「形態は機能に従う」
アメリカの建築家、ルイス・サリバンの有名な言葉なのだそうだ。
建築家のT橋さんが事務所に来て、「建築のデザインとは」「奇をてらう建築とそうでない建築の違いは」など、話し合っているときに教えてくれた。
「大事なのは、意志のある設計がどうかということだよ」
とT橋さんが言えば、
「それはテーマとも言えるものだね」
とS藤さんが言い、
「テクニックやシルエットにおぼれてはだめ。結局、形態は機能に従うものだから」
とT橋さんがしめたのだ。
わが家を設計してくれたT橋さんは、ことあるごとにこう言った。
「建築の美しさは機能美。美しさには理由がある」
この高さ、この幅、この広さにするのには、ちゃんとした理由があるというのだ。
「ある意味、美しいものを数字化したものが図面とも言えるね」
おお~、と私はうなった。まるで、『博士の愛した数式』(小川洋子著・新潮社刊)みたいではないか。
「とは言っても、数字よりも測ることの方がまず大事なんだよ。言い換えれば、図面や数字が先にあるのではなく、測ることが先にあるということ」
図面はすべて数字でできているのに、そのパーツパーツである数字よりも、「測る」という人の手による行為そのものの方が先ということか。
「測ることで、ものとものの距離がわかります。ものとものの距離がわかることで、ものの有り様がわかります」
と言ったのは、宮部みゆきの小説『ぼんくら』(講談社刊)に出てきた少年である。
また、T橋さんはこんなことも言った。
「まず、まわりの環境があって建築がある。普遍的な環境(気候であったり風土であったり土地だったり)があってこその建築」
「哲学者の内山節さんがおっしゃっていましたよね。その地域の自然があって、そこから『おのずから』やるべきことがわかると。農の営みだけではなく、建築でもそれが言えるってことですか」
「建築は、その最たるものだよ」
おお~、私は再びうなった。普段へろへろしているT橋さんが、すごい人に見えてきた。
「なるほど。じゃあ、一つ質問なんですけど、さっきT橋さんは『意志のある設計』って言いましたよね。意志のある設計と意志のない設計はどう見分ければいいんですか」
「それは」
S藤さんが横から言った。
「それは、あなたが信じる建築家の言うことを信じることだよ」
「え?」
「自分にその目がなければ、自分の信じる人を信じるしかないでしょ。それはデザインでも同じ。あなたにデザインを見る目がまだなければ、オレたちの信じるデザイナーを信じること。例えば、そのデザイナーが仕上げたものを見たとき納得できなくても、それは自分がそれをいいと思える目がなくて、自分の理解の幅を超えているということ。そう考えれば、自信を持ってお客さんに提示ができるでしょう。信じる人の持つ『引き出しの量と質』を信じることだよ。それは、建築でも同じこと」
T橋さんの言った言葉で、もう一つ印象に残ったこと。
「図面を見たとき、間違いじゃないけど、ムードが悪いっていうのがあるね」
「なるほどー、ムードですか!」
ムード。最近あまり使わない言葉だけれど、改めて聞くとなかなか奥の深い言葉である。うまく言葉にできなくても、そこにある何か、ということだ。それを感じ取れる「何か」も必要だ。
建築談議は文学にも哲学にも通じる。
いやあ、T橋さん、今日は見直しちゃいました。
(施主なので、言いたい放題言っても許してもらえるでしょう……、きっと)
アメリカの建築家、ルイス・サリバンの有名な言葉なのだそうだ。
建築家のT橋さんが事務所に来て、「建築のデザインとは」「奇をてらう建築とそうでない建築の違いは」など、話し合っているときに教えてくれた。
「大事なのは、意志のある設計がどうかということだよ」
とT橋さんが言えば、
「それはテーマとも言えるものだね」
とS藤さんが言い、
「テクニックやシルエットにおぼれてはだめ。結局、形態は機能に従うものだから」
とT橋さんがしめたのだ。
わが家を設計してくれたT橋さんは、ことあるごとにこう言った。
「建築の美しさは機能美。美しさには理由がある」
この高さ、この幅、この広さにするのには、ちゃんとした理由があるというのだ。
「ある意味、美しいものを数字化したものが図面とも言えるね」
おお~、と私はうなった。まるで、『博士の愛した数式』(小川洋子著・新潮社刊)みたいではないか。
「とは言っても、数字よりも測ることの方がまず大事なんだよ。言い換えれば、図面や数字が先にあるのではなく、測ることが先にあるということ」
図面はすべて数字でできているのに、そのパーツパーツである数字よりも、「測る」という人の手による行為そのものの方が先ということか。
「測ることで、ものとものの距離がわかります。ものとものの距離がわかることで、ものの有り様がわかります」
と言ったのは、宮部みゆきの小説『ぼんくら』(講談社刊)に出てきた少年である。
また、T橋さんはこんなことも言った。
「まず、まわりの環境があって建築がある。普遍的な環境(気候であったり風土であったり土地だったり)があってこその建築」
「哲学者の内山節さんがおっしゃっていましたよね。その地域の自然があって、そこから『おのずから』やるべきことがわかると。農の営みだけではなく、建築でもそれが言えるってことですか」
「建築は、その最たるものだよ」
おお~、私は再びうなった。普段へろへろしているT橋さんが、すごい人に見えてきた。
「なるほど。じゃあ、一つ質問なんですけど、さっきT橋さんは『意志のある設計』って言いましたよね。意志のある設計と意志のない設計はどう見分ければいいんですか」
「それは」
S藤さんが横から言った。
「それは、あなたが信じる建築家の言うことを信じることだよ」
「え?」
「自分にその目がなければ、自分の信じる人を信じるしかないでしょ。それはデザインでも同じ。あなたにデザインを見る目がまだなければ、オレたちの信じるデザイナーを信じること。例えば、そのデザイナーが仕上げたものを見たとき納得できなくても、それは自分がそれをいいと思える目がなくて、自分の理解の幅を超えているということ。そう考えれば、自信を持ってお客さんに提示ができるでしょう。信じる人の持つ『引き出しの量と質』を信じることだよ。それは、建築でも同じこと」
T橋さんの言った言葉で、もう一つ印象に残ったこと。
「図面を見たとき、間違いじゃないけど、ムードが悪いっていうのがあるね」
「なるほどー、ムードですか!」
ムード。最近あまり使わない言葉だけれど、改めて聞くとなかなか奥の深い言葉である。うまく言葉にできなくても、そこにある何か、ということだ。それを感じ取れる「何か」も必要だ。
建築談議は文学にも哲学にも通じる。
いやあ、T橋さん、今日は見直しちゃいました。
(施主なので、言いたい放題言っても許してもらえるでしょう……、きっと)