帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
さっちゃんのパパはすでに父と呼ばれる時代となりましたので、
題名を少々変更致しました。引き続き、喜怒哀楽をお楽しみ下さい!
題して『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の13≫ 忘れられた三年間
中学時代の三年間、私は、父のことをほとんど思い出せない。
なぜだろう?・・・嫌っていたなら思いだせるはずなのだが・・・
不思議なことに、唯一の期間のみ記憶に残っている。
これが、エッセイ記憶とでもいうのかな?
そう、看病記2部 で書いた中学1年生から2年生の間の、
母のグローブの手の入院期間だけが記憶に残っている。
前回書いたことにより、男性不信に陥っていたのだろうか?
いや、それよりも、たぶんあることに一人で一番悩んだ時期
だったと思うのである。それが、どうやって親と付き合っていい
のか、迷うことになっていたのだと思う。
あっ、そうだ。男性不信ではないことは確かやわ。
一応、初恋の男の子がいたんやった!! 卒業式の日、
サイン帳に書いてくれへんと喧嘩別れして帰ったんやった。
「冗談やがな。」 といって、後ろを追ってくるのを、
「ふ~んだ、もう、ええわい!」 な~んて走って帰ったたんやった。
思えば最悪な卒業式の日やったんやなあ。。。
しょーもないこと思いだしてしもたわ~!
そういえば、高校も女子高を選んでいた。当時、公立では最後の
女子高だった。卒業して少しすると共学になってしまった。
今は場所も移動してしまい、母校という感じもなくなってしまったが・・・
後で聞いたことだが、父はこのときの滑り止めで受けた私立高校
に行って欲しかったそうである。私は家庭の状況を見て、
公立でないと・・・という気があったのだが。
このころは、学校でのことが一番楽しかったのかな。
思いだすことと言えば学校がらみのことばかりである。
自分のことは、全てにおいて自分で決めていたような時期。
両親には報告だけしていた。そんな三年間だった。
父には悪いことしたかなと今になって思う。
それも有るけど
私もその頃は全て自分で答え出して
動いてましたね
そんな自立の時期なのでしようね
ありがとうございます。
お元気そうでなによりです。
娘さんがこれからそういう時期ですね。
親としては複雑な気分なのでしょうね。
自立しないのも困りものでしょうけど、
さっさとされるのも寂しいものかも。
私の場合、見ないふりをしてたことが
多かったように思います。
面白いことが、重なる時期ですね。
我も3年間の記憶が、メッチャカ になっております。
はたして、これが中学の時か、はたまた、何時時期かサッパリ分らない時があります。
obichanさんも、見方によれば、幼いときから苦労の連続・・・
3年間の、“記憶喪失”!! みたいな感じですね。
男親にしてみれば、“娘からの無視”寂し~い ものがあります。
きっと、寂しいものが有ったに違いありません。
syoさんも記憶不順の時があるのですね。
>男親にしてみれば、“娘からの無視”寂し~い ものがあります。
でもね、無視せざるを得なかった時もあるんです
よね。ひっきりなしに来る借金とりなどは、見ない
ふりしてあげる方が、気が楽なんじゃないかな?
なんてこと思ったりね。裁判がどうのなんてこと
チンプンカンプンだったわけですよ。
子供は親がすること見守るしかないときがあるの
ですね。