夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

虎図 天龍道人筆

2011-07-11 05:10:18 | 掛け軸
江戸時代の虎の絵は猫に似ています。無論、日本には虎は生息せず、朝鮮半島からの情報から描かれたものでしょう。李朝民画に似ているところがあります。

本ブログにもいくつか虎の絵を投稿しています。菊川英山大橋翠石などがあります。

天龍道人という画家をご存知でしょうか?葡萄の絵は人気があり、知る人ぞ知る有名?な画家です。
小生はあまり知識がありませんので、本作品がそうであるかは解りません。絵が好きで入手したものです。ただ、軸先はなく、シミだらけ・・改装に費用がかかりそうです。

虎図 天龍道人筆
全体サイズ:縦1450*横370 画サイズ:縦696*横283




「七十一翁岡郶天龍坐人画」と落款があるが、諏訪の日本画家である天龍道人と同一かどうかは不明である。74才から「天龍道人」と号したという資料からすると、落款の年齢が合致しない。しかし、一概には否定できない。沈南蘋派に属し、熊斐を師とする資料からすると熊斐の描いた絵を参考にして描かれた可能性はある。いずれ後学とする。



 

天龍道人:日本画家。姓は王。名は瑾、子は公瑜、通称は渋川虚庵、別号に草龍子・水湖観。鷹・葡萄の画を能くした。肥前鹿島(佐賀県鹿島市)の出身で、一説では九州鍋島藩(佐賀)の支藩・鹿島藩家老の板部堅忠の子とされる。天龍道人は鍋島藩の主家に当たる龍造寺隆信の七世下の孫にあたる。半生の詳細は明らかでないが19歳の時に京に出て、絵画と医術を習い、京では勤皇の活動をしていた。30歳代、40歳代頃には京都の尊王論者、山縣大弐のもとで活動をおこなっていたとされるが、時期早しと言うことで、44歳の時温泉と風向明媚な信州諏訪湖の近くに住み着いた。54歳のころから絵に専念し、74歳の頃からは諏訪湖が天龍川の水源であることにちなんで「天龍道人」と号した。50歳代から死去する93歳までの後半生、画歴の詳細は明らかでないが、確認される作品は50歳代以降の後半生、信州で制作したもので、鷹と蒲萄を題材とした作品を得意とした。天龍道人は諏訪に来てからは、渋川虚庵と称していた。龍道人は鷹と葡萄の画家とも言われる様に、葡萄の絵はかなり多いそうですが、鷹の方は少なく、山水画の方はもっと少ない。文化7年(1810)歿、93才。



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