夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家 楊柳観音図 鬼頭道恭筆 その2

2014-12-22 05:19:16 | 掛け軸
週末は家内の実家から現場巡り・・。

コンビニ建設途中・・、事業主は我が息子。息子の代わりに現場監督。



午後からは補修工事の完了現場へ・・、街はクリスマス気分。



仕事ついでに、子どもを義母と義父が面倒をみてくれているので家内とお茶・・。



さて年末を迎えてなにかと慌しいこの頃です。仕事以外に帰省の準備もあり、年賀状もあり、忘年会もあり、相変わらずの子守あり・・・・、ブログの原稿の纏める時間がない 

そのせいかどうかわかりませんが、一日あたりの本ブログの訪問者数が250人になかなか復活しません。ま~、かなり専門的な分野のブログですから、文も稚拙ゆえやむ得ますまい

本日は仏画を得意とする鬼頭道恭の作品です。以前に弟子の奥村恭法の作品を投稿したことがあります。本作品はその奥村恭法が箱書をしている作品です。

楊柳観音図 鬼頭道恭筆
紙本水墨軸装 軸先木製塗 奥村恭法鑑定箱
全体サイズ:縦2050*横430 画サイズ:縦1200*横295



鬼頭道恭を知らない方も多いと思いますが、仏画を能くし、明治にはその第一人者となった画家です。意外にお値段も高い?? 仏画では他に山崎弁栄という画家もしますが、こちらはもっと評価が高いらしい・・。いずれも今では知る人ぞ知るという画家になっております。



軸の下の部分に墨が撥ねて汚したような跡があります。それゆえ廉価にて購入できましたようですが、これは表具の天地交換でうまく安く直ります。

本作品は鬼頭道恭の二作品目の投稿となります。

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鬼頭道恭:1840-1904 幕末-明治時代の日本画家。天保(てんぽう)11年生まれ。森高雅(こうが)に入門,京都に出,巨勢(こせ)派の北村季隆に仏画を,岡田為恭(ためちか)に土佐派の技法をまなぶ。郷里名古屋で仏画を専門とし,身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ)六角堂内の装飾絵を完成した。明治37年4月15日死去。65歳。字は一斎、通称は玉三郎。

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奥村恭法:慶応元年愛知県生まれ、名は環次郎、没年不詳。鬼頭道恭に師事。道恭亡き後、仏画の第一人者と称せられ、各博覧会に出品して銀賞銅賞を受け、また褒章される。昭和10年には元老大家として中京画壇に重きをなした。





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楊柳観音:(ようりゅうかんのん)は三十三観音の一。病苦からの救済を使命とする。右手に柳の枝を持つことにより楊柳観音と呼ばれる。この観音は画像に描かれる例が多く、絵画では座右の水瓶に柳の枝をさすこともある。絵画として描かれたものでは、高麗仏画の遺品が著名である。日本国内では、1391年(明徳2年)に寄進されたと伝わる鏡神社(佐賀県唐津市)所蔵の「絹本著色楊柳観音像」(国指定重要文化財、制作は高麗と推定)がある。



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人は自分、もしくは大切な人が病になった時にはときとして信心深くなるようですが、日頃から信心深いことが大切だと思います。




いつまでも自分も大切な人も健康だとはいかないのが世の常です。そのときの覚悟、そうなることを少しでも遅くするという心構え、そして現在の健常者という感謝の気持ちが祈りとなって、周囲の人を大切にすることとなるように思います。



夫や妻、果ては我が子まで殺害するような殺伐としたニュースが流れるこのごろですが、いま少し日本人は信心深くなる必要があるように思います。信心の証の為にも早めに天地交換したいと思います



信心の証となるひとつを実践することが殺伐とした東京というこの都会には必要なことのように思います。



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