋まってもビーコンで見つけてもらえるし、ファットの板で新雪を快適に滑ってやろう、そして大走谷に突っ込んだ。と言うコトなんでしょうか。
しかし、この冬は、と言うか最近はチョット、いやかなり状況が違っている。いや、状況が違うのはその前の、秋も、夏も、春も、だったと思う。
温暖化がもたらす自然災害の凄さ、舐めてはいけない。
ワタクシはいつも単独、ビーコンは持たないので、もし雪崩で埋まっても雪解けまで見つからない、絶対に。
いや他人様があまり行かない所で埋まるかもしれないので、雪が解けてもズゥ~っと見つからないかも知れない。
まぁ扶養義務もないし、親も死んでルし、この世に未練もないのでそれでもイイけど、ただ圧死、窒息死は辛そうだし、とりあえずこれからのシーズン、より一層、気を付けることにする。
降雪時及び降雪直後は山に入らない、斜面のド真ん中を登り降りしない、そして何かあったらオシマイと覚悟する。ただそれだけ。