荻野洋一 映画等覚書ブログ

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明るい部屋

2013-07-29 01:55:17 | 身辺雑記
 けさ、自宅の郵便ポストに「nobody」と「映画芸術」の最新号がそれぞれ似たような茶封筒に入って届いていた。これは偶然の出来事であるが、ある必然の紐帯によって緩やかに結ばれてもいるだろう。「nobody」の最新号(第39号)は、3月に急逝した映画批評家、梅本洋一の追悼特集号だ。これは当然のことだろう。当誌にとって梅本は「カイエ・デュ・シネマ」にとってのアンドレ・バザンのような父祖的存在である。私もこの号では「Tokyo Honkytonk Man──梅本洋一の東京マップ」に対して原稿いくつかと、梅本に先立つこと2ヶ月前の1月に亡くなった映画監督、大島渚の追悼文「さらば夏の妹よ」というのを書かせてもらった。梅本を追悼する非常にすぐれた素晴らしい人々の玉稿のなかにわが駄文を紛れ込ませることがどうやらできた恰好である。全体を見ると、現代日本におけるきわめて異例の雑誌誌面となっている。
 「映画芸術」の最新号(第444号)は、公開の日が近づいてきた『共喰い』の特集号である。1月に大島渚が逝き、3月に梅本洋一が逝き、9月には青山真治の兇暴なる怪物的作品『共喰い』が公開される。これが2013年という年である。残された者はなんとかして悲愴の中から勇壮を奮い出していかなければならない。そういう固有名詞の連なりである。

 先週、前期のみ非常勤で「映画論」の講義をおこなっている横浜国立大学で、今季の最終日を迎えた。前期試験を実施した。学生たちの解答用紙を回収したあと、私は無言の挨拶をするために、第一研究棟の5階にある梅本洋一の研究室の前まで行ってみた。
 あるじを失った部屋は鍵が閉められ、ドアのガラスから覗くと、室内は夏の強烈な日差しを受け、明るい静けさばかりが強調されていたが、彼のデスクも椅子もMacも、そして書庫もDVDの棚も、愛用のデ・ロンギ製エスプレッソ・マシーンさえ、そのままだった。トリュフォーのポスターは半分剥がれかかっている。ブラックの椅子は、あたかも彼が最後にそこから立ち上がった際のアクションに反応したままのごとく、斜め横に回転していた。
 私が次の機会にここへ来たとしても、もうまったく別の空間になっていることだろう。おそらく新しいあるじを迎えているかもしれない。そういう惜別の思いを空間に差し向けながら、私はiPhoneのシャッターボタンを押した。そこには何が写っているのだろう? さっきまで前期試験を受けていた、今年の生徒のひとりが、廊下でシャッターを押している私に後ろから声をかけてくれた。「ブログ、いつも読んでます。」 彼のこの一声のおかげで、この廊下での無性の淋しさ、心細さが、少し和らいだ。


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