蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

愚行、徒労の果て、もうダメかも知れない

2011-05-26 14:39:57 | 車でブラブラ

水曜日は全国的に晴れの予報。
ならば白馬大雪渓へでも行くか、と言う事で安曇野のビジネスホテルを予約。 最近は前夜車中泊、翌日こたえるのでヤメてます。

火曜の昼前出発。 ETCの深夜割引が使えないので、中津川ICからR19を走り、塩尻からサラダ街道、グリーンロード、広域農道を通って安曇野着19時前。
コンビニで調達したディナーをホテルで済まし、目覚ましを3時半にセットし横になった。
が、何故か寝付けない。 心臓がバクバク、息苦しくフウフウ、ハアハア。 ナなんでェ?

最近、時々こう言う事がある。 栂池スキー場通いで、約500km運転して帰って来た時など。 高血圧だからかも。
結局ウツラウツラしただけで、3時頃には目が覚めてしまった。
全身だるく、相変わらず心臓バクバク、息がフウフウ、ハアハア。頭はボォ~ッと。

「ワタシ、朝フラフラで立たれヘン様になって、結局その日は小屋で頂上へ行くみんな、待っとってン、あんなン、初めてやわぁ」
昨年末、久しぶりに会った女性は、山で高血圧になって登れなくなったその日の不幸を、その様に話していた。
この山女さん、ワタクシより10歳上、しかし達者、当然口も達者だった。 山スキーはやらないが、60歳を過ぎた後もご両親を介護しながら登り続けていた。 一昨年お母さんを亡くされて「ワタシ、もうルンルンやねン、いつでも山行けるわァ」と言っていたのに、達者な口が少しおとなしくなっていた。 今は降圧剤を飲んでいるそうだ。

未練がましく、せめて猿倉まででも、と思ったが、行ったところでどうにもならない。 潔く諦めて帰りましょ。  彼女と同じ症状になったと思うが、山小屋までも行けなかった、ナサケナイ。

往路と全く同じルートを、消しゴムで消し去る様に辿って、無事帰宅、14時前。 往復900kmの愚行、徒労だった。

ちゃんと病院で看てもらうべき、とは思う。
しかし、医者というのは危険性を羅列するだけだし、この症状を治してくれるかどうか。
以前、鼻水が頻繁に出るようになって看てもらったら、「ただの鼻炎や、体質変わったンやろう、歳とると体質も変わるモンや、もう歳や言うコトや」 と言われただけだったし。

昨年4月、扇沢の駐車場で声をかけて来た男性。 多分還暦過ぎ(?)、前夜車中泊して、蓮華岳へ登り大沢を滑って来たとか。 ワタクシは針の木の状況を話した。 この関西人は、この後も車中泊して白馬方面へ行くらしい。
「へぇ、スゴイですね、ボクは今回針の木で終わり、帰りますわ」
「なんや、ボクより若いンちゃうのン」

元気なお年寄り、沢山います。元気過ぎて、悪天の午後になのに突撃して遭難するお年寄りも多い様ですが。
しかし、ワタクシはもうダメかも知れない。

今日もダルイし、心臓バクバクは治まったが、息は相変わらずフウフウ、ハアハアしている。 扶養義務ないし、いつあちらへ逝ってもいいンですけど、チョット早いか。


天国の様なコチラでの生活、アチラへ行くとどうなるの?

2011-05-23 22:15:38 | 朽ちゆく草の想い

土曜日、叔母が入居している“超”高級老人ホームからご招待を受け、運営懇談会なるモノに出席した。

オフクロが亡くなった後、この“超”高級老人ホームからは、ワタクシに叔母の身元引受人になってもらわないと困る、叔母の財産管理は成年後見人にさせるべき、経口摂取が難しくなったので胃ろうに同意してくれ、とナンヤカンヤ言われ続け、仕方なく従った。
そして、それらが済んだら1年以上、なんの報・連・相もしてこなくなった。
確かに入居費30万弱/月を支払っているのはワタクシではないし、全く食べなくなっても胃ろうでどうにでもなる。もうワタクシには用はない、何んというビジネスライクな対応、介護事業とはこういうモノなのか。

昨年末に叔母の様子を見に行った時、帰り際、現場の責任者らしき青年が出て来たので、“イヤミのひとつ”を言ってやった。

年が明けて直ぐ、後見人とワタクシを交えて今後について色々お話ししたい、との申し出があった。
行くと館長自らのお迎え、しかもこのセンターのオエライサン達数名がご出席。これまでの無礼(?)を詫びて、ここではこんな充分なケアをしています、と言う御説明があった。
30万弱/月の対価としては当たり前、と言う気もしたが、彼らの誠意は一応感じられた。

そして、今回の運営懇談会。
内容は、この一年間こう言う充分なケア、サービスをしました、今後もします、と言うモノ。
取りたてて、異議、文句を言う内容ではない。 アリガトウゴザイマス、こんなにして頂いて。
しかし、これが叔母の入居費30万弱/月に見合うモノかどうか、判断基準はない。ハイそうですか、と言うしかない。

質疑応答になって、どなたからも発言ないので、2つ程質問させて頂いた。
入居状況の数値推移が良く判らないし、数字が合わない個所をまず聞いた。
数字が合わないのは誤記との事、まぁどうでもいい数字ですけど。
入居者は80人半ばで推移している様だ。
そして入居者満足度アンケート実施について。叔母は意識なく、自分の意志を伝えられる状態ではないのに。
そう言う場合は身元引受人に尋ねます、との事。

その後、少しの沈黙が続き、ある老紳士が何か言いだした。 この紳士はここの入居者らしい。報告の際の声が小さい、と2度発言者に苦言を呈していた。ここの牢名主か(失礼!)
このご老人、何が言いたいのかよく判らなかった。
ここはよくしてくれている。館長はイイ人、どんどんお願いしたら良くなるようにしてくれる。自分は秘書もいて、ここで過ごせてなんの不自由もなくシアワセに過ごしている。
そんな事をおっしゃった様な気がする。

そして、入居者の家族から色々発言があった。
絵画教室(?)の先生をもっとイイ先生にして欲しい、とか、もっと気楽に散歩させたい、とか、入居しているお姉さんが脳溢血(?)になった時、迅速に処置して頂いて助かったと長々と礼を言った後、咀嚼嚥下機能維持訓練の専門家を常駐して欲しい、とか。

館長はそれらの要望が受け入れられる様、検討すると答えておられた。これ位の要望なら、ここの経営を圧迫するボリュームではない、と言う事でしょうね。

ここは夏に来ると寒い、冬は暑い。要は薄着でも快適に過ごせる様、室温調節されている。天国だ。
そして、入居費30万弱/月がペイ出来る精一杯の贅沢なケアが受けられる。天国だ。
絵画教室、書道クラブ、音楽療法、フラワーアレンジメント、園芸クラブ、映画鑑賞、百人一首、その他諸々のアクティビティも揃っている。天国だ。
今まで苦労を重ねて稼いだお金でこの天国を享受しているのだ、文句あるか、そう言われるとゴメンナサイと言うしかない。
確かに叔母はそうだ。 叔母は私生児として生まれ、人生のほとんどをお針子サンとして過ごした。 そして、2回の夜間徘徊の後、その洋装店の共同経営者が叔母の財産内容から判断し、ここへ入れてしまった。

しかし、そんな苦労とか労役の結果とは違った雰囲気を感じる。それは、生まれつきお金持ちの世界。こんな施設にいるのに、今だ秘書のいるあのご老人。とても上品だった。

よけいなお世話ですけど、この人たち、もうすぐアチラに逝くのに(失礼!)、天国の様なコチラにいて、アチラではどうなるンだろう。 これ以上の天国などあるのだろうか。

その後、身元後見人と叔母の家の管理について相談を受けた。話をした1Fのスペースはまるで高級リゾートホテルのロビィ、大きな窓の外にはヨーロッパのお城の様な中庭。しかし、散策している人はいない。
40歳代のこの後見人は、叔母の家の管理がかなりの負担になるらしい。
で、処分したいらしい。叔母の財産が減る方向でなければ、不動産の処分も可能らしい。まぁどうて゜もイイこと。

そして、叔母は相変わらずこの日も無表情で、胃ろうを受けていた。


何事もなく、穏やかに過ぎた、昨日と今日

2011-05-20 22:02:47 | 自転車でブラブラ

昨日、自転車に乗ろうとしたら、前タイヤの空気が完璧に抜けていた。またパンク?

チューブを抜くとバルブの直ぐ横が破れていて、リムテープも同じ位置が裂けていた。
昨年の後タイヤと同じ症状。 昨年は2,100km強走ってた時点。 今回は2,500km弱走った時点なので、ほぼ同時期の現象と言える。

リムテープを巻きなおし、チューブにイージーパッチを貼って補修。
パンクには偶にしか遭遇しないので、中々スムーズに修理出来ない。やり方を思い出しながら、でも要領を思い出した頃、終わってしまう。

もう遠くへは行けない時間になってしまって、結局、銀行への用事を兼ねて新長田まで。

良い調子で走っていたら、須磨浦公園辺りまで来て、頻繁にハンドルを取られる様になった。ンンン?何これ? フラフラ走る横を大型トラックがブンブン、通り過ぎて行く。
停めて前タイヤを掴むとフニャフニャになっている。またパンク?それとも先ほどタイヤを嵌める時、チューブを傷つけたのだろうか。
しかし、チューブを抜き出して空気を入れてみても、抜ける様子はない。
取りあえず新品の予備チューブに交換して、再スタート。

銀行の用事、済ました後、久しぶりにこの自転車を購入したR2沿いの自転車屋サンへ寄って、空気を再チャージする事にした。携帯の空気入れでは充分に入れられない、よくあること。

店を覗くと、入荷した自転車の処理にご主人も奥さんも忙しそうで、しかし、奥さんとは目が合った。 店の前ではママチャリに空気を入れようと奮闘しておられるオバサンが。

オバサンの作業を待っていたら、奥さんではなく、若い店員(ムスコさん?)が出て来た。
「途中でチューブ入れ替えたけど、充分入っていないので、入れさせて」
「ハイハイ、どうぞ」
「これ、ここで買うたヤツなんです」
「ハイ、判ってます、これ、よう走るでしょ」
フレームにはこの店のシールが貼ってある。

空気一杯入れてもらって、さぁ帰りましょ。

この自転車、折りたたみのスモールホィールだが、確かに、よう走ります。 しかし、走らせているのは還暦前のオジサン。 須磨を過ぎたあたりで、アッと言う間にマウンテンバイクの青年に抜かれた。 トホホ。

帰ってから、再度そのチューブに空気を入れ、洗面台に水張って漬けてみたが、空気の漏れはなかった。 イージーパッチの接着不良かも。 そのまま放置したが、今朝は抜けていなかったので、予備チューブとして携行することにした。

今日は、また布引山の家に自転車で。 総合運動公園~白川台~ひよどり台~鈴蘭台~森林植物園に立ち寄り、市ケ原のコース。

先週、スイセン、カンゾウを刈り取った庭には、シランが咲きだした。
Imgp2530

Imgp2531 ミヤコワスレも元気だった。

伸び過ぎているモミジ、ナンテン、サツキの枝を刈り、雑草を引き抜いて、15:45山の家を出発。 フラワーロードからR2へ出て、商大筋を登り返し、無事帰宅17:30。

森林植物園ではもう、セミの声が聞こえ、布引貯水池ではホトトギスが鳴いていた、テッペンカケタカ。

穏やかな昨日と今日。 明日はどうなるか判りませんが。


肉を上手く炒めてスナップエンドウを美味しく

2011-05-19 13:55:05 | マンジャーレ、マンジャーレ

もう20年以上前になるが、ある “ 食 ” の雑誌に、元町・鯉川筋にある中華屋サンの店主の料理講座が連載されていて、これは非常に役に立った。

特に牛肉の炒め方。
まず醤油で下味を付けて、水溶きカタクリを混ぜて油通し。
ショウガを炒め、油に香りが付いたら野菜を投入、強火にしてカン、カン、カンと混ぜ、ジャッ、ジャッ、ジャッと鍋をあおり、野菜が浸る程度の水をジュンと入れ、スープの素を加え混ぜる。
ある程度水分が飛んだら、油通しした肉とカキ油をいれ、またジャッ、ジャッ、ジャッと鍋をあおり、全体を混ぜ合わせ、終わり。 そして、ジャ~ッと言う音をたてながら皿に流し移す。

この方法は牛サンでも豚サンでも使える。多少厚めにスライスしたモノの方が良いらしいが、コマギレでも充分美味い。 厚めの焼き肉用とかで売られているモモを細目に切って、野菜をピーマンとタケノコにすると、青椒肉絲になる。
下味をつける時、五香粉やカレー粉をチョコっと入れてもイイと思う。

今週日曜日、e artさんに誘われ、イチゴ摘みに高槻の叔父宅へ。
しかし、叔父さん達とビール呑んで喋っていただけ。
結局、叔母さん達が摘んでこられたイチゴを美味しくいただき、エンドウをザック一杯いただいて帰って来た。

さて、これを美味しく食べたい。で、この牛肉の炒め方でやって見た。二日連続、飽きもせず。
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お豆ごはんも旨く炊けた。Imgp2528 (落して、欠けたドンブリ、まだ使ってます)

高槻の土と水と陽の恵みに、感謝!感謝!感謝!


脇川の念仏水、教海寺へ

2011-05-15 22:17:46 | 自転車でブラブラ

昨日は三木の教海寺へ、脇川の念仏水を見に自転車で。

何がキッカケだったか忘れたが、弘法大師が掘って以来、枯れない念仏水と言う井戸が、三木の奥にあることを知って、実は月曜日、車で行ったが見つけられず、小野の方まで行ってしまった。
おまけに帰り道でネズミ捕りに引っかかってサンザンだった。前回の点数は3ヶ月で消えたが、今回のは1年経たないと消えない、トホホ。

で、もう車で行くのはナンカ、気ィ悪いし、再挑戦は自転車で。
まず学園都市に出て、農業公園~R175~三木~県道20号から脇川へ。 教海寺入口を示す石碑は直ぐ判った。車だったら見逃していたかも知れない。ここから教海寺までの約3kmは緩い勾配の気持ちイイ道。 畦では雑草を刈る人達がチラホラ。

垂水から2時間程で到着。Imgp2524

弘法大師が杖を突いたら湧いてきた、との物語。Imgp2525

このお坊さんが歩いた諸国各地で、杖を突いて湧きだしたと言われる井戸、温泉は沢山あるらしい。
しかし、杖突いてそう言うモノが湧きだす訳ないし、要するに行った先々の人達を指導しながら、一緒に土木工事を行った、という事だそうだ。

弘法大師が空海となって、唐から持ち帰った真言密教と言うのは、ヒンズー教の影響を受けた国家鎮護仏教。 民衆の為のモノではない。
それどころか賤しい穢れた階級の人達は生まれながらの罪人で、地獄に落ちるべきと、言っているらしい。 また先住民である蝦夷を羅刹:鬼、人間ではないとも言っているとか。
死穢、血穢、産穢で女性も差別して、高野山も昔は女人禁制だったし。どうして愛すべき女性を差別するのかしら、ワタクシ、良く判りません。
各地で地元の人々と一緒にその人達の為に汗を流したこのお坊さん、唐へ行ってからオカシクなったのか。

いずれにせよ、阿弥陀サンは全てを救うとする浄土教とはエライ違い。 あまり好きにはなれません。

真言宗・教海寺の本堂は少し離れた所にあった。 中は片付けられ、蛍光灯が点いていて、仏像などは見当たらない。工事中の様子。
階段を上って来た若い僧侶、ここの納所サン?
「コンニチワ」と挨拶されたので少しおしゃべり。

この本堂、今は改装中でご本尊は別の所にしばらく安置している、ここの本尊は大日如来ではなく千手観音(?)。祭るのはどの仏さんでも良い、阿弥陀如来でも良い、 とか言われていた、ヘェ~っ。

「ボク、浄土宗なんで手を合わせると、ついナムアミダブツと言ってしまうンですよ、ここでは南無大師遍照ナントカ、言わないといけないンですよねぇ」
「イイエ、ナムアミダブツでイイですよ、いつも言っているのでイイんですよ」
へェ~、エライ軽いですヤン。 ここの真言宗は好きになれそう。 またお参りしましょ。

帰りは同じ経路を辿って約64km、イイ自転車旅だった。