帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
初産のとき知った持病・・・
出産退院後は義父母達と一か月同居。
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の23≫ 出産を経て・・・
「やっぱり近所がいいね。」
「二人目は歩いてでも行けるところがいいんとちゃう?」
「N産婦人科にするわ。一番近いし娘さん(女医)帰ってきてはる
し・・・やっぱり女医さんは気遣い違うし・・・」
初産は、やはりそれなりに整った所がいいだろうということで、
近くの大きな病院を選んだのだが、予約しているにも関わらず、
毎回、時間が掛るのが欠点だった。
初めての検査で、特別な持病が見つかった。
発病していないキャリアということもあり、懇切丁寧に指導をしてくれる
準助産婦もつけてくれて有難かったが、実際はかなり辛いものだった
なんでも特別がいいとは限らぬもので、こういうときは辟易するものである。
おーい!そこのお医者(男性)さん、(モデル)クランケに
聞こえるぐらい大きな声で説明しないでよね。
ほんとに、デリカシーがないんだから・・
指導であろうか、若いインターンたちが毎回、3~5人ぐらい
来ていたようである。なんだか見世物にでもなったようで嫌だった。
せっかくモデル(クランケ)が我慢して勉強させてあげてるん
だから、君たち真剣に勉強してよーって思っちゃうよ!!
劇症発作でも起ころうものなら何時間か以内に死ぬこともあるなんて
脅されたこともあるが、それほど気にしなくてもよい程度(キャリアと
言われる)なので、ま、その時はその時と至って私はのんきである。
人間、死ぬときは死ぬだろうし、
嫌でも生かされるときは生きるもんだ。
子供のときからある、根本的な自分に持ってる考えである。
ちなみに子供達は今のところ、自分で抗体を作っているようで
遺伝は良い方へといってくれているようである。
怖いのは大人になって不摂生が続いたときだろう。
父はやはり男性でこういうときは役に立たないので、すべてを
義母にお任せします。ということだったので退院後、1か月ぐらい
を一緒に同居させていただいた。義母が喜んだのは言うまでもない。
義姉のときは過保護すぎて神経質な長男(赤ちゃんのときだけ)
に なったのを参考に全く逆な環境をした。
普通に出る音を普通に聴かせただけであるが・・・
ゆうちゃんが祭りの時にぐっすり寝ていたのには
皆、「頼もしいやっちゃ!」と笑ったものである。
今、私は思う。。。
私は何かに(誰かに)守られている気さえする。
不思議なもので、私が山で良い空気を吸いながら
健康に育ったのもこの病気を克服するためのもの
だったのかも知れないとさえ思うのである。
そして・・・・・
私を産んでくれた人は、どんな人だったのだろう・・・
どんな気持ちで私を産んだのだろう・・・
初めて、愛おしさを込めて、そう思うのである。