夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

リメイク再投稿 その3 贋作考 蝦蟇仙人 伝円山応挙筆

2014-05-22 04:40:20 | 掛け軸
リメイク再投稿 2010年5月27日掲載

蝦蟇仙人 伝円山応挙筆
絹本淡彩絹装軸二重箱 
画サイズ:横305*縦765

本作品は盛岡のリサイクルショップにて購入した作品です。まだ骨董をはじめてまもなく、何気なくのぞいたリサイクルショップのショーウンドウに飾ってあったものです。

リサイクルショップに真作などあるべくもなく、今では本物とは思っていませんが、なかなかいい出来の作品で気に入っていますし、骨董収集を始めたばかりの頃の思い出の作品として手元においています。

         

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蝦蟇仙人:中国仙人劉海蟾のことで渤海の人。金の国に仕えて相位になり、後に終南山に仙術を学び、手に三匹の蛙を持って遊び、蓬髪、素足の奇異な姿をしている。
鉄拐仙人と双幅で描かれることが多く、古来より画材として多い。鉄拐仙人の応挙の絵は確認されています。蝦蟇仙人の作品は確認されておらず、本作品が真作となると興味深い作品ですが、残念ながら真作ではありません。

応挙は人物描写はどちらかというと、苦手であったらしいですが、骨格を基本とした写生の修練を積み近代写実を人物画においても生み出し、狩野派の粉本・装飾的な面から脱却しています。人物画においては、そのほとんどにかすかな笑いがあり、苦手な人物描写に対する照れがあるように感じるとも言われています。

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応挙の作品にも贋作には枚挙にいとまがないそうです。ただし、これだけの画家となるとかなりの技量が必要であり、簡単には贋作ができず、ひと目で贋作と解るものが多く、また古い贋作が多いために印章まで一致しているものは数が少ないそうです。


本作品は印章は良く似せていますが、贋作と判断されるのは、落款の「応挙」の「挙」の字で、最後に跳ね上げる筆遣いは真作にはあり得ないことによります。



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円山応挙:享保18年生まれ、寛政7年没(1733年~1795年)、享年62歳。京都の石田幽汀に狩野画風を学んだが、西洋画の透視法的な写実法と支那画の理想主義的な写実法とを研究して迫真のある描写技法を会得し、それと日本画の装飾的な表現法とを融合して今までに無ない新様式を創造した。この進歩的な様式は保守派からは攻撃されたけれども、しだいに各層の支持を得て、ついに画壇の大家となり、円山派の祖となった。通称は主水、字は仲選、号は雪汀、仙嶺などと呼び、明和3年頃から応挙に改めた。

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亡くなった家内と一緒に銀行でお金をおろして購入した本作品は小生にとっては思い出深い作品であり、人がなんと言おうと私にとっては「円山応挙」の作品です。締め直しの改装までして大切に保存しております。

「ネクタイは誉めても、決してネクタイを貶したはいけない」と言われています。ネクタイには女性や家族との思い入れがあるものが多いからといます。

骨董にも大概その個人に思い出があるものです。その作品を誉めることはしても、贋作とか貶すようなことは慎まなくてはいけません。本ブログのように意見を求めている場合はいいのですが、したり顔に作品を貶すのはその人の品位が問われます。そのようなことをする人には不思議と真作は寄り付かないようです。

しかしながら、こういう骨董の側面こそが贋作がはびこる原因にもなりますので、ある意味では贋作は贋作として所有者が厳正に処分するべきかとも思います。本作品の整理の区分は「いつか処分」





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