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池大雅(いけのたいが 1723-76)という画家・書家がいる。日本美術の偉人のひとりで、南画(文人画)の大成者とされる人であり、たとえば木村蒹葭堂などは彼の弟子である。そしてこの池大雅の晩年の代表作に『洞庭赤壁図巻』(1771 重文)というすばらしい大作があって、2007年から続けられてきたその修復作業の完成を記念し、10月から11月にかけて、ニューオータニ美術館(東京・紀尾井町)で作品展がおこなわれた。たったの13点のみの展示ながら、これは今年のベスト1に推したいほどすばらしいイベントだった。
鎖国下の近世日本で、洞庭湖や瀟湘、赤壁といった中国の名勝の山水を、明るいタッチで描き継いでいくスタイルは爽やかそのものである。もちろん彼自身、一度も中国など行ったことがないわけで、渡来の画譜類、そしてヨーロッパ絵画の手法も参考にしつつ、彼独自の「胸中山水」を拡大していったが、私は彼の本質はロード・ムービーだと思う。旅を愛し、登山を愛しつつ、彼の筆は横へ、横へと広がっていき、長大なる横長のスクリーンが現出していったのだ。いくら日本国内を歩き回ってスケッチをくり返したところで、本場中国の山水画に近づくことは幻想に過ぎないことは、百も承知だっただろう。それでも彼は、胸中をネガ紙として山水を現像し続け、その筆致は歩行のリズムを正確に刻んだ。
その池大雅が画家としてデビューしてまもない26才の時(1750)に紀州・和歌山を訪ね、リスペクトの意を捧げにいったのが、すでに75才となり、翌年には亡くなる文人画の先駆者・祇園南海(ぎおんなんかい)である。池大雅は出来たての新作『楽志論図巻』(1750)を、私淑する南海に見せ、巨匠は若き才能が遠路はるばる訪ねてきたことに謝意を示し、この新作に跋を寄せた。祇園南海については、こちらの拙文を請参照。
ニューオータニの壁ポスターを見て、南海のまとまった数の作品を見られる稀なる機会が、和歌山市立博物館にあることを知り、居ても立ってもいられなくなり、気づいたら新幹線に乗り、泉州・紀州の旅に出たのである。
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