OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

楽しむことに対する罪悪感なんて、道端の石ころみたいなもんさ

2019-02-21 08:42:24 | Weblog
楽しいと感じることに罪悪感があります。幸せと感じるなんて、とんでもないことだと。でも・・・それでは、生きていくのが、あまりにも息苦しいのですよね。

本来、楽しいと感じることが罪であるはずがありません。幸せであることが許されないなんて、思うことの方が間違っています。頭では分かっています。そう感じていることが、単なる自己満足でしかないことも・・・。

だから・・・なんとか楽しまなきゃと思います。日々を楽しまなきゃ、生活を楽しまなきゃ・・・。そしてまた、それが自分へのプレッシャーになります(爆)。

第一、もはや、自分を楽しませる方法が分からないのですよね。何にもさしたる興味が持てない、何をしてもたいして楽しいとは思えない・・・一瞬は楽しくても、その感情が継続しない・・・興味も継続しない・・・以前からの惰性の中に楽しみの破片を探して縋りつくけど・・・そういうの長持ちしませんよね、だってそれってマヤカシだもの。

なんて、超後ろ向きなことを書くつもりではなかったんですよね。

上記のようなこと、深刻ぶって話してますけど・・・似たようなことが、日常の中の、どうでもいいような些細なこととして、当たり前に存在していて・・・ほんとうは、上記のような感情も、決して特別なことじゃなく、誰もが日々に、ちょっとずつ感じていることが、ちょっと塊になって圧し掛かっているだけかなと思ったんですよね・・・

えっと・・・ほんとうに些細でショウモナイことなので、読んでから「おいおい、いいかげんにしろよ、くそショーモナイ」って思わないでくださいよ・・・

いきます・・・えっと・・・わたし、浪費家ではないと思うのですが、面倒臭がりなので倹約なんてとても無理なタイプです。けど、なぜか紙は結構節約します。コピー用紙は、人にお渡しする書類などではない限り、片面印刷された(つまり裏が白い)紙を再利用しますし、メモ用紙も、チラシだとかダイレクトメールだとか何やかやの紙を手頃なサイズにカットして自分で綴じ裏側を使います。

けど、紙の無駄遣いを嫌うという感情の裏側には、紙というものが好きという感情もあるらしく・・・素材がステキだったり、模様が綺麗だったり、可愛らしいものなんかも、目にすると欲しくなってしまいます。でも、それを買って日頃のメモ書きに使うなんてとんでもない・・・そんな贅沢には"罪悪感"ありまくりですっっ!!

あっ・・・罪悪感・・・これだって、楽しむことに対する罪悪感だよな・・・ちょっとした贅沢、それで得られる喜びとかモチベーションの向上なんかを考えれば、決して無駄とは断罪できない程度の贅沢・・・でも、罪悪感を感じる・・・なかなかできない・・・

なんだ・・・わたしが深刻に抱えている、楽しむことに対する罪悪感なんて、そこここに転がっている石っころみたいなちっちゃな意味のない罪悪感とさして違わないものじゃないか・・・悲劇のヒロインみたいに自分を憐れんでるなんて滑稽じゃないか・・・そんなことを思ったのでありました・・・(^^;。

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