蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

おバカなハイカーが六甲山に残した、哀れなゴミの嘆かわしい物語

2014-05-30 14:07:59 | 六甲山をブラブラ

特殊機械メーカーの営業部でまだ現役の売り子だった頃、体力維持とストレス解消目的で、ほぼ毎週裏六甲へ通っていた。

Imgp0105_2  有馬温泉から番匠屋畑尾根へ上がり、

Imgp0108  主稜線を越え、旧極楽茶屋手前から紅葉谷を下り、

Imgp0109  百間滝経由で白石谷へ出てそこを登り返し、一軒茶屋でビール1本呑んだ後は、魚屋道か白石谷、元気があれば縦走路を戻りまた番匠屋畑尾根を下る。そう言うコースだった。

累計標高差で多分1000m程度、それ位は登らないと、仕事による精神的疲労は破壊出来なかった。

何度も通うとただ歩くだけには飽きてきて、片手に火バサミ、片手にレジ袋を携え、ゴミ拾いを兼ねて登り降りする事にした。
キマグレな営業TOPが強引に開設した広島営業所は、3年後またもやキマグレに閉鎖され、ワタクシの単身赴任が終わった頃だった。

このコースにはズッと気になっていたゴミが2つあった。

番匠屋畑尾根のロープウェイ支柱を過ぎて、いくつか登り降りした後の下りの、右手の藪にはポット。これは、登山者がザックに入れているテルモスと言うスマートなモノではない、フツーの家の台所にあるヤツ。
もう一つは、百間滝の巻き道を下り終えた谷筋近くに置かれた毛布。この毛布はキッチリ畳まれ、その20年近く前、氷結した滝巡りをしていた頃からあった。

ポットは登りでレジ袋に回収して、携えたまま一軒茶屋そばのゴミコンテナに持って上がり、毛布は帰り、白石谷を下り百間滝谷を登り返し回収、ロープウェイ駅近くのゴミコンテナまで持って降りた。細かい根がビッシリまとわり付き、グッシリ水を含んで、下りとは言え駅まではズッシリ重かった。

オール・オァ・ナッシングなワタクシ、ヤルとなると徹底的にやらないと気が済まない。
毎週新たなゴミが発生する紅葉谷、魚屋道では崖を上り下りしてまで、途中に引っ掛かっているペットボトルなどを拾いまくった。
堰堤のウラ底に降り立つと、そこはゴミ捨て場の様だった。ゴミを収めるレジ袋は1枚や2枚では足りなくなった。

番匠屋畑尾根、白石谷は新たなゴミは少なかったが、地面からチョコッと出ているビニールやポリを引っ張ると昔のゴミがそれらに包まれて次々と出てきた。
デザインが懐かしい様々なポリ袋や、腐食してボロボロになる前のジュースの缶、販売され始めた頃の携帯ガスコンロもあった。

それらの多くは、チョット見晴らしの良い所に多かった。そんな場所で休憩した後、不要なモノを埋めたのか。その時代はゴミは埋めるモノ、と言うのが常識だったのか。
しかしナゼ、ガスコンロまで捨てたのか、故障?、もうその頃は既に、修理して使う文化から使い捨て文化になっていたのか。
白石谷を登りきった、堰堤工事の関連現場(?)跡近くには、斜面の藪から弁当の空パックが次々と出てきた。ハイキングで休憩するような場所ではなかったので、工事作業者が残していったのだろうか。

いずれにせよ、残されたモノを分解出来る微生物がその場所に無い限り、それらは何十年もそのままだ。
植物、つまり果物の皮も干からびて、残ったままのモノが多かった。
白さが目立つティッシュは雨では溶けない。それを火バサミで摘み上げると、その下には大キジが鎮座していた。それらを分解できる菌がそこには無かったと言う事だ。

ニンゲンが出すあらゆるモノは、自然に残してはいけない。
しかし、残してはいけないニンゲンの生産物が大量、裏六甲にあった。
大量生産、大量消費はタダの大量廃棄、つくづくそう思った。

それから、3点支持が必要な箇所に残されたロープ。

フィックスロープは設置した者が必ず撤去しないといけないし、他人が残したフィックスロープは使っていけない。これらは山登りの常識のハズ、山の雑誌などにも初心者向特集などに、そんなレクチャーが載っている。

しかし沢山のロープがボロボロになっても残っている。しかもそれらは登攀用のザイルではなく、最近は¥100ショップでも売っているトラロープ。荷重目的ではなく、確か標識用(?)、山では単なるゴミ。
しかし、そのゴミに全体重を掛けて登って行くハイカーを見掛ける。アドベンチャー気分で楽しんでいるみたいに。切れたらどうすンの?

有馬から湯槽谷を登って番匠屋畑尾根に上がる手前、10m程の3点支持が必要なガケがあって、しかしホールドもスタンスも豊富で、フリクションも効くのでスタスタスタと登れる。
そこにトラロープが昔から垂れ下がっている。踏まれてケバ立っている部分もある。

前から気になっていたそのボロロープを回収し、ついでに尾根上にチョコチョコ残っているロープも回収して行くと、レジ袋はパンパンになった。
尾根上のロープは急な階段部に張られていて、しかしそれを掴もうとすると、より崖側に寄ることになり、よりコワイ。逆サイドには掴みやすい灌木が沢山生えている。ナゼこんな所に張ったンだろう。
山はロープを使うノがカッコイイ、そう言う浅はかなヒロイズムでもあったのか。タダのゴミなのに。
白竜滝の通常の巻き道のそばに、新しいロープが残されていたことがあって、「あかもろこし登山隊」と書かれたテープが付いていた。
多分巻き道とは別のルートを登って、浅はかなヒロイズムを残したかったのだろうが、「このゴミを捨てたのは“あかもろこし登山隊”というおバカです」と、白状しているだけに見えた。
いずれにせよ、タダのゴミ、直ぐ回収してロープウェイ下のゴミコンテナまで持って降りた。

古いロープを外すと、それがくくり付けられていた木々の幹や枝には、深いクビレが現れた。深く喰い込んで外すのが大変な木もあった。
木の成長に伴って、そこだけがキツク縛られた形になっている。これは拷問だ。
山川草木悉有仏性のクニだったのに、ホントに嘆かわしい。

しかし、番匠屋畑尾根に上がる手前の10m程のガケには翌週、またロープが垂れ下がっていた。
踏み跡がない谷筋にも張られていた。藪漕ぎの様な感じになるので、もう誰もそこを辿らないハズ、いずれにせよ周りはロープだらけ。何本ものルートが開拓中の大岩壁の様、と言ったら大げさか。

それらを全て片付けた更に翌週、またトラロープは垂れ下がっていて、それがくくり付けられている灌木の根元には、「ロープを外すイタズラはやめろ、カラト山岳会」と書かれた板がぶら下がっていた。
「カラト山岳会」などと言う山岳グループは聞いた事がない。一体ナニ者なのか、いずれにせよ、「イタズラ」とは聞き捨てならない。

ワタクシは翌週、板の上に“お返事”をぶら下げた。
「このトラロープは標識用であり登山に使うモノではない、劣化するとわずかな荷重で切れる危険性あり、また他人が張ったロープを使うな、が登山の常識、我々には目障りな邪魔物、早々に撤去せよ」、そう言う事を書いた。

翌週、カラト山岳会は早速、“お返事”をぶら下げていた。
どうやら彼らは70歳を超える老人グループのようで、週に何度も朝早くここを下り、温泉に行っているらしい。そしてここで落ちたことがあるようだった。
朝早くここを下ると言う事は、西の方角から登って来ている訳で、確かに尾根を越えて西側の谷を下ると唐櫃台と言う団地に着く。
その団地のジイサン達が、自分たちの都合で勝手にぶら下げたロープ。

もう一度何らかの“お返事”をしようかと思ったが、「我々が責任を持ってこのロープを管理する」とまで書いてあったし、ジイサン相手に大人気ない真似はヤメることにした。
10年近く前の真冬だった。あの時のジイサン達、今はもう80歳を越えているハズ、何人かはアッチへ逝ったかも知れない。

その後ワタクシの体力維持とストレス解消手段は、自転車に移って行き、更に数年後には早期退職したのでストレスとは無縁になり、六甲山とのゴミとは関わらなくなった。

ところで先週、驚きの新聞記事が目に付いた。
8月11日が「山の日」となる改正祝日法が成立した日、その記事のタイトルは「反則ハイカー 登山道“整備”」だった。

ナント、ロックガーデン周辺に5m程の脚立を設置したり、斜面の岩を階段状に削ったりして、登山道を“整備” している「超おバカ」がいる、と言うのだ。
高座川はかなり奥まで車で入れるが、その先は茶店の横を通り高座の滝を越えて、脚立やツルハシ(?)を運び上げないといけない。
¥100ショップでトラロープを持って上がるのとはレベルが違う。唐櫃台団地のジイサン達の行為が可愛らしく見える。

5mの脚立と言う超粗大ゴミを置く行為、岩を削ると言う直接破壊行為。
コイツらは一体ナニ者なのか。そう言う行為でロックガーデンを開拓、征服したとでも思っているのか。

急激な変革とか改革に人気がある時代、良いモノまで強引に変えてもイイと言う風潮。
山に対するこう言う荒々しい、猛々しい行為も、そんな風潮の表れかも知れない。ホントに嘆かわしい。


大いなる剰余時間を潰す日々

2014-05-27 13:46:15 | 山とスキーでブラブラ

111 冬の信州通いは今年で7回目、37日滑って、12日は天狗原や乗鞍へ登った。

いつもお独り様だが、ゲレンデでも山でも、挨拶のついでに色々オシャベリする人が、沢山いる。顔見知りになった人もいる。

ほとんどの皆さんはリタイヤ後、自由気ままに登ったり滑ったり。それはワタクシと同じ身分。信州在住で北アルプスは日帰り、様々な“戦歴”をお持ちの猛者が多かった。

そしてよく話題になるのは、春が過ぎて雪が融けたら何をするか、という悩み。
山スキーが出来るのは12月中から翌6月初めまで、それ以外の期間はする事がない。
少なくともワタクシは、仕事があったとしても、働く気はない。

30年間、工業製品の営業をやっていたが、製品のPRをして、引き合いがあって、打ち合わせして、価格を積算して、見積を出して、ネゴをして、製作指示をして、ワガママな客からの仕様変更に対応して、出荷指示をして、場合によっては試運転に立ち会って、そつなくアフターフォローをして、と、そう言う業務は50歳を過ぎるとシンドクなる。
50半ばになると扶養義務もなくなるし、(何の根拠かは別にして)人生50年と言われる様に、その頃がニンゲンの寿命なのかも知れない。

平均寿命が延び続け、今は80歳とか90歳とか言われているが、これは乳幼児の死亡率が減ったため、寝たきり老人が増えたため、と言うのがその背景にあるそうだ。
しかし、寿命が延びた分、働かないといけない、とリタイヤ後も会社にしがみついているオヤジも沢山いるが、実態はほとんどが賞味期限切れ、経済活動と言う意味においては寿命を過ぎていると思う。確かに収入は半減されているらしいが。

働く意味において半分しか価値のないニンゲンが会社にいても、現役社員には迷惑かも知れないし、もし実際の稼ぎ分が半額以下なら、現役にただ負担を掛けているだけ、と言われるかもしれない。
特殊な能力や資格、そして異常な慾がない、フツーのサラリーマン寿命は、そう言うモノだと諦念すべきではないか、そう思う。

そしてその先には、数十年の大いなる剰余時間が横たわっている。

3月のある好日、無事、乗鞍から快適に滑り降りてきて、栂森のカフェテリアにワタクシと同じ様なソロの山スキーヤーが4人、偶然集まった。皆さん、登りで挨拶を交わした人達。ワタクシより数歳年上。ビールを呑みながら、しばし歓談。

先週はあっちへ行った、来週はこっちへ行く。皆さん、余剰時間は有意義に潰しておられる。

しかし、5月連休が終わったら、どこへ行く?

「家にいるとニョウボに煙たがられて、ハハハ、外で何かする事を探さなくっちゃ」
「夏山は行きませんのン?」
「暑いだけですしねぇ、毎週はムリですよ、ホントにボクらは雪、融けると、するコト探すの大変だァ」
「しかしまぁどうですかねぇ、定年過ぎても会社に居続けてて、若いモンに迷惑や負担掛けているだけのオヤジよりマシですやン」
「まぁ、確かにねェ」
「イヤ、まだね、キュウリョ半額にされてオトナししとったらエエんですけど、ボク、7年前までおった会社に、好き放題する事が社内外で有名な役員、おって、そのオッサン、役員やから当然定年なくて、今も地位と収入にしがみ付いて、しかもワケの判らん指示とか、意味ない方針だすモンやから、若いノ、えらい困ってて、そう言うノ、迷惑ちゅうより、害、毒ですわ、そんなンに比べたら、ボクら、ホトケさんみたいなモンですよ」
「ほぅ、毒、害ですか、確かに老害とか言う言葉、ありましたねェ、まぁ、会社のエライさんには毒とか害とか言えそうな人、多いですね確かにィ、ボクらとはチョット人種が違いますねェ、ああ言うノ 、大体アベノミクスでボクら幸せにはなりませんモンねェ ・ ・ ・ 、ところで貴方は神戸に帰ったら何するんですか?」
「ウ~ン、死んでますわ、冬までオトナしゅう」

しかしワタクシ、ホントは自分の炊事、洗濯、掃除はしないといけない。死んではいられない、特に掃除をキッチリやらないと、男ヤモメに“ウジ”がわく。

実はここ数年は死んでいた。
スキー板、兼用靴等、冬の遊び道具は出しっ放し、暖房器具も出しっ放し。梅雨が明けた後、汗だくになりながら、それらを掃除して仕舞ったことが数年続いた。

しかし、今年は爽やかな内にそれらを全て片付けた。
溜めていたプラスチック包装ゴミ、酒ビン、古新聞段ボールは、すぐ捨てた。
通路側の窓周辺を掃除してスダレを新替えし、バルコニー側の網戸を張り替えた。何年も前からスダレはボロボロ、網戸も破れたままだった。
タイヤも夏用に履き換え、タイヤラックを置いているバルコニーを大掃除した。
油でコッテコッテのレンジ周辺、換気扇も掃除した。

そして、ミニバイクを使っていた食料等の買い出しは歩いて行っている。ミニバイクの数分の外出が、往復1時間弱の散歩。
お独り様はついつい引きこもって死んでしまうのだ。

今年は案外死なないで過ごせるかもしれない。死を捨てよ、外に出よう。


山のリフトは完全に止まり、里で花は咲き乱れ

2014-05-11 19:44:05 | 車でブラブラ

栂池通いが終わり、またダルイ、シンドイの生活になってしまった。

夕方5時になれば呑み始め、晩メシを作り、更に呑んで8時には気絶。日が替わった頃生き返ると、後片付けしてまた眠って、カタギの衆が働きだした頃、目覚める毎日。
そして、只々ダルい、シンドい。数年前ならこの時期、針ノ木や白馬大雪渓に何度も行っていたのに。

しかし、あまり不甲斐ないとも思わなくなった。これが我が現状。

連休が終わって、とにかく信州へ行ってみることにした。一応、山スキー道具は積んで行って、ヤル気が起こらなければ、山を眺めながらドライブして帰ってくればイイのだ。

7日、いつもの様に3時半に出発、いつものペースで8時前、中央道・駒ヶ岳SA着。

Imgp0890 SAの裏の木々は新緑になり、その奥の木曽山脈の白い部分が益々減っていた。

Imgp0891 安曇野は田植えの時期。思えばこの時期、針ノ木や白馬大雪渓へ何度も来ていたのに、こんな景色をゆっくり見た事は無かった。

Imgp0894 爺ヶ岳、鹿島槍、五竜は何とか確認出来るが、その先は霞んでいる。

Imgp0895 芽吹く山々。

Imgp0897 青木湖の向こうに小蓮華~白馬乗鞍の稜線が見える。その下方は霞んでいると言うか、ナンカ煙っている。

Imgp0898 神城辺りの芽吹く山々。

Imgp0899 白馬村に入ると、道路沿いの民家の庭には、シバザクラ、水仙、チューリップ等が色鮮やかに咲き乱れ、サクラは散り始め。

チョコチョコ寄り道して、栂池へ着いたのは11時前。
定宿の前まで来ると、用事を済ましたらしい大女将が建屋に入って行くのが見えた。

Imgp0900 ゴンドラ中間駅まで車で上がる。

Imgp0901 ゴンドラは点検中。ケーブルだけが動いたり、止まったりしていた。

Imgp0902 ハンノ木コースを見上げる。

Imgp0903 鐘の鳴る丘へ行くと野焼きの後。

Imgp0904 鐘の鳴る丘ゲレンデは野焼き中。青木湖の向こうに見えた景色が煙っていたのはこのせいか。

Imgp0905 振り返ると、白馬三山~小蓮華がチョコッと見えた。

Imgp0909 親の原ゲレンデへ歩いて行って、ゴンドラの下の駅を見降ろす。

Imgp0910 振り返るとゴルフの打ちっ放し場が出来ていた。いつも滑っていて、あの側面のネットが何のためにあるのか、不思議だった。やっとワケが判った。

この時、グオォォ~っとスゴイ爆音。周りで何かの作業をしている数人、皆さん手を止めて見上げている。
しかし何も見えない。音速で飛んでいるので、聞こえた時はもう見えないのだ。

以前も天狗原を登っている時にいきなり飛んできたジェット戦闘機、不気味なグレイの機体、かなり低いところを飛んでいた。上高地でスノーシューハイクをしていた時も、ブンブン飛んでいた、との話しを聞いた事がある。
中部山岳地帯は地上攻撃の演習には最適と言うコトか。とにかく最新兵器はその音だけでも恐怖だ。

Imgp0911 フト足元を見るとキクサキイチリンソウ。

Imgp0912 これは白いキクサキイチリンソウ。

Imgp0913 こっちは青いキクサキイチリンソウ。

Imgp0914

Imgp0915 これは前日まで使っていた雪のヘリポート?

Imgp0916 新しく出来た橋から、小蓮華~船越の頭~白馬乗鞍が見えた。その手前の山の尾根は馬ノ背コース。

Imgp0918 少し山に入り、走っていると道端にミズバショウ。

Imgp0919 かなりの群生。

Imgp0920 さらにカタクリの群生。

Imgp0924 あちこちに咲き乱れている。

Imgp0925

Imgp0926 14時前、あてなくウロウロ走っていたら、白馬五竜スキー場の前に出た。ここのゴンドラ:テレキャビンはまだ動いていた。一番上のリフトはまだ営業中らしい。

Imgp0927 駐車場には10台ほど。のどかな午後。

その後、扇沢へ行ってみた。

案内センターの裏の橋を渡って、直ぐシールを貼って進める右岸は、もう雪が溶けて藪だらけ。左岸の夏ルートを、板を背負って行くことになる。もうそんな時期になったのか。

Imgp0929 いつの間にかトボトボ歩いていて、20分程で雪渓末端着、15時過ぎ。

槍沢、涸沢なら、板をザックにくくり付けて上高地から4時間は歩かないといけない。20分なら大したコトはない。
しかし、やはりヤル気がしない。もうイイです。

結局、その日は穂高のビジネスホテルに泊って、翌8日、木曽路をドライブして帰った。

しかし、山も登らず、スキーもせず、この様にシナノの麓を只々、車でブラブラするのも悪くはない。

そう言えば、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に対し、反対等の意見書が50以上の地方議会から出ていて、内25程は長野県の議会だった、との記事が、4月の終わり頃の新聞に載っていた。

シナノの国はエエ国です。


今年の憲法集会

2014-05-09 09:41:36 | 朽ちゆく草の想い

憲法とか政治について詳しく勉強したことはないけど、民主化された多くの国の憲法は、国民主権、基本的人権の尊重が基本原則になっているそうで、この国の憲法には更に、戦争放棄まで謳われていて、しかも、天皇又は摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員はこの憲法を守る義務がある、とまで書いてあって、これはおカネも土地も大して持っていないフツーの国民にはアリガタイと思う。少なくともワタクシは非常にアリガタイ。

大体、戦争などと言うのは、おカネや土地を沢山もっていて、数々の特権なども持っている輩の集まりが、それを奪ったり守ったりするために起こすのであって、ソイツらが勝手にコロしあいをしているのであれば別にイイけど、フツーの国民にコロしあいさせるモノだからタチが悪い。
ほとんどの国民はそんな事でコロし合いはしたくないし、国がそう言う方向に行かない様にしたいはず。
主権在民、基本的人権尊重、平和主義の3点セットが基本原則の憲法は、フツーの国民にとって非常に良い憲法だと思います。

ところが、5割程度の投票率で5割程度の得票率なのに、衆参両院で過半数の議席を獲得したジミン党は、これを変えようと必死になっている。特に9条。
しかしまともに変えられそうにないから、解釈改憲だとか。
とにかく「変える」と言えば、どんなことでも支持を得られやすい昨今、変革、改革は大流行り。
とは言え、非常に良いモノでも変えてもイイの?、アア、アホクサ。

そもそもジミン党と言うノは60年程前、自主憲法制定を党是にして結党したそうだが、ハト派、リベラルのセンセも沢山おられ、9条改悪を抑制されていたらしい。
しかし残念ながら多くは引退され、今は2世、3世の世襲議員に入れ替わって、彼らは世界有数の戦力を持つようになった自衛隊を何とか戦わせたい、そう考えているのではないか、と思えて仕方ない。

人がたくさん集まる所は益々苦手になって、集会とか言うのはあまり行きたくないのだが、今年も3日の憲法集会へ行ってみた。

Imgp0887 会場は新神戸の芸術センター。

今年、こう言う護憲集会の後援をいくつかの地方自治体が断ったそうだ。
公務員はこの憲法を守る義務があるのにも関わらず、その理由を政治的中立としたらしいが、これはどう考えても改憲勢力に遠慮しているとしか思えない。ああ、嘆かわしい。

Imgp0889 1000人以上入れる会場は満席。2階で立ち見する。

講演者は神戸女学院大の名誉教授、題目は「グローバル化と国民国家の危機」。

最近、イヤだったら選挙で落せばイイ、と言う政治家が多く、彼らは選挙で勝ったらトップダウンで何でも出来ると言う考え方で、それは企業経営者の考え方。
しかし企業は失敗しても出資分を損するだけで、それは有限責任だが、国は失敗すると無限責任。
ジミン党の改憲草案では、多くの国民の自由には、公共の福祉に反しない限り、と言う制限を掛けているが、22条の移住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由にはナゼかその制限がない。(現憲法にはそこだけ制限が付いている)
つまりボーダーレス、全てはグローバル。
と言う事は、これが通ると、政治家が失敗して国は賠償等無限責任を負っても、その政治家は(この国を捨てて)国籍を自由に離脱出来る(?)。
また、衆参でネジレがあるのは悪いことではない。民主主義でコトはサッサと決まらない。むしろ悪いコトが簡単に決まらない仕組みたと考えるべき。

そんな内容を話されていた。企業経営者感覚の最近の政治家は、安全保障とか自衛とか言ってても、それはフツーの国民の為ではない、と言う指摘。ナルホド。


ブラジルの爺ちゃんが歌うテンポで登っていたこの冬

2014-05-03 23:07:13 | 山とスキーでブラブラ

栂池通いが終わってから3週間経ってしまった。
先週の全国的な晴れの日、針ノ木へでも行くべきだったが、ダラダラ過ごしてしまい、気付いたらゴールデンウィーク。

ワタクシ、毎日が連休のお独り様なので、普段働いているカタギの衆が押し寄せる連休に、今一つ行く気がしない。しばらくは冬シーズンの片付けでもしておいて、春山へは休みが明けてから行くことにする。ヤル気が残っておればですけど。

この冬、信州・栂池には12回通って、37泊した。

385 白馬乗鞍には6回登頂。

383 天狗原にも5回。

325 船越の稜線にも登って、これらは今までの最高回数。

行けるトコまで行ったらエエわ、と思いながらボチボチ登っていたら、いつの間にかテッペンに着いていた。

そんな感じで、そこそこ元気に登っていた3ヶ月だったが、ただゲレンデを滑るだけでも楽しかった。

そしてこの冬、スキーが上達した、上手くなった、と言うか、一皮剥けた感じがする。

何年か前、林道で遭遇し、その後、白馬乗鞍の山頂ケルンまでお連れしたYサンは、若い頃は草レーサーで、スキーレースでの面白い話しを色々聞いたが、スキー上達にはスピードになれる、スピードに乗ることも肝心だとアドバイスを受けていて、確かにこの冬、ターンの度に加速する感覚がやっと判った様な気がする。

いつもエラそうにしている元都知事で暴走老人の友人であり、沢山の大企業から1億円(?)出してもらって80歳でエベレストに登ったプロスキーヤーは、そのオヤジも超有名なスキーヤー。100歳近い歳になっても滑っておられたそうで、「オヤジは、あしたはもう少しスキーが上手くなるだろうか、と言っていた」、そんなセリフのCMを見た記憶がある。
ワタクシ、このお二人、あまり好きではありませんが、このセリフはキライではなかった。
確かにスキーは老人になっても上達するモノなのかも知れない。

地震、津波が破壊した原発の放射能を恐れ、スキー場から逃げて行ったガイジンは、この冬、戻って来たそうだが、それとは別に沢山の老人もよく見かけた。ワタクシより10歳程先輩の人達。

ご夫婦も沢山いた。

ワタクシの前でペアリフトに乗ろうとしていた老夫婦。
しかし立ち位置が丁度一人分ずれていて、アア~ッと思っている間に、“イス”はジイサンだけをすくって行ってしまった。
乗る位置に進もうとしていたワタクシの後ろには、次の“イス”が迫って来た。前には残されたバアサンがポツンと立っている。
ワタクシ、ササッと横に寄り“イス”を避けると、バアサンはそれにすくわれてジイサンの後を追って行った。
若いボーダーならこんな時、騒ぎたてて、ワザとコケたりして、係員は非常停止ボタンを押したりするのだが、リフトはフツーに動き続け、係員は苦笑しながらワタクシに会釈した。
老人には、色んなペアリフトの乗り方があるモンだ。

お独り様のジイサンからもよく声を掛けられた。

「以前も来られてましたよねぇ」、定宿でも声を掛けられ、少しお話しした。
それを見ていた大女将、「今の人、ダレ?オトモダチぃ?」
「イヤ、前ここに泊ってはって、その時、話ししたらしいですワ」
「エエッそう、ワタシ、泊ったお客さん、ほとんど覚えるンだけど ・ ・ ・ 」
大女将は去年、オバアチャンになってこの時も孫娘をダッコしていた。しかし、ワタクシより少し年下で、まだお年寄りではない。定宿にはまだ大々女将がいる。

そして、無理矢理関連付けるつもりはないが、この冬、行き帰りの車の中で流していたのも、ブラジルのジイサンの歌だった。

夜行列車で信州へ行っていた頃は、ピュアなモダンジャズファンだったワタクシ、車で行く身分になると、車内で流していたのは杏里チャンだった。
それに高橋真梨子サン、竹内まりあチャンが混ざり、金子由香利サンなども混じり、しかし7年前、公私ともお独り様になって、栂池通いが始まった車内では、ダイアナ・クラール、シーン・モンハイト、ディ・ディ・ブリッジウォーター、イリアーヌ、クレモンティーヌ、akikoなどのオネエチャンになっていた。そしてこの冬はブラジルのジイサン、カルトーラ。

カルトーラと言う歌手、作曲家、作詞家は、ブラジルポピュラー音楽界ではとても有名だそうで、しかしワタクシ、「Acontece」と「沈黙のバラ」の2曲を、長谷川きよしサンが日本語で歌ってルのを聞くまで知りませんでした。ブラジルの曲と言ってもボサノバやサンバのリズムではない。これがサンバカンソンと言うヤツか、中々エエやンこの雰囲気。

去年の秋頃だったか、偶々点けていたFMから、カルトーラ本人が歌う「沈黙のバラ」が流れてきた。ほぅ、長谷川きよしサンが歌うあの曲は、ポルトガル語ではこんな感じになるのか。
声の感じは若くもなく、老いてもおらず、チョット悟りを得たようなオジサンの雰囲気、もうチョット聞いてみよう、と言う事で早速CDをネットで検索。

しかし、流通しているCDは驚くほど少ない。そもそも発売されたレコードが4枚程で、これらは70年代後半に70歳になる前、つまり亡くなる数年前に録音されたモノらしい。
手配しても入手不可でキャンセルされたりもして、結局日本語解説付きが3枚、ブラジル製が1枚、ブラジルのオネエチャンが歌っているモノが1枚、計5枚、ダラダラと購入してしまった。
逝ってしまう事を考えて、極力遺しモノは減らそうとしていたのに、また増えてしまった。

とは言え、この5枚の爺ちゃんの曲はよかった。ポルトガル語なので、なに歌ってルのかは英語の歌以上に判らないが、サンバらしいモノや、メロディが非常に美しいモノも多く、聞けば聞くほどイイ。

「O MUNDO E UM MOINHO」と言う曲、カルトーラの最高の名曲と解説されていて、「人生は風車」と訳されているが、これ直訳すると、「世界は粉砕機」(?)。訳詞の中にも「キミのささやかな夢すら砕いて、空想を粉々にしてしまう」とある。
とてもエゲツナイ事を言っているのだが、このメロディはとても美しい。このメロディにのって、こんなスゴイ事を爺ちゃんが歌うと、「確かにそうですよね」と改めて納得してしまう。

そしてこの冬、行けるトコまで行ったらエエわ、と思いながら乗鞍の斜面をトボトボ登っていたら、そのテンポが、「O MUNDO E UM MOINHO」のテンポだと気付いた。

ジイサンになるまで後10年弱、まだ後10年はこの様に冬を過ごす事が出来る。これはアリガタイ。