アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

尼僧が携帯電話で…ブータン仏教に変化が?

2011年10月01日 | Weblog
 ティンプーからプナカへ日帰りで行ってきました。ティンプーは標高2,400m。プナカは、標高1,350m。つまり、プナカは暖かい。そのため、かってプナカは、冬期間の首都だった(1995年まで)。およそ77kmの例の細く曲がりくねった凸凹道。途中、標高3,150mのドチュラ峠を越える。つまり、片方は岩壁、片方は落ちたら数百メートル一気に落下するという危険な道。この道が、ブータンを横断する唯一の幹線道路…!

 まもなく現国王の結婚式が行われますが、会場が、「プナカ・ゾン」つまり、ティンプーの王宮におられる現国王と后になられる方は、この幹線道路を通ってプナカへ行かれる。ヘリコプターはないのかって?私が確認したところ、「ブータンにはヘリコプターはありません」とキッパリ。
 結婚式には世界各国から要人が参列するわけで、パロという町にあるブータン唯一の空港から車でプナカへこられるわけで…崖から転落しなければよいのですが。日本からは、皇太子様が出席されると思いますが…とんでもない道です。パロ~プナカは、142km。平地の直線道路などない。あと、トイレが…。インドと比べてしまうとどこの国のトイレもきれいでしょうが…ブータンのトイレもインドに勝るとも劣らない。男性は青空トイレでいいが、女性の青空は…。結婚式に行かれる方は、そのあたりの覚悟をして行ってほしい。

 ドチュラ峠で休憩していたら、プンツォリン(ブータンの都市)の水力発電所で働いているインド人(インドから出稼ぎに来ている。但し、何年か後にインドへ帰るというものではなく、定住しているらしい…)と思われる一団と会いました。子供も交じっていたので、早速、イカサマ手品を披露しました。これが、大人たちにバカうけ。別れ際に、4~5人に握手をもとめられ、「僕たちも練習するから!」と、決意表明もいただきました。歴史上、ドチュラ峠で最も人気があった日本人、それは私です。

 大きめの川が右手に見えはじめたあたりで、道が平坦になってきました。そして、モ・チュ(母川)、ポ・チュ(父川)という2つの川の合流点に、プナカ・ゾンが建っていました。ゾンは、元々は、城塞でしたから、山の上に造られるのが普通。日本の城も、鉄砲が普及するまでは、山の上に築かれました。いわゆる、「山城」です。プナカ・ゾンは、川の流れで敵を防ぐことが出来るので、山の上ではなく、川の中州のようなところに造ったのです。

 橋を渡って、ゾン内部へ入るのですが、橋の途中で少年僧と会いました。無理矢理捕まえて記念写真。ホント、日本人って厚かましい。今でも冬にはティンプーのタシチョ・ゾンからおよそ1,000人の僧が(避寒に)やってくるのだそうで…修業が足らんなあ!ジュ・ケンポ(大僧正)も来るのだそうで…。甘い。寒さに耐えてこそ修業というもの。ブータン仏教(チベット仏教)しっかりせぃ!(←モチロン、ジョークです。言えることは、ブータンの人達は無理しない。寒い冬は暖かいところで修行すればイイジャン。と、いう印象でした)

 プナカ・ゾンの入り口の階段を登ると四天王の絵。壁にはマンダラ(いわゆる、本質や真理に至るための図)や、果樹の下にいる象の上に猿、鼠、鳥が乗った絵…これらは、ブータンではよく目にした絵でした。十二支のマンダラもあり、描かれている動物は日本の十二支と同じでした。
 中に入ると菩提樹と仏塔のある中庭に出た。な、なんとこの仏塔、半分が崩れておりました。二日前のインドのシッキムを震源とする地震で崩れてしまったのだと。で、地震から二日後に私が見たときは、なんの修復もはじまっていなかった。「ありゃ?国王の結婚式があるというのに、まさかこのままじゃないだろうなあ?」心配しましたよ。「大急ぎで修復します」とは言っておりましたが、二日も放置しておきながら、「大至急…」とは。やはり心配です。ブータン人はナマケモノか?ナマケモノではないと思いますが、「無理をしない」。「仏塔が崩れた?うーん…今日は家族と団らんの予定があるし…ま、そのうち修復するよ」といった感じですね。あくせくしない。

 プナカ・ゾン3階には、17世紀にブータンを統一した、「シャブトゥン・ンガワン・ナムゲル」のミイラが安置されているという。「ン」で始まる名前なり言葉なりは、結構あるのです。ですから、「シリトリ」の場合、日本と諸外国ではルールが違うことになるわけです。
 観光客にとっては、ミイラより、キュンレイ(大講堂)が魅力的。キュンレイ入り口の両側の壁には六道輪廻図やカーラチャクラ(チベット仏教の最奥義の聖典…なのだそう)など大きなマンダラが描かれていました。キュンレイの正面中央には釈迦像、左にパドマサンババ、右にシャブドゥンの像。パトマサンババは、チベットからトラに乗って飛んできた聖人。ブータン仏教の父です。シャブドゥンは、僧ではなく政治家。両人と、ブータンの今を築き上げた偉い方。
 壁の上部にはたくさんのタンカ(仏画のこと。五七五七七ではない)がかかっており、柱は細かな彫刻が施されたうえに金泥が塗られ、天井は龍の絵で埋めつくされていました。

 また橋を渡って帰ってきたのですが、橋の途中で、三人の尼僧に会いました。なんと、濃いめの化粧で携帯電話で話しておりました。尼僧は、一見性別が分からないのが普通じゃないのか?明らかに女性と分かるお化粧…。尼さんが携帯電話で話すというのが何とも俗っぽい。俗世間から逃れるために尼になったであろうに、携帯電話で外部の人と話す…それ、おかしいべ!実は、尼に化けた観光客だったのではなかったのか?そういえば、カメラを向けたら顔を背けたし…頭髪も、手入れされたショートカットだった。今でも気になります。
 僧侶にいきなりカメラを向けるのは、失礼じゃないかって?「撮っていいですか?と尋ねたら、NO!に決まっているので勝手に撮ればいい」…これ、ブータンのガイドさんからのアドヴァイス。