オーソレ、何それ?

私、o_sole_mioが好きな歴史、旬の話題、
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適当に書きつづります。

本当に凄い人です、キュリー夫人

2004-10-27 23:39:06 | 歴史
娘が今読んでいる本がキュリー夫人の伝記です。でも200ページのうちの20ページしか読んでないそうですが。そこで娘に教えてもらったのは「キュリー夫人はポーランド人である」ということです。てっきりフランス人と思っていました。娘が伝記を完読するのはかなりかかりそうなので、少し先回りして調べて見ました。

キュリー夫人の元の名前はマリア・スクロドフスカといい、ポーランドのワルシャワで生まれました。家は貧しかったが、姉がパリで医者となったため、24才の時にパリへ留学しました。マリアはソルボンヌ大学の学生となり、数学と物理学の学士号を取得しました。そして物理学者のピエールキュリーと結婚し、このとき「マリア」をフランス風に改め、マリー・キュリーとなりました。

キュリー夫妻は放射能の研究を始め、2種類の放射性元素を発見しました。1つには「放射する」という言葉を語源としたラジウムと、もう一つにはマリーの故郷であるポーランドにちなんでポロニウムと名づけました。この功績で1903年にキュリー夫妻はノーベル物理学賞を受賞しました。

しかしノーベル賞受賞の3年後、夫のピエールが事故死するという不幸に見舞われました。
しかしキュリー夫人はその後も研究を続け、夫の後を継ぎ女性初のソルボンヌ大学の教授となりました。そして金属ラジウムの抽出に成功し、その功績により1911年にノーベル化学賞を受賞しました。キュリー夫人は2度ノーベル賞を受賞した初めての人になりました。

1934年にキュリー夫人は67才の生涯を終えますが、死因は放射能による白血病ではなかったかと言われています。キュリー夫人の死後11年後に、広島・長崎に原爆が投下されますが、自分の研究の延長線上にあった原爆がこれら両都市にもたらした災禍をキュリー夫人が知ったら、彼女は何といったでしょうか。

また、キュリー夫人の娘イレーヌは夫との共同研究でノーベル化学賞を受賞しました。親子2代にわたり夫婦の共同研究でノーベル賞を受賞するというのも凄いですね。

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3 コメント

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Re:本当に凄い人です、キュリー夫人 (junk)
2004-11-25 18:22:15
はじめまして。



>家は貧しかったが、姉がパリで医者となったため、24才の時にパリへ留学しました。



これは、マリアがまず上の姉のブロニスラワをパリに留学させることを思いついて、自分は家庭教師をやって姉への仕送りを続け実現させた。姉は医学部を卒業すると同時に,同郷の医師ドルスキーと結婚してパリに住むようになったが,今度はマリアが24歳のとき姉夫婦の家へ屋根裏部屋で寄宿させてもらって留学生活を始めたそうである。



>死因は放射能による白血病ではなかったかと言われています。



現在は遺体の放射性ラジウムやポロニウムなどの放射性同位元素による被爆の影響ではなく、第一次世界大戦中にプチキュリー車でのX線撮影の献身的な治療行為中に受けた被爆影響のせいとある。

http://www.jfcr.or.jp/Ra100/innervision/ito.html
Re:キュリー夫人 (junk)
2004-11-25 19:33:15
11月26日(明日)発売の「キュリー夫人の理科教室」がでます。

丸善(株)

ISBN4-621-07501-2



一般の人、こども、もちろん先生方にもお奨めの本です。
情報ありがとうございました (o_sole_mio)
2004-11-25 22:29:51
junkさん、こちらこそ初めまして。



キュリー夫人に関する貴重な情報ありがとうございました。



マリアのパリ留学計画は、用意周到だったのですね。さすが2度ノーベル賞を受賞したことはありますね。



>X線撮影の献身的な治療行為中に受けた被爆影響のせいとある。



X線被爆であれば、厳密に言って放射能の影響ではありませんね。



「キュリー夫人の理科教室」という本が発売されるのですか、是非娘に読ませたいですね。



今後ともよろしくお願い致します。