特殊機械メーカーの営業部でまだ現役の売り子だった頃、体力維持とストレス解消目的で、ほぼ毎週裏六甲へ通っていた。
百間滝経由で白石谷へ出てそこを登り返し、一軒茶屋でビール1本呑んだ後は、魚屋道か白石谷、元気があれば縦走路を戻りまた番匠屋畑尾根を下る。そう言うコースだった。
累計標高差で多分1000m程度、それ位は登らないと、仕事による精神的疲労は破壊出来なかった。
何度も通うとただ歩くだけには飽きてきて、片手に火バサミ、片手にレジ袋を携え、ゴミ拾いを兼ねて登り降りする事にした。
キマグレな営業TOPが強引に開設した広島営業所は、3年後またもやキマグレに閉鎖され、ワタクシの単身赴任が終わった頃だった。
このコースにはズッと気になっていたゴミが2つあった。
番匠屋畑尾根のロープウェイ支柱を過ぎて、いくつか登り降りした後の下りの、右手の藪にはポット。これは、登山者がザックに入れているテルモスと言うスマートなモノではない、フツーの家の台所にあるヤツ。
もう一つは、百間滝の巻き道を下り終えた谷筋近くに置かれた毛布。この毛布はキッチリ畳まれ、その20年近く前、氷結した滝巡りをしていた頃からあった。
ポットは登りでレジ袋に回収して、携えたまま一軒茶屋そばのゴミコンテナに持って上がり、毛布は帰り、白石谷を下り百間滝谷を登り返し回収、ロープウェイ駅近くのゴミコンテナまで持って降りた。細かい根がビッシリまとわり付き、グッシリ水を含んで、下りとは言え駅まではズッシリ重かった。
オール・オァ・ナッシングなワタクシ、ヤルとなると徹底的にやらないと気が済まない。
毎週新たなゴミが発生する紅葉谷、魚屋道では崖を上り下りしてまで、途中に引っ掛かっているペットボトルなどを拾いまくった。
堰堤のウラ底に降り立つと、そこはゴミ捨て場の様だった。ゴミを収めるレジ袋は1枚や2枚では足りなくなった。
番匠屋畑尾根、白石谷は新たなゴミは少なかったが、地面からチョコッと出ているビニールやポリを引っ張ると昔のゴミがそれらに包まれて次々と出てきた。
デザインが懐かしい様々なポリ袋や、腐食してボロボロになる前のジュースの缶、販売され始めた頃の携帯ガスコンロもあった。
それらの多くは、チョット見晴らしの良い所に多かった。そんな場所で休憩した後、不要なモノを埋めたのか。その時代はゴミは埋めるモノ、と言うのが常識だったのか。
しかしナゼ、ガスコンロまで捨てたのか、故障?、もうその頃は既に、修理して使う文化から使い捨て文化になっていたのか。
白石谷を登りきった、堰堤工事の関連現場(?)跡近くには、斜面の藪から弁当の空パックが次々と出てきた。ハイキングで休憩するような場所ではなかったので、工事作業者が残していったのだろうか。
いずれにせよ、残されたモノを分解出来る微生物がその場所に無い限り、それらは何十年もそのままだ。
植物、つまり果物の皮も干からびて、残ったままのモノが多かった。
白さが目立つティッシュは雨では溶けない。それを火バサミで摘み上げると、その下には大キジが鎮座していた。それらを分解できる菌がそこには無かったと言う事だ。
ニンゲンが出すあらゆるモノは、自然に残してはいけない。
しかし、残してはいけないニンゲンの生産物が大量、裏六甲にあった。
大量生産、大量消費はタダの大量廃棄、つくづくそう思った。
それから、3点支持が必要な箇所に残されたロープ。
フィックスロープは設置した者が必ず撤去しないといけないし、他人が残したフィックスロープは使っていけない。これらは山登りの常識のハズ、山の雑誌などにも初心者向特集などに、そんなレクチャーが載っている。
しかし沢山のロープがボロボロになっても残っている。しかもそれらは登攀用のザイルではなく、最近は¥100ショップでも売っているトラロープ。荷重目的ではなく、確か標識用(?)、山では単なるゴミ。
しかし、そのゴミに全体重を掛けて登って行くハイカーを見掛ける。アドベンチャー気分で楽しんでいるみたいに。切れたらどうすンの?
有馬から湯槽谷を登って番匠屋畑尾根に上がる手前、10m程の3点支持が必要なガケがあって、しかしホールドもスタンスも豊富で、フリクションも効くのでスタスタスタと登れる。
そこにトラロープが昔から垂れ下がっている。踏まれてケバ立っている部分もある。
前から気になっていたそのボロロープを回収し、ついでに尾根上にチョコチョコ残っているロープも回収して行くと、レジ袋はパンパンになった。
尾根上のロープは急な階段部に張られていて、しかしそれを掴もうとすると、より崖側に寄ることになり、よりコワイ。逆サイドには掴みやすい灌木が沢山生えている。ナゼこんな所に張ったンだろう。
山はロープを使うノがカッコイイ、そう言う浅はかなヒロイズムでもあったのか。タダのゴミなのに。
白竜滝の通常の巻き道のそばに、新しいロープが残されていたことがあって、「あかもろこし登山隊」と書かれたテープが付いていた。
多分巻き道とは別のルートを登って、浅はかなヒロイズムを残したかったのだろうが、「このゴミを捨てたのは“あかもろこし登山隊”というおバカです」と、白状しているだけに見えた。
いずれにせよ、タダのゴミ、直ぐ回収してロープウェイ下のゴミコンテナまで持って降りた。
古いロープを外すと、それがくくり付けられていた木々の幹や枝には、深いクビレが現れた。深く喰い込んで外すのが大変な木もあった。
木の成長に伴って、そこだけがキツク縛られた形になっている。これは拷問だ。
山川草木悉有仏性のクニだったのに、ホントに嘆かわしい。
しかし、番匠屋畑尾根に上がる手前の10m程のガケには翌週、またロープが垂れ下がっていた。
踏み跡がない谷筋にも張られていた。藪漕ぎの様な感じになるので、もう誰もそこを辿らないハズ、いずれにせよ周りはロープだらけ。何本ものルートが開拓中の大岩壁の様、と言ったら大げさか。
それらを全て片付けた更に翌週、またトラロープは垂れ下がっていて、それがくくり付けられている灌木の根元には、「ロープを外すイタズラはやめろ、カラト山岳会」と書かれた板がぶら下がっていた。
「カラト山岳会」などと言う山岳グループは聞いた事がない。一体ナニ者なのか、いずれにせよ、「イタズラ」とは聞き捨てならない。
ワタクシは翌週、板の上に“お返事”をぶら下げた。
「このトラロープは標識用であり登山に使うモノではない、劣化するとわずかな荷重で切れる危険性あり、また他人が張ったロープを使うな、が登山の常識、我々には目障りな邪魔物、早々に撤去せよ」、そう言う事を書いた。
翌週、カラト山岳会は早速、“お返事”をぶら下げていた。
どうやら彼らは70歳を超える老人グループのようで、週に何度も朝早くここを下り、温泉に行っているらしい。そしてここで落ちたことがあるようだった。
朝早くここを下ると言う事は、西の方角から登って来ている訳で、確かに尾根を越えて西側の谷を下ると唐櫃台と言う団地に着く。
その団地のジイサン達が、自分たちの都合で勝手にぶら下げたロープ。
もう一度何らかの“お返事”をしようかと思ったが、「我々が責任を持ってこのロープを管理する」とまで書いてあったし、ジイサン相手に大人気ない真似はヤメることにした。
10年近く前の真冬だった。あの時のジイサン達、今はもう80歳を越えているハズ、何人かはアッチへ逝ったかも知れない。
その後ワタクシの体力維持とストレス解消手段は、自転車に移って行き、更に数年後には早期退職したのでストレスとは無縁になり、六甲山とのゴミとは関わらなくなった。
ところで先週、驚きの新聞記事が目に付いた。
8月11日が「山の日」となる改正祝日法が成立した日、その記事のタイトルは「反則ハイカー 登山道“整備”」だった。
ナント、ロックガーデン周辺に5m程の脚立を設置したり、斜面の岩を階段状に削ったりして、登山道を“整備” している「超おバカ」がいる、と言うのだ。
高座川はかなり奥まで車で入れるが、その先は茶店の横を通り高座の滝を越えて、脚立やツルハシ(?)を運び上げないといけない。
¥100ショップでトラロープを持って上がるのとはレベルが違う。唐櫃台団地のジイサン達の行為が可愛らしく見える。
5mの脚立と言う超粗大ゴミを置く行為、岩を削ると言う直接破壊行為。
コイツらは一体ナニ者なのか。そう言う行為でロックガーデンを開拓、征服したとでも思っているのか。
急激な変革とか改革に人気がある時代、良いモノまで強引に変えてもイイと言う風潮。
山に対するこう言う荒々しい、猛々しい行為も、そんな風潮の表れかも知れない。ホントに嘆かわしい。