3月初めから結局2ヵ月半、歯医者に通った。10年程前から、歯ァが抜ける度、そのセンセにブリッジを入れてもらっている。
「痛くなったら、ゆっくり左手を上げて下さい」、センセはそう言って数10万回転で廻るキリでワタクシの歯ァに穴を開け出した。
キュフィィィ~ン。これはブリッジの橋脚部の歯の“基礎工事”と言える。
助手のオネエサンに時々、「カーバイト出してェ」と指示しているので、キリは何かの炭素系超硬合金なのだろう。
痛くなったら、と言う事は、いずれ痛くなる、と言う事だ。
歯の神経をコロす為の薬を入れる穴を開けているのだから、キリはいずれ神経に届く。
痛ッ、左手を上げる。
当然「ハイハイ、判りました」と直ぐヤメてくれるが、時々「もうチョット、ガマンして」と穴を開け続けられる時もある。「センセ、そらぁ約束とちゃうヤン」
神経が死ぬとそれを掻き出すらしい。極細の針の様なモノをクルクル廻しながら歯の穴に差し込んでは抜いて、それが何度か続く。
この作業はセンセの手作業、器械を使わない為か、左手を上げて、とは言われない。しかし、時々痛い時がある。
思わず「ウッ」と呻くと、「ハイハイ、もう終わります」
センセは痛いトコが判っている。
これで痛い作業はオワリ。
あとはブリッジの橋桁部を被せるため、橋脚歯の先端を超硬合金のキリで削り、“ドラキュラの歯”状態にされるのだが、この時もついつい痛い顔、ガマンの顔をしてしまう、痛くないのに。
「もう痛くないですよ」、と言われても、カラダ全体がそれまでの痛みを思い出し、ガチガチになって構えている。
「その痛たそうな顔、ヤメてェ」
「スンマセン、ツイツイ、でもセンセ、気にせんとガツンと行って下さいよぅ」
「イヤ、それはムリ、ボクら歯医者は痛そうにガチガチになってル相手に、出来ません、ナンセこんなン、人の口に入れてるンやから」
そう言って、例のキリを見せた。
ナルホド、痛いのを直しに来た患者に、より痛いコトは出来ない、当然です。
そして、痛いハズない状況でヘンな患者が痛い顔をする、想定外の。
エエッなんでぇ???痛いコトしてヘンのに、センセがそう思うのは当然だ。
「ボクらこう見えてもビクビクしながらやってるンですよ、だから、痛ッ、と言う患者の顔には、ドキッ、とする」
「しかし、そんな状態でズッと仕事するて、もの凄いストレスですねぇ」
「医者の死因のナンバーワンはガンですが、歯医者は心臓病です、他の医者よりストレスかかってて、これ国家試験に出ます」
このセンセ、どこからかワタクシの息子が某一流国立大に入ったコトを知ったらしく、どこの塾に行ったのか、どこの学校へ行ったのかを訊ねられた事があった。
二人の息子さんは無事、有名進学校に入られたそうだが、「子供には歯医者になれとは、よう薦めません、こんな仕事、ボクだけで充分ですわ」
この告白にはオドロいた。
歯医者と言うのは、なるまではそこそこお金がかかるが、なれば高収入で、しかも開業医なら、ワケの判ラン思いつきを言い出すバカ上司はいないし、営業で走り回らなくてもお客さんは来るし、自分のペースで仕事は進められるし、最低でもベンツ(?)には乗れるし、エエなぁ、そう思っていた。
しかしよく考えるとオモロない面も想像出来る。
それほど広くない空間にズッといて、毎日ほぼ同じ作業をして、中には厄介な患者も相手にしないといけないし、ワタクシの様に痛くもないのに痛そうな顔をするのもいるし、愚痴を言い合う同僚はいないし。カワイイ助手のオネエチャンはいるけど。
仕事が終わってクリニックを出る時、このままどこか遠くへ行ってしまいたい、と思う事が度々あるそうだ。
金沢の内科医で、休診日の前日は、仕事が終わると直ぐ雪山へ入って車中泊し、翌日は夜が明ける前から登り始め、午前中に登頂した後、滑り降り、昼過ぎには帰宅して、その日の内に記録をHPにUPすると言う“スーパーマン”がいらっしゃるが、その人の話しをすると、「その気持ち、よう判ります、ボクは山登りナンカ出来へんけど、とにかく仕事終わると直ぐにでもここから離れたいンですワ」
「いずれにせよ、お医者さんて楽しい仕事じゃないンですねぇ」
「大体、仕事が楽しい、面白いとか言うてル人は真剣に仕事してない、と思います、そんなン、仕事をナメてますよ、マジメにやれば、面白い仕事なんかないンちゃいますぅ」
確かにその通りだと思う。
まだバブルの残り香がまだ漂っていた頃、恥ずかしながらテニスに夢中になっていた。精神的にも肉体的にも、自分に合わない遊びだと気付き、ヤメるまで10年以上かかった。
テニスは山やスキーと違って一人では出来ない。いつもするのはダブルスなので最低でも他に3人いる。
自然と色んな人と知り合う。
銀行員、建築設計士、ゼネコンの社員、裁判所の職員、造船所の設計者、製薬会社のプロパー、大学の職員、等々。
その中にゴルフ場の会員権を売買している男がいた。
仲間の中でも若い世代で、いつも威勢が良かった。年上のシンドそうな仲間に、「仕事、面白くないンじゃないのォ」とか言っていた。
「そう言う君の仕事は面白いンか」
当時はまだ、ゴルフ場の会員権が売れて、売れて、それは、それは面白かったそうだ。
「な~ンもせんでもバンバン売れるンですよ、楽しいですよぅ」
当時、ワタクシは特殊機械メーカーの“売り子”、毎週、中・四国地方を営業し、機械の説明をし、客先のややこしい要求に対し出来る事、出来ない事を納得してもらい、納入スペックを決め、時には試運転に立ち会い、クレームがあれば飛んでいき、モメる事もあれば、礼を言われる事もあり、いずれにせよ、な~ンもせんでもバンバン売れることなど一度もなかった。
バブルの恩恵は全く受けなかった。しかし、バブル崩壊の悪影響も受けなかった。
あの男はバブルの恩恵で楽しく仕事をしたのだろうが、完全に仕事をナメていたと思う。そしてバブル崩壊後の“失われた20年”を、どう切り抜けたのだろうか。まぁエエけど。
ただ、こんなフザケた男は古今東西、必ずいる。要は、気分悪いので、お付き合いはしなければイイだけ。
しかし、このセンセとは、今後もズッと歯ァの面倒を見て頂きたい。
「とにかく力抜いて、フツーにしといて下さい」、と行ってセンセは作業を再開した。しばらく経って「チョット休憩します、ボクの手ェが攣って来た」、エエッ?!
3本の歯をドラキュラ状態に削るのは、肉体的にも相当のストレスだったのだ。センセの右手の親指の付け根は赤紫に変色していた。
ブリッジは4月初めに装着、その後部分入歯の作業となり、それも5月初めに終わり、その後調整が2回、今週月曜日、全てが終わった。
初めての入歯としては、短い調整期間で済んだそうだ。「ヒョットしたら1ヶ月後位に少し沈んで、当たるかも知れません、その時痛かったら、また来て下さい」
要は歯が無くなった歯茎との“折り合い”なのだ。
「しかし、入歯の歯茎の容量が増えた分、口の中の空間が大分減りましたねぇ」
「エエ、かなり減ってます、後は慣れてもらうしかありません」
もう沢山頬張って、ガツガツ喰えない。上品に少しずつ咀嚼するしかない。入歯ジジイだから仕方ない。
「ではまた半年後、検診のハガキ出しますので」と、カワイイ助手のオネエサンに言われた。2ヵ月半前、彼女は花粉症で苦しんでいたが、もうスッカリよくなっていた。