織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

日光讃歌(64)信仰の地  「行者堂」

2013年08月16日 17時29分02秒 | 日光の名所





 日光讃歌(64)信仰の地  「行者堂」 




信仰の地・行者堂



滝尾神社へ到る少し手前に、「行者堂」という古風なお堂がポツンと一戸だけ建っている。

この行者堂は女峰山へ向かう登山口でもあり、役行者が非常に健脚であったので、足が丈夫になるようにとの信仰があり、草鞋の奉納が多い。


ここは「峰修行」の行者の拝所でもあったようで、 堂の創立年代は不明であるが、輪王寺の記録によると、天正三年(1575)桜本坊宗安によって再興されたと伝えられている。 
その後幾度か修理を経て今日に至っているという。

堂内には「役小角」を祀り、前鬼、後鬼を配して守り神としている。



日光山の修験行のことを、総称して三峰五禅頂(さんぶごぜんじょう)といい、春・夏・冬の峰修行を三峰(さんぶ)と云い、秋の峰修行は五禅頂(ごぜんじょう)という。

行者達が、行者堂を経て女峰山に入山する峰修業といわれるものは、まず日光山域正面の四本龍寺に集合し、行者堂から入山、女峰山を目指し、さらに峰々を踏破しつつ男体山に至り二荒山神社中宮、中善寺(中禅寺)を経て、出発地である四本龍寺に戻ってくるという。

天下泰平・国土安泰など、山の頂にある小祠に祈願しながら修行を行うものである。



日光山の開山は、奈良後期の8世紀に勝道上人が開山したとされているが、男体山山頂からはさらに古い時代の遺物も発見されているという。

役小角が、日光に足跡を残したかどうかは定かでないが、奈良期の初期ごろには修験者が立ち入っていたことは確かで、勝道上人以前から日光は信仰の山であったと考えられるという。 
その後、地元の修験道者・勝道上人が入山するのである。



次回、信仰の地 滝尾参道





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日光讃歌(63)信仰の地  「滝尾神社」

2013年08月15日 16時36分55秒 | 日光の名所





日光讃歌(63)信仰の地  「滝尾神社」 







幽玄な滝尾参道



日光の神橋から輪王寺・東照宮・二荒山神社を通って「女峰山」に続く道は、奈良時代から平安時代初期に下野で活躍した勝道上人が、男体山を開くために辿った道である。
又、日光修験の秋の修業である五禅頂(日光山の入峰修行の代表的なものは 三峰五禅頂とも呼ばれた;惣禅頂)の道でもあった。


その女峰山を目指す麓の途中に、この山と最も関連が深い神社である「滝尾神社」が鎮座している。
二荒山の男神に対して、女房神ともいえる日光で最も古いとされる「滝尾神社」で、神社そのものが、女峰山の神を祭っている神社なのである。

特に、東照宮や大献院を拝観し、その権威の象徴ともいえる多彩な彫物や絵柄、悪く言えば些か(いささか)コテコテしさを観覧した後に、こちらの清冽な空気と新鮮な深い緑に覆われ、苔むした滝尾神社を訪れると、スーと心が洗われて清新な気持ちになること請け合いである。

思えば、徳川以前の日光は、それこそ純然とした信仰と修行の山域で、滝尾神社のように自然にスッポリ囲まれた静寂な聖地であったことだろう。 
江戸期以降になってからは、信仰と観光を兼ねた、チョッと賑やかな日光が出来上がっていったのである。


次回、行者堂





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日光讃歌(56)日光三山  「男体山・中宮祠」

2013年07月03日 17時31分05秒 | 日光の名所






日光讃歌(56)日光三山  「男体山・中宮祠」








写;二荒山中宮祠鳥居と神門

 


大昔、私たち日本人の先祖は、天高くそびえ、雲、雨、雪、かみなりなどさまざまな自然現象を展開し、命のもとである大切な水を恵んでくれる高い山々に、おそれと尊敬の心を抱いた。

そこには神がいると信じた。
自然に生まれた山岳信仰である。
 
関東平野の北方にそびえる霊峰二荒山(男体山)も古くから、神のおられる山として、敬われてきた。
中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝の地に鎮座する神社が、二荒山神社中宮祠である。


一般に日光というと、市街地(日光市内・日光山内)方面のことを呼ぶ場合が多い。

これに対して、中禅寺湖や男体山周辺、さらに湯元方面まで含むエリアを奥日光という。
それは概ね、清滝を過ぎた「いろは坂」以降、特に、ここからよく見える「屏風岩」が境ともいわれる。 

尤も、湯元エリア付近のみを奥日光と呼ぶ人もあるようで、と言うことは、中禅寺湖、中宮祠辺りは中日光と呼んでもおかしくない様だが・・?。
 

その中宮祠御本体である男体山は、二荒山とも呼ばれ、その「ふたら」とは観音浄土の補陀洛(梵語-ぼんご-)から出ていることは再三述べた。

二荒山の命名説は、「屏風岩の穴から現れる風神と雷神が 年に2回嵐をもたらし、荒れるから」という説がある。
また日光という地名は、「二荒」を音読みにしたものともとされ、元々は、市街地方面を日光と呼んでいたわけではないのである。

二荒(フタラ、あるいはニコウ)の名称には他にも諸説あるようで、『式内社調査報告』には以下の説が紹介されている。

★  二神示現説…男女対の神の現れ。二神のあらわれ。
★  補陀落山説…観音浄土を表す、補陀落(ふだらく)山の転化。
★  布多郷説…男体山一帯を、和名抄の布多郷にあてたもの。
★  二季暴風説…年2回の暴風。
★  アイヌ語源説…アイヌで熊笹を意味するフトラの転化。
★  土子説…マタギの地名「根子(ネゴ)」が土着後「土子(ニコ)」となった。
★  荒風現象説…二季に渡る「男体颪」と「日光雷」。
★  荒神説…二荒は、太荒であり、荒神の意味。
★  安羅説…日本府のあった安羅の音から、荒々となり、二荒と変化。
 
等々、多彩である。



「式内社調査報告」とは、

平安中期に書かれた朝廷及び朝廷周辺に関する規律(律令)、格式を著わした書物を延喜式(えんぎしき)といい、その中に神社の格式を著わしたのを「延喜式神名帳」(えんぎしき じんみょうちょう)と呼ばれている。 
それは、延長5年(927年)にまとめられた「延喜式」のうち、巻九・十に纏められたものをいい、当時、「官社」とされていた全国の神社一覧である。


式内社調査報告は、その「延喜式」に書かれてある神社を調べるために、或いは、調べた結果を記した中心的な書物である。
この「式内社調査報告」は、全巻25冊にも及ぶとされ、聞くところ、神田の古本屋で一冊25万円で販売していたとか。


次回、 「男体山・中宮祠・Ⅱ






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日光讃歌(53)奥日光 「日光湯元とイザベラ・バード」

2013年06月02日 15時03分49秒 | 日光の名所





 日光讃歌(53)奥日光 「日光湯元とイザベラ・バード」 






イザベラ・バード女史




又、先に紹介した英国の女性旅行家・イザベラ・バードによると、日光滞在中(明治11年頃)に当地を訪れて八島屋に宿泊し、自身の本国への手紙に湯元温泉の活況ぶりを記した。

それによると、
『 湯元温泉は当時リウマチや頑固な皮膚病に効能のある温泉として有名で、大勢の湯治客によりごった返していた。また宿屋は内外ともに清潔で畳は白く襖は軽く香気を放っており、宿泊客はお茶やお茶請けの菓子、凍った雪でもてなされていた 』と記している。


それ以外にバードは、

『湯元には密集した村落があったこと、村落の住宅はきれいな住まいであったこと、住人は毎年10月に冬に備え住宅を“むしろ”で包み翌年5月まで週交代の1人の当番を残して低地で暮らしていたこと、湯元の入口には露天風呂があったこと、村の浴場は4箇所あったこと、村の背後には四角い浴槽の大きな温泉があり湯温は華氏130度(摂氏54.4度)であったこと、冬は3メートルの積雪があった 』 ことなどを書き残している。

1954年(昭和29年)、湯元温泉は酸ヶ湯温泉および四万温泉とともに国民保養温泉地の第一号指定を受けている。



奥日光 「日光湯元の温泉街




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日光讃歌(50)奥日光 「日光湯元スキー場」

2013年05月03日 23時03分09秒 | 日光の名所




日光讃歌(50)奥日光 「日光湯元スキー場」






奥日光の湯元温泉へ訪れたことが数回あった。 
それは、日光山や中禅寺湖湖畔を観光した回数よりも、かなりの数なのである。
目的は、スキーであった。 

スキー場は、何もこちらの日光湯元スキー場より関越方面の近場もあったのだが、家族が気に入って始めのうちは良く来たもんで、それも暮れから正月にかけてがが殆どであった。

利用したホテルは「日光グランドホテル」で、施設としては特上クラスの観光ホテルであるが、何よりもNTT(当時、電電公社)の特約の指定保養所になっていて、上さん(妻がNTT社員)の関係で超格安(通常の3分の1程度)で宿泊できたのである。


ホテルはスキー場に隣接していて、スキー板をつけたままで玄関前まで滑り込んで来ることも出来るのである。 
そして、当ホテルでは年末年始になると特別の催し物が付いていて、宿泊者一同が楽しい一時を過ごすことができ、子供たちが特に喜んでくれるのであった。

キッカケはその年の夏、始めて家族と日光を訪れ、各所の観光県物を終えて、当館のホテルに宿泊した時のこと、周囲の大自然に囲まれた環境は絶佳で、正面には湯の湖が満々と清水を湛えて静まり返っていた。
ホテル住まいも豪華そのもので、特に小生たちは温泉浴場や温泉そのものに大満足であった。
そして、ホテルの直ぐ隣の草原へ家族とともに散策に出かけた際に、
「あれなーに・・?」と問われたので、
「あれはスキーのリフトだと。ここは冬になると雪が積もってスキー場になるところで、スキーの客をこのリフトで上まで運び、そこから滑り降りてくのだよ」と言うと、子供が、
「スキー、やってみたい」とせがむのであった。




奥日光 「日光湯元スキー場・Ⅱ」





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