夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

武陵猟夫 岡本豊彦筆 再投稿

2013-02-13 05:22:02 | 掛け軸
武陵桃源という言葉をご存知でしょうか? 簡便に桃源郷といういったほうがなじみがるかもしれません。武陵猟夫、武陵桃源ともいう。

人は一度は自分の理想郷はどこだろうかと考えるのではないでしょうか? 自分の理想郷を見いだし実践できた人は数少ないと思われます。

そろそろ早いところでは梅が咲き始める報が入ってきそうです。桃源郷を楽しめる旅の季節がやって参ります。

本日は以前に投稿した岡本豊彦の作品を再撮影して投稿します。

武陵猟夫 岡本豊彦筆
絹本金泥着色絹装軸二重箱 
画サイズ:横234*縦315




四条派は京都画壇をリードしていくが、その基礎を築いたのは岡本豊彦と言っても良いでしょう。彼以降、単なる華麗で単調な絵が多いなかで、彼の弟子である柴田是真が発展性をみせ、竹内栖鳳へと繋がっていったいえます。しかし、四条派の絵が退屈なものとなったのは否めない。日本画の生きる絵としての価値をどこに見出したらいいなかは近代絵画の出現を待つしかなかっのでしょう。平福穂庵もその例であり、京都四条派が出る彼の作品はつまらなくなっていきます。

岡本豊彦以降の作品は、南画、狩野派もそうであるように単調・装飾的であり、江戸時代末期から明治後半まで一部の画家を除き日本画の倦怠期のよう時期である。




本作品は出来、落款から真作と断定できる。本作品は東晋末から南朝宋にかけて活躍した詩人陶淵明の著した散文「桃花源記」の冒頭部分を描いたものです。晋の太中元年間、武陵に漁師がいた。ある日、山奥へ谷川に沿って舟を漕いでいくとどこまで行ったかも分からなくなり、突如、桃の木が生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が広がった。まさに桃源郷発見の瞬間である。それを絵にしたもので、今となっては逆に新鮮な絵に見えるのは時の流れというものでしょうか。

岡本豊彦:安永2年生まれ、弘化2年没(1773年~1845年)、享年68歳。字は子彦、号は紅村、丹岳山人。備中の人で京都に出て、松村呉春に学んで、景文とともに四条派の双壁をなした。明治初期の代表的な画家である塩川文鱗や柴田是真は門人。景文の花鳥画と並んで豊彦の山水画と賞せられ、呉春より文人画的な要素が強い。亮彦はその養子。



岡本豊彦も贋作が多いので要注意と付け加えておきます。


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