アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

白虎隊自刃の地 ムッソリーニも感動

2008年10月20日 | Weblog
  白虎隊自刃の地 飯盛山 

 白虎隊士中二番隊の蘇生者、飯沼貞吉の墓を進むと、興味深い墓を発見。白虎隊の武士道に感動したドイツ人が、「自分の墓を白虎隊と同じところに」と望み、願いが叶って眠っていました。父母と子ども1人の3人。
 そのすぐ先に、山の斜面を削って平地を造ったような細長い場所がありました。そこが、白虎隊自刃の場所。狭いですよ。しかし、見晴らしが良く、鶴ヶ城がよく見えました。

 この場所から、鶴ヶ城が燃えているのを見たのだろう(誤認でしたが)。その、同じ場所に自分が立っていると思うと、なんとも感慨深いものがありました。そして、自分の今立っている足元で、20人の若者が自刃した。

 ただ…どうも不思議なんですが、狭い場所ですよ。20人が自刃したら、折り重なったでしょう。見苦しいと考えるのではないかなあ。腹を切った子、のどを突いた子、頸動脈を切った子・・・ある子は茂みに入り、またある子は、道の方へ行き…と、お互いが見える範囲で、お互いが折り重ならないように散らばるような気がするのですが。全員同じ場所で…だとしたら、もっと広いところを選んだのでは。屍になっても、同士に迷惑をかけないと考えるのではないかなあ。会津藩校日新館什の掟に、みんなでまとまって死ぬるべしなどはない。今となっては、場所などどうでも良いことですが引っかかるものがあります。

 来た道を引き返し、エスカレーターが着いた広場へ戻りました。
「ひとりのドイツ人が、会津の若き騎士たちへ」の碑文が刻まれた記念碑を見て、白虎隊が世界中に知れ渡っていることを認識。
 並んで、ムッソリーニがローマ市民の名で贈った記念碑があります。碑は、ポンペイ遺跡から発掘した古代円柱で、上部にマサカリ(斧)を持った鷲が羽を広げています。
 碑文には、「文明の母なるローマは白虎隊勇士の遺烈に不朽の敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章のマサカリを飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」と記されていました。また裏へまわると、「武士道の精華に捧ぐ、1928年6月ローマ元老院とファシスト有志より」と刻されていました。

 ムッソリーニ!ファシスト!飯盛山でこの懐かしい名前に遭遇するとは思いませんでした。新鮮な感動でした。ムッソリーニは、自分の思想を、ファシズムと名付けた。共産主義、民主主義等の徹底的排除。暴力的独裁。侵略主義。こう並べると、悪逆非道、大悪人ですね。お友達ではありませんが、このムッソリーニ、大変な勉強家で英・独・仏語ができる。母国語のイタリア語を入れると、カルテリンガル!バイリンガルの倍です。世界の指導者で、カルテリンガルの人ってもう出ないでしょう。さらに、哲学・思想・芸術にも造詣が深かった。日本の歴史も熱心に学び、白虎隊に大いに感動し記念碑を建立してくれた。しかも、ポンペイ遺跡から発掘した石柱。エンタシス形式の柱で、見事なものでした。もう、30年以上も前ですが、ポンペイへ行ってきました。印象に残っているのは、遺跡をアジトに、学校へも行かず、観光客のスキを狙っている少年たち。彼らも今は40歳代、立派なマフィアになっていることでしょう。バスに乗ってナポリまで行きましたが、バスを降りるとき、「このまま乗ってな。降りたら何時間生きていられるかわからんぞ」と運転手に注意されました。すれ違う人が皆強盗殺人犯に見えました。こちらもそのように見られているのか、被害に遭わずに済みましたが…。ナポリは今どうなっているか、検証に行かなければ。

 ムッソリーニは、「独身税」「子無し税」を提唱していました。日本も、少子化対策の一環で、これらを検討する必要が…よく考えると、それもファシズムですね。
 ムッソリーニの言葉に、いいのがあります。「社会主義とは、ペテンであり、喜劇であり、幻想であり、ゆすりである」…感心します。ものの分かった人だったのです。ユーモアを大切にしたのでしょう。イタリア国内では人気がありますから。

イタリアとドイツからの二つの記念碑の向かいに、19人の「会津の若き騎士たち」の墓がありました。19の墓石が一列に並んでいました。線香の煙がもうもうと立ち上っていました。お参りさせていただきました。下山のエスカレーターはないので、引力を利用する得意の下段方法で降りてきました(早い話が、階段を自分の足で下りてきた)。

 飯盛山の出口近くで、「戸の口堰洞穴」を見ました。猪苗代湖から会津平野へ水を引いた洞穴です。20人の白虎隊士中二番隊が、鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴を抜け穴として使ったと伝えられています。生き残りの、飯沼貞吉が話したのでしょう。子どもの頃からこの洞穴で遊んでいたので、内部を熟知していたとのこと。敵の目を逃れて移動するには、もってこいの連絡通路だったわけです。洞穴を出て山へ登り、自刃したのです。
 戸の口堰洞穴、豊かな水量でした・・・








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