オーソレ、何それ?

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適当に書きつづります。

昭和天皇と高松宮:微妙な兄弟関係

2005-01-05 00:02:07 | 太平洋戦争
昨年の年末に昭和天皇の弟宮である高松宮の、戦前から戦後直後までの綴られた日記の内容を紹介する番組が放送されていたが、昭和天皇と高松宮の立場の違いによる認識の違いは興味深かった。高松宮は海軍参謀として太平洋戦争の実情を知る立場にあり、昭和天皇に対してもその実情を報告していたが、昭和天皇は政府からの報告を「事実」であると認識していたそうだ。

たとえばミッドウェイ海戦で連合艦隊の主力空母4隻が沈没したことは、高松宮には情報が入り、そのことは日記に記されていた。しかし大本営はミッドウェイで「加賀」と「蒼龍」のみが沈没したと発表し、海戦後の連合艦隊の再編成表には第3艦隊に「飛龍」と「赤城」は付属としてだが名を連ねている。編成大権は天皇にあるわけだからこの表は昭和天皇の許可を受けている。高松宮から4隻沈んだと報告があっただろうし、編成表には「付属」と記載されているのだから、この2隻も沈んでいるとうすうすご存知だとは思うが、このような曖昧な戦力把握で昭和天皇に正確な判断ができただろうか。

高松宮は、早くから和平工作を行うよう昭和天皇に進言していたようだが、政府からの正規ルートを重視する昭和天皇はこれを受け付けず、そのことに関する不満が高松宮の日記に綴られている。戦況が悪化すると重臣たちの間から東條内閣の倒閣運動が起きるようになり、その中心にいたのが高松宮だったと言われ、高松宮自身も東條首相の暗殺をほのめかすような発言をしていたという。

戦況が更に悪化し日本の主要都市が爆撃により焼け野原になり、2発の原子爆弾投下により多数の人命が奪われた後、日本の降伏は昭和天皇の「ご聖断」によって決定された。終戦後天皇家の存続のため高松宮夫妻は奔走した一方で昭和天皇の退位を画策していたとも言われている。

昭和天皇は立憲君主国の元首として政府の意思を尊重したために高松宮の進言を受け付けなかったのか、昭和天皇と高松宮との間に信頼関係が築かれていたかについてだが、この二人の人間関係は微妙であったものと思われる。まず戦前の2.26事件などの軍部の動きが活発だった時期に、軍部の意のままにならない昭和天皇を廃し、高松宮などの弟宮を擁立する動きもあったと言われている。昭和天皇にとっては、高松宮は「自分の地位を危うくする人間」というという思いがどこかにあったのかもしれない。そのことが、戦争中に高松宮の進言を斥けられたり、戦後お二人の仲がしっくりいかなかったことにつながっていたのかもしれない。

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5 コメント

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Unknown (y.sLAH歩兵科SS上級大隊指揮官)
2005-01-05 22:58:35
さくらさんのブログから侵入しちゃいましたー(私はウイルスかー)

どーも名前は長いですからドイツでいいですー!私なりに戦争マニアなのでー気が合うかなー?と・・・まぁ私のブログのアド載せときますねーhttp://blog.livedoor.jp/nomoken13/
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コメントありがとうございました (o_sole_mio)
2005-01-06 00:28:05
ドイツさん、当ブログへようこそ。



私も中学生の頃はミリタリーものが好きで軍艦や戦闘機のプラモデルをよく作っておりました。

年を取るにつれ、メカ関係からその時代を生きた人たちの人間像に興味が移り現在に至っております。



太平洋戦争以外にも戦国時代ものや時事、音楽関係など雑多な話題のブログですが、よろしくお願い致します。
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昭和天皇側の視点 (いー)
2005-05-12 13:18:54
山本七平氏の本には、立憲君主として政府の意思を尊重したというのが昭和天皇の立場である、と論じられています。
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君臨すれども統治せず (o_sole_mio)
2005-05-13 00:30:12
いーさん、コメントありがとうございます。



言葉足らずですが「政府からの正規ルートを重視する」にご指摘の意味を含めております。昭和天皇はイギリスの立憲君主制に倣い「君臨すれども統治せず」ということを理想とされていたという説もよく聞きます。
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コメントありがとうございます (toxandoria)
2005-05-13 05:15:30
早速のコメントありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。
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