電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

040630(水) 夜のシンガポール(前編)

2004年11月28日 | '04インドネシア旅行記
 今日は前回と違いスムーズに車は進む。前回、朝食の時に停まったサービスエリア(?)で休憩。トイレに入る。
 よく見ると出る時、入り口に座っている男に皆お金を払っている。よく見ると看板に「KENCING 500RP・MANDI 1000RP」と書いてある。状況からすると小便・大弁のことだろうか。無視は出来たが500RP払っておいた。さすがイスラムの国、MUSHOLAと書かれた部屋ではお祈りをしている人達がいた。
 
 再び車に乗りジャカルタへ。
 朝になり、4人が降り、2人の夫婦(?)も降り、自分はガンビル駅で降ろしてもらうことになっている。しかしそこをすんなり通り過ぎる。ドライバーに忠告すると「ああ、わかってる」と言ってドライブを続ける。おそらく駅のそばまで行く道が分からないらしく何度も同じ所をぐるぐる・・・。半分呆れてここで降りると伝えて、モナス近くで降りて駅へ。30分のロスだ。
 8:05AMエアポートへのバスに乗る。聞くと10,000RP、うーん、あの1週間前の150,000RPの出費はいったい・・・。
 8:30AM出発。30分程走ったところ、高速道路の途中で止まり、ドライバーが乗客に何か言った後、乗客が皆バスから降りだした。客の一人に聞くとどうやらエンジントラブルらしい。まったく・・・。後から来た他のエアポートバスを止め皆乗り込む。当然立たなければならない。しっかり10,000RP徴収された。

 9:30AM頃到着。時間に余裕があるのと財布に70,000RPが余っているので、マックで朝食。その後、チェックインすると、空港TAXとして100,000RP払えとのこと。そんなの知らない。財布にはもちろんお金が無い。TAX分としてチケットを買う時に150AUD以上払っていたので、てっきりincludeだと思っていたのに・・・(オーストラリアのHISでチケット購入した時、異常に高いTAXに驚いた時、シドニー→シンガポール→ジャカルタの往復だから・・・と説明してくれた。その時は空港を6回使用することになるからと納得したが・・・。)。再びCITIBANKで引き落とす羽目に。悲しい・・・。
 
 飛行機に乗り込む。昼食は出たが飛行時間が短いので映画は見れない。西へ行くのでてっきりマイナス1時間だと思ったがプラス1時間だった。
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040629(火) 路地の中

2004年11月28日 | '04インドネシア旅行記
川沿いの生活
 お気に入りの屋上、朝食をとった後、1時間もボーとしてしまった。部屋に戻りシャワーを浴びた後パッキング。荷物をレセプションに預ける。
 
 宿のおばさんに教えてもらった○69というお店でミゴレンを食べる。
 まだ歩いてなかったマリオボロ通りの東側、どこへ行ってもバイクと車の排気ガス・・・。ぶらぶらアテも無く適当に歩いていると、川の上に橋がかかっているところに行き着く。そこは自分がアジアに求めていた古くて汚くてごちゃごちゃしている庶民の町並みが広がっていた。川にはゴミが散らばり洗濯物もいたるところに見える。しかし川沿いに色あせたオレンジ色の屋根が無秩序に並ぶ姿はなんともいえない光景だ。
 迷いそうで怖かったが路地の中へ。家の外にご飯をザルで干していたり、子供が裸で走り回っていたり。日本人と見ると卑しい顔で話し掛けてくるマリオボロ通りとは違い、どこか心地よい。自分の位置がわからなくなったが、マリオボロとクラトン(王宮)の単語を出すと英語が全く通じないここらへんの人々でも指差しで道を教えてくれる。
 
 3:00PM頃、宿に戻った。4:00PM頃宿にバスが迎えにきてくれるということだが、早めに来て、屋上でまったり音楽を聞きながら今後の東南アジアの予定を立てるつもりだった。
 しかし、10分程すると、宿のおばちゃんが呼びに来た。「もうバスが来た」と。驚いていると「私も信じられなくて文句を言ったけど良かったらもう一度4:00PMに来るように言ってあげる」と言ってくれた。しかし、まあそうする理由も特に無いし、再び後部の右側の席に座りたかったから、バスに乗ることにした。
 とにかくこのおばさん対応がすっごく良いし親切、英語も聴き取りやすい。他のインドネシア人のように親切の裏に何かある訳ではない。心からお礼をいいお別れ。
 
 前回のように何人かピックアップし、ジャカルタへ。
 今回も英語に関しては期待してなかったが、突然、前に座っていたムーミンのミーみたいなおばちゃんが英語で話し掛けてきた。おそらく4人家族だろうか、次々と自分に英語で質問してきた。良かったぁ。なぜ英語が使えるのかと聞くと「インドネシア人は小学校から勉強しているから」と答えてくれたが、どうだろ、町中の観光と関係ない人たちは皆 話せないようだったが・・・。
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040628(月) 王宮と水の宮殿

2004年11月27日 | '04インドネシア旅行記
選挙ポスター
 ここの宿は朝食付、昨日幾つかの希望をチェックしておいた。薄いホットケーキのようなパンケーキ・パパイヤ・パイナップルとコーヒー。このコーヒー、粉がそのまま入っていてカップの底に沈んだ頃飲むシステムだ。この屋上、この時始めて上ったが、なかなか悪くない景色と雰囲気だ。
 
 レセプションでもう一泊すると告げ、マリオボロ通りを南に歩き王宮へ。うーん、たいしたこと無い。
 次に水の宮殿と思って入ったところ、実はまた王宮のようだ。ここは凄く広い。見学していると、ある英語が得意な若者が話し掛けてきた。
 自分がここを案内すると言う。強く断り無視するが。これはフリーだという。念を押すが、自分は入場料の中からサラリーを貰っているから・・・と言う。そしてさりげなく王宮の外に出ようとする。もう一つパレスがあるからと狭い路地を進む。(今は選挙期間中、街路の壁にはポスターが。写真はメガワティ大統領)
 いろいろ自分に出身やら年齢、次の目的地などいろいろ質問してきたが、すべて秘密だとごまかした。それに答えるとろくなことが無い。
 5分程歩いて到着。いろいろな行事に使用されるところだと言うがたいしたことは無い。すぐにそこを出ると、自分はアーティストなんだと言いながら、もと来た道をそれ、ある家でここが自分のアトリエだと言って中へ誘う。ちらっとみると一昨日カフェのオヤジに連れていかれた所にあったような絵が並んでいる。呆れて「I don't have time!」と言って全く相手にせず王宮への道を一人で帰る。バカバカしい!どいつもこいつも・・・!


水の宮殿

 王宮に戻っていろいろな展示物を見るが建物・絵・工芸品など全く興味が湧かない。たいしてレベルが高いものではない。
 水の宮殿はいったいどこだ?「地球の歩き方」の位置には無い。人に聞きながら、かなりの距離を歩く。一応看板もありそれを頼りに進む。
 
 ちらっと後ろを見るとついてくる男がいる。いつもこういう場合はさりげなく自分が立ち止まり、その男を先に行かせるのだが、こいつはおそらく何かたくらんでいたのだろう。ビクッとして日本語で「今何時ですか?」と言ってきた。なぜかずっとまとわりついてくる。無視すると触ってくる。「さわんな!」と言ってもなかなか離れなかったが、早歩きしたらやっと諦めたようだ。今までも触ってくる奴は何人かいたが、どうもハラが立つ。
 
 やっと水の宮殿に到着。入場2,000RP、ここも値上がりしている。なぜか王宮では写真撮影料として1,000RPと500RPとられていた。ここでも要求されたが、さっき何のチェックも無かったので「No camera」と言い払わなかった。
 入ってみるとなんか様子がおかしい。美しい水の宮殿のはず、水が無いばかりか、砂が舞い散る中の工事中だ・・・。はっきり言って汚い。歩くのも一苦労。こんな状態でも2,000RPも取って入場させるのか!もー、常識の感覚でいたら精神と体力がもたないこの国は・・・。
 
 宿に帰り、明日の5:00PM発のバスをレセプションでブッキング。お金をおろしにデパートのATMに向かおうとすると再びカフェの男。また「バリ島のチケット・・・」と言い出す、もう懲りない人だ。バスでジャカルタに帰るんだと伝えると「今から・・・(おそらく、バスのチケット一緒に買いに行こう)」と何か言い出す「already booked」と言うと、カフェの男は漫画のようにがっくりというアクションをしていた。
 
 マリオボロデパートでお金をおろし、外へ出て屋台。ナシ(~?)を食べる。親切に水を出してくれたが恐ろしいので自分の持っているペットボトルを飲んだ。それから夜の町の路地などをそぞろ歩く。正直、あまり危険さを感じないのは鈍感なのだろうか。ロスメンが集まるソスロ地区、意外にいい感じのカフェなんか路地横にあったりして面白かった。
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040627(日) 朝もやのボロブドゥール

2004年11月26日 | '04インドネシア旅行記
ボロブドゥール遠景
 朝5:00AM、ホテルの前でピックアップの予定。10分前から待つが、なかなか来ない。人力車が何台かいたが、ドライバーはそこで寝ている。
 結局マイクロバスが着いたのは5:30AM。自分が一番最後の客のようだ。客は外人ばかり。若い人4人、老人2人、そのうち若い二人はオランダ人、残りはフランス人だ。ひさびさにヨーロピアンを見た気がする。
 車は走り出すが、どこがサンライズツアーだ。太陽は既に昇りかけている。
 
 6:30AMボロブドゥール到着。入り口の前にやたらと人だかり。どうも日本でいうところの子供会の遠足と言う感じの団体だ。凄い人数だ。自分達は受付で入場料90,000RP払う。USなら10ドル、高いよ!「地球の歩き方」は7ドルと書いてあるのに値上げしやがってる。

遺跡最上部

ボロブドゥール

朝もやのボロブドゥール

ボロブドゥール

ボロブドゥール

ボロブドゥール

ボロブドゥール

ボロブドゥール
 この寺院は仏教寺院、いたるところにブッタの像がある。全体は思っていたより少しばかり小さい印象。像やレリーフに目をとられていたがよく見ると周りの朝もやがかかった山々の景色はすばらしい。


ボロブドゥール全景
 それにしてもどんどん人が増えていく。同じ車に居たフランス人は、なぜか子供に取り囲まれている。よく見ると子供に頼まれ、一緒に写真を撮られている。自分が学生のころ京都で町を歩いている舞妓さんと写真を撮るようなものだ。地元の子にしてみれば白人は珍しいのだろう。自分もジャカルタではデパートの中で5人ほど見たのみ、ジョグジャで3人ほど。田舎の子にしてみれば白人は相当珍しいに違いない。
 そのフランス人に話し掛けると「こういうのは今までに何回もある」とか「Leave me alone.」といっていたのが笑えた。
 
 バスに戻らなければいけない時間は8:15AM、とりあえず8:00AM にここを離れれば間に合うはずだった。しかし、まず 遺跡へのエントランスと出口が違う。朝、殺風景だったところが、今は出店でいっぱい。
 出口からしばらく出店が建ち並ぶ中を歩かされた。外へ出てわずかな記憶を頼りに大型バス等が停まっている駐車場をうろうろ・・・。
 8:35AM ようやく発見。既に他の人たちは到着していた。「Sorry」と言うと「気にするな自分達も迷って今から5分前についたところだ」とのこと。こういうことは、このツアーで今まで何度もあったはず、ドライバーが朝到着した時に、啓蒙しておくべきだ。

名前忘れた
 次は小さな遺跡で停まり、再びある寺へ。入場3,000RPまあたいしたころない。
 この遺跡を出てからの小さい女の子の売り子が凄い。とにかくバスまでの30M程、一生懸命日本語でT-シャツを売ってくる。「このT-シャツ5万RP、どう?いくらなら買う?5万RPいやこれ2万RP(値段は忘れたので適当)」ものの数秒で半額以下になるのは東南アジアの不思議なところ。それにしても「いやこれ」が笑えた。
 バスに乗り扉を閉めても、まだ何か言っている。その後に乗ったフランス人のおじさんなんか人が良いものだから、象の置物二つ買っていた。でも、こういう人がいるから売り子が消えることは無いのだ。
 
 次はある銀細工工房に停まる。もうお決まりのお土産屋といった感じ。日本の団体客が喜んで買っていきそうだ。その為、日本語ぺらぺらな人が一人(二人?)居た。英語・日本語・中国語が話せるそうだ。生きていくための技術、たいしたもんだ。
 ここインドネシアでは日本語を話したくないのでずっと英語を貫き通す。、相手は日本語で話し掛けるが自分は英語で答える奇妙な会話をする。自分は一切買うつもりは無いというと、人は良いようで、しつこく付きまとわなかった。
 やはりフランス人のおばさんは小さな箱のようなもの、オランダ人の若者はなにかの飾り物を買っていた。とにかくこういうツアー観光客を連れ込みコミッションがツアー会社に入るようなシステムは大嫌いだ。意地でも買わない。
 
ブランバナン
 やっと次はブランバナン。今度は入り口までの道を覚えて歩く。入場料はUS10ドル。下にSTUDENT US6ドルとある。だめもとで「自分は学生だがカードとか持っていない」と言うとあっさり学生価格になった。ここ料金所脇にあるトイレに一端入り出てきてゲートに向かえば入場料払わなくてもスルーできそうだが、薄皮一枚分の良心で止めた。現地通貨で75,00RP、安くは無いがまあ良し。


ガネーシャ コイツかっこいいね
 ここはヒンドゥー教寺院、敷地内に大小幾つかの塔が建っている。真中の一番大きい塔がシヴァの塔だ。急な階段を上ると4畳半ほどの大きさの部屋にシヴァの像があった。グルっと周り反対側はガネーシャの像。マンガ「3×3EYES」にも登場したやつだ。やはりこいつが一番好きだ。
 一部工事中で足場がかかってある。次は隣の塔、おそらくブラフマーの塔だ。次にいったところは、ちゃんとビシュヌと書かれた札塔の足元に置いてある。元々は全ての塔と像に札があったのだろう。それにしてもせっかく貴重な像のはずなのに、皆べたべたに触り放題。石像の台に登り写真撮影しているものもいる。ちょっと普通じゃ考えられない状態だ。しかも世界遺産だぞ・・・。周りのレリーフもすばらしい。どちらかというとこういう石の遺跡は仏教よりヒンドゥー教寺院の方が好きかも。
 
 ここでもフランス人のおじさんおばさんは子供20人に囲まれ記念撮影されていた。自分がここブランバナンと一緒に写っている写真が欲しいので、歩いている人に声をかけると、ダメと二人に断られ、次は「How much?」と言ってきやがった。
 この国の人達、遺跡での狭い階段やお店のカウンター(マック・KFC・両替所・入国手続き)平気で横入りしてくる。街や海・川などゴミを平気ですてるのは、日本人をも含めたアジア人のダメなところだ。オーストラリアで観光地などゴミはほとんど落ちていなかったのとはえらい違いだ。そんなこんなで1:30PM頃、宿に到着。どうせなら遺跡でもっと時間を取って欲しかった。
 
 なぜか今日は気分が乗らず、屋台ではなく、昼食としてKFC、夕食もマック、エアコンの効いた所でマッタリ過ごす。宿に帰り溜まっていた日記を部屋で書きつづける。部屋はエアコンでなく天井についたファン。ジャカルタの宿もそうだったが、照明器具のそばにファンを取り付けるのはやめて欲しい。夜、部屋中がチカチカして頭が痛くなってくる。
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040626(土) インドネシアの女の子

2004年11月25日 | '04インドネシア旅行記
食事中
 目が覚めると車の中で一人だけになっていた。時計は夜の12:30AM。周りを見るとどうやら日本でいうところの高速道路のサービスステーションのようなところだ。
 降りると一人に声を掛けられる。車の乗客の一人だ。コーヒーを買うといいと言われたが、缶のジュースを買いテーブルに座る。そこには赤い服を着たさっきの女の子がエスティー(冷たい紅茶)を飲んでいる。このこは英語がある程度しゃべれる。これで少し安心した。
 
マイクロバス
 次に、車に乗ったときは隣に座ってくれ積極的に話し掛けてくれた。そしてここから、白い布をカバンから取り出し言った「I play from now. I am slim.」いったい何を言い出すんだ!?と思って見ていると白いズボンのようなものをはき頭にも白い布を巻く。そして、なめらかな動作でお祈りをしだした。そこでやっと解った。playでなくpray、slimでなくMuslim(イスラム教)だ。それは2,3分で終わった。メッカに祈っているのか?ときくとアッラーに祈っているとの事。こういう時は方角はどうでもいい(仕方が無い)ようだ。
 
 再び寝てしまい、起きると外は明るくなっていた。そこには自分が思い描いていたジャワ島の風景があった。ヤシの木が生い茂り、遠くには朝もやがかかる山々が見える。ときどき段々畑も顔を出している。民家の屋根は途中で勾配が変わる独特な形状、いたるところに店があり売っているものは、ジュース・たばこ・果物そして扇風機なども・・・。走っているバイク・車は日本製が多く、実際のところ貧しいという印象を受けない。全く異国の地だがどこか郷愁にかられる。
 
 朝、再びトイレ兼食事休憩。自分と同じ後部座席に座るもう一人の男に連れられ、朝食を取ることに。ご飯を皿に取り、幾つかの具をその上にかけていく、セルフサービスのようだ。自分もそれを真似する。料金は後払い。欲張って多くの種類を少しずつとってしまったが、おそらく一種類いくらの計算だろう。エスティーと合わせ6,000RP。
 女の子も同じテーブルに座る。男の名前は、アグース、女の子はニケンという。実はアグースもほんの少しだけ英語が出来る事がわかった。それにしてもジョグジャカルタに到着するのは、7:00AMのはずだった。今はその時間をとうに過ぎている。聞くとどうやらスクールホリデー(今日から?)に入ったらしい。それで昨日の夜中、渋滞で全く車が進まなかったんだ。


うしろのトラック 人乗りすぎだヨ
 再び車が走るが相変わらずの暴走運転。運転手は前にいる車はすべて抜きたくなる人のようだ。物凄いスピードで数々の車を抜いていく。抜こうとする時、対向車がくると待ちきれず前の車とぶつかる寸前の距離になる。ハラハラする。
 会話が途切れると、すぐにとなりのニケンがいろいろな話題を持ちかけてきてくれる。インドネシアで宇多田の曲がカバーされていたり、昔 東京ラブストーリー・ゴーゴーファイブやウルトラマンなどをTVで見ていたとか、以前 ポルトガル人のボーイフレンドがいたとか・・・。
 あるところで横道に入りすごーく田舎の家でアグースが降りた。

 それからしばらくするとニケンがここはもうジョグジャだという。今は12:00PM、結局19時間のバスの旅となってしまった。途中からニケンと会話できたし、ジャワ島の風景などを見ることが出来た。このバスを選択した(電車じゃなくて)ことは良かったと思う。ここKARNIA HOTELでお別れ。
 
 中に入ると中年のおばさんがいる。英語が達者で聞き取りやすい。バスルーム無しが30,000RP(くらい)、バスルーム付きが50,000RPとのこと。(料金の書いた紙を指し出せれた、何種類か値段の違う料金表を持っていて、宿泊する人の顔を見て判断してるに違いない)
 部屋を見せてもらう。安いほうはベットが二つ。高いほうはなぜかダブルベット。共同のトイレはやはり うーん・・・といった感じ。ジャカルタでのトイレとシャワーで少し懲りていたので、バスルーム付きの部屋にした。しかし、朝食付きといっていたがいらないというと45,000RPとのこと。とりあえず2泊泊まるので90,000RPになる。すると朝食はフリーにしてあげるといいだす。ようわからん。
 オーストラリアで一度もシングルルームにとまったことが無かった。少しリッチな気分だ。すぐにシャワーを浴びる。そして、さっきレセプションでもらったツアーのチラシを見て、BOROBUDUR・SUNRISE-PRAMBANAN(8hours)5:00AM出発・35,000RPのツアーに明日行くことに決める。レセプションのおばさんのところで申し込めるらしい。この人はかなり親切だ。


路地のおばさん
 外に出ると、ここの宿の主人だろうか、ランチをここで食べろと10m程歩いたCafe兼インターネット屋に誘導される。そういえばハラへってるしいいか。
 ここである主人が出迎えて、同じテーブルに座り、日本人と分かって知ってる日本語をいろいろ言ってくる。とりあえず、ごはんに野菜をボイルしたものをのっけた料理(名前忘れた)とミックスジュース(10,000RP)を食べる。この男も英語がある程度話せいろいろ聞いてくる。
 食べ終わるといいギャラリーがあるというので、と言って細い路地に連れて行こうとする。興味が無いと言って断ろうとしたが、ここの路地がすごくいい雰囲気だったのでついていくことに。
 3分程歩いて到着。別のニコニコした男が出てきて、ここのギャラリーの絵の説明をしだす。紅茶まで出してくる。いい絵が2,3枚あったが、今この絵を書く実演をするから見ていけと言うが断った(実演をやらせてお客に絵を買わせようとする。日本人はこういうのにやられやすい)。それでも安くする安くすると何度も言うが、こういう ホテル・カフェ・ギャラリーがグルになって観光客を連れ込み物を売ろうとする根性がきにくわない。いくら100円にまで下がろうが絶対に買わない。
 
 店をでるとカフェの男は「俺の力で凄く安くすることが出来るから戻ろう」なんて言い出す。無視して歩いていると、さっきカフェで「次はどこに行くか?」「バリか?」などと聞いて「今まだ迷ってるんだ」という会話をしてしまったせいで、オフィスが近いから「今からバリ行きのチケット買いに行こう」といいだす。今度はツアーオフィスともグルか!この男まちがいなくコミッションを貰っているんだろう。今決めたくないとあしらって自分はマリオボロ通りへ歩いた。


ジョグジャ市内
 ここもとにかく凄い人。バイク・バジャイ・車。店がたくさん並んでいるが購買意欲は全く湧かない。
 あるサンダルに目が止まり、店の男が50,000RPという。ふんっと言って立ち去ると、うしろで20,000RPとあっという間に半額以下の値段を言っていた。そこらじゅうからバイオハザードのように日本語で「こんにちは」とか、なぜか「あなた」などと声をかけてくる。「日本人ですか?」と言われて「NO」と答えようものなら日本人だとばれてしまう。ある時「アニョハセヨ」と言われた時は振り返って「俺は日本人だ!」と叫びたくなった。
 いろいろうろちょろして宿に帰ろうとすると、さっきのカフェの男が店の前で自分を見つけ、また「バリ島のチケットを今から取りに行こう!」と言ってきた。ここで急激にバリ島に行ってもいいかなぁと傾きかけていた気持ちが吹っ飛んだ。「もう絶対いかねえよ!」大きく「NO!!」と言ってホテルに入った。
 
 19時間のバス移動、観光地としてのジョグジャの町の熱気、宿に帰ったらどっと疲れが出たようだ、夕方5:30PMくらいだったがこのまま寝てしまった。。一度、11:30PM頃 目が覚めたが、朝の目覚ましをセットし再び寝た。
 明日はジャワ島に来た真の目的、ボロブドゥール・ブランバナン遺跡に行けるんだ。
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040625(金) 爆音の中のドライブ(ジャカルタ→ジョグジャカルタ)

2004年11月22日 | '04インドネシア旅行記
街の暴走族 街中こんな感じ
 朝9:00AM頃起き、シャワー。今日ここを出るので荷物をまとめる。
 ドミトリーの外に出るとなにやらお経を唱えている女の人がいる。非常に不気味だ。ここ2日の日記を書いている間、ずーと、唱えている。無宗教の自分からすると時間とエネルギーのムダとしか思えない。

 外に出て昨日食べた店で再びミゴレン。やはりウマイ。店のおっちゃんも昨日も来ているということを覚えていて、にっこりと笑う。
 気になっていた宿の前のネットカフェの入り口の前に行くと100RP/min。安い、もちろん入る。しかもちゃんと日本語が使える。
 12:00PMまでにチェックアウトをしなければいけないので、11:30AM宿に戻り、荷物を預かってもらいチェックアウト。
 ここジャカルタ、オーストラリアと違い、座ったりしてまったりする空間が無い。日本もそうだがそれ以上だ。街の中にベンチが無いのはゆるすが、公園さえも無い。一応、モナスの周りがそうだが・・・。
 
 歩いてSOGOに行き、STARBUCKSで26,800RPのマンゴージュースを飲みながら、3時間もまったり。ここで「深夜特急 2巻」を読もうとカバンから出すと・・・水でフニャフニャ・・・。一昨日の機内食の水をカバンに入れていたのを忘れていた。どうりで「地球の歩き方」も塗れているわけだ・・・。せっかくの本が・・・。
 今日読むところはシンガポールに入ってから出るまでの内容。その中のP169~P176の文、特に「それより、私には未来のを失うという「刑」の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。執行猶予。恐らく、私がこの旅で望んだものはそれだった。」「多分、私は回避しかったのだ。決定的な局面に立たされ、選択することで何かが固定してしまうことを恐れたのだ。逃げたといってもいい。」自分とほぼ同じ年齢である作者が旅をしている、 自分がどこかで思っていた気持ちをこの一節は言い表わしていた。


宿の従業員 このブログ見れる人がもしかしたらこのどちらかが自分だと勘違いすると思い一応注釈を書いた
(↑宿の従業員2人 面白くていいやつらだった)
最初空港でATMからおろした600,00RPだけではお金が足りなさそうなので(空港~ジャクサ間の150,000RPは本当にばかばかしい)、ATMを探しにデパート内をうろつくと、CITIBANKがあった。200,000RP引き出すが、10万RP札が2枚出て来た。5万RP札でも屋台で断られたというのに、CITIBANK入り口に座っている女性に聞くと、小さいお金にくずせないという。そのかわり両替所が地下にあるというので、そこに行き1,000RP札に変えることが出来た。
 
 そんなことをしていたら余裕と思っていたバス出発の5:00PMに近くなっていた。少し早歩きで宿に戻り、宿の人たちとお別れ。バスチケットを買ったオフィスに4:50PMに着いた。するとバスのドライバーがすでに待っており、バスに早速乗り込むことに。
 しかし、ジャカルタ→ジョグジャカルタというメジャーな路線バス、てっきり大型のバスを想像していたが、来ている車は8人乗りのワゴン車・・・。大型バスがどこかのターミナルで待っていてそこまでのシャトルバスか?とも一瞬思ったがよくみると座席に赤いブランケットが・・・。これでジョグジャまで・・・。
 すでに一人の客が乗っている。夕方の帰宅タイム。街中はバジャイ・バイク・車の爆音とクラクションでうるさくてたまらない。途中客を拾っていくわけだが、運転手が不慣れなのか単純に道を知らないのか、何度もUターンやTターン(バックして路地に入り逆方向に戻る)を繰り返し、3人目を乗せるまでかなりの時間を費やした。

 しばらくして、恐らくここのバス会社のオフィスに到着して、勝手に荷物を降ろしだす。いろいろ聞きたいことがあり、ドライバー・オフィスの店員に話し掛けるが、誰一人英語が話せない。身振りでなんとか、車をチェンジしてあと10分後に再出発するということは解った。
 オーストラリアでは自分が充分に英語が話せないもどかしさがあったが、英単語をいくつか言っていればたいていのことは通じた、ましてや旅行英語はたいてい身につくことが出来たので困ることは無かった。しかし、ここでは相手に全く英語が解ってもらえないもどかしさがある・・・。
 
おやつ
 しばらく走りあるところで何人か乗客が増え(恐らく予備のドライバーも合わせて)全部で8人になった。こんな現地人しかのらないマイクロバスに自分ひとり外国人・・・こころぼそい気もするが、いかにも旅をしてる充実感も感じる。最後、若い女の子が乗ってきたが、あえて自分とその子との間に一人男を座らせていた。夜なのに相変わらず爆音が続く中、いつのまにか寝てしまったようだ。
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040624(木) ジャカルタ

2004年11月21日 | '04インドネシア旅行記
ミゴレン・みごれん・ミゴレン
 何度か目が覚めたが、結局おきたのは10:00AM頃。昨日ウンコを我慢していたがしょうがない、便器は洋式 水が溜まったバケツから水を汲みそれで流すという 手動式の水洗便所ということになる、見た目 汚い・・・。シャワーはもちろん水、しかし ちょろちょろとしか出ない・・・水もなんだか臭う・・・。
 
 タカがシティまで一緒に行こうという事なのでついて行く。宿の前でバジャイという3輪タクシーに乗る。交渉して4,000RP。やはり運転中は怖い。
 5分程度でSOGO前についた。ここSOGO 昨日までのジャクサ通りのイメージとは全く異なり、近代的なデパート。やはり中に入るとほっとしてしまうのはしょうがない。写真屋でCD-Rにデジカメ写真を焼く。CD込みで20,000RP、安いね。
ミゴレンのお店
 ランチは自分が麺を食べたいといったので、BlueBirdタクシーで宿に戻り、すぐそばの店でミゴレン(とラスティ)を食べる。それが最高に美味い!オーストラリアではワーホリの友インスタントのミゴレンを食べていたが全然違う。具は揚げニンニクとトマトと緑の野菜、それとパリっとしたせんべい(?)のようなものがのっている。ラスティは凄く甘い紅茶。すこし口の中がしびれる感じがするのは「水」にまだ身体が適応してないのだろう・・・。

モナス なんかスケール感が狂うデザインだ 上部の四角い部分が展望台

モナスからの眺め
 宿に帰る。迷ったがジョグジャカルタまでは電車(80,000RP)でなはなくバスで行くことに。ここニックスホステルの少し北に行った右手のチケットを扱っているお店に入る。ものすごーく良い対応で125,000RPで買った。
 タカは今日メダンに飛行機で行ってしまう。タクシーでガンビル駅に行き、タカとお別れ。彼は見た目は「今どきの若者」だがしっかりしているしその場の楽しみ方もよく知っている。初の東南アジア(彼曰く いきなりジャカルタはきついとのこと)、短い時間だったが一緒に過ごせたおかげでこれからなんとかやって行ける気がしてきた。
 
 歩いてすぐ近くのモナスに行く、シンプルなデザインの塔だ。オーストラリアのワーホリでお金のかかる施設には入らないという癖がついてしまっていて引き返そうとすると、入場料5,000RPだ。ほんの60円くらい、入ることにした。
 エレベーターで塔のてっぺんの展望台へ。微妙な高さだが、まあ60円でジャカルタの街を見渡せたし満足だ。
教会
 再び歩いて教会の前まで行き、グルっとイスティクラモスクの敷地を歩く。
 途中 路上でイモなどを揚げた屋台に立ち寄り注文するが、店の人間が英語が全くしゃべれない。1,000RP札を見せると指を3本立てる。えっ、一つが3,000RP!?と思ったが、3本で1,000RPのようだった。3種類ちゃんぽんで買い歩きながら食べる。次に飲み物が欲しくなったのでファンタを買う。瓶のまま持ち歩こうとすると、ビニール袋に詰め替えストローをさす。おそらく空瓶もお金になるからだろう。
 それにしてもインドネシア人、ぴったりのお金を払えばいいが大きいお金を出すと やはり計算が弱いようだ。いつもかなりマゴつく。昨日のナシゴレンの店でもそうだったが、本当に間違えているのかワザとなのか(タクシーはワザとっぽかった)、こちらがちゃんと確認しないといけない。それと自分に関していうと日本語は例えば5万というが、英語では50thousandという。ここの数字の表現の違いは、こっちが少し戸惑ってしまう。だからお金に関しては しばらくしたら英語で考えることにした。それにしても、なぜかお札にはゼロ3っつの前にカンマをつけて分かりやすくしてくれないんだ!


ドミトリールーム
 タクシーやハジャイに乗るのがもったいないと思うのと、街を歩いてみたいので再び歩いてSOGOにへ。ここはすずしいし やはり落ち着くからだ(トイレにもちゃんと紙があるし!)。
 CD屋に入ると宇多田ヒカルのアルバムが80,0000RPだ、安いなぁ・・・。なぜかラルクが117,000RP。さすが日本のデパート(?)SOGO、プラモデルも売っていた。夕食用にパンを買う。

 外に出るともう暗い。地下にフードコートがあるところへ入っていくと、スーパー発見。いくつかオーストラリアで見たものが売っているが やはりそれは高い。500mlの水(800RP)とヤクルト(4,400RP)を買う。ヤクルトはこれを飲めばお腹の善玉菌が増えてこのアジアを乗り切れるだろうというつもり。
 
 宿に帰ると、昨日2,000RPで買っておいた1リットルの水(半分くらい飲んだ)が無い。も~ 盗むなよ~。まだ9:00PMだがつかれたので寝る。
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040623(水) 初めての東南アジア(後編)

2004年11月20日 | '04インドネシア旅行記
屋台の女の子
 しかし、さっそく引っかかってしまった。気をつけていたつもりが気がおかしかった。数あるタクシーの誘いを断りバス乗り場に行こうとしたら、一人のドライバーがシティまで150RPだという。なんども確認「150RP?」と、「地球の歩き方」には相場で5万RPくらい。あまりに安すぎて本来はすぐ気付くはずだったがOKといってしまった。車に乗りしばらく話しているとどうもおかしい。そのうち150にThousandと付けた。しまった、15万RP。通常の3倍。いきなりやってしまったぁ。でももう二度とやらない。ここでの勉強料だ。それにしても運転はかなり荒い。他の車・バイクのクラクションが凄い。

 1時間ほどでシティの安宿街ジャクサ通りに到着。「地球の歩き方」に載っているニックスホステルへ。ここでドミトリー1泊20,000RPだったが2泊で35,000RPにまけさせた。そこにはいると一人の日本人が寝ていた。名前はタカ、見た目は若かったが年齢は1つ上だ。自分が久々の日本人のようでいろいろここの情報を教えてくれた。「地球の歩き方」には、ここの宿 欧米人には人気などと書いてあったが、まったくのでたらめ、欧米人の姿など見当たらない。ここのドミトリー、タカと自分以外は女性でしかも売春婦との事。タカはここにきて3,4日なのにもう周りと打ち解けている。彼は絵が得意で、女の子に絵を書いてプレゼントしているようだ。
 
 お腹がすいただろということで、メシに一緒に行くことに。夜のジャクサ通り、屋台がたくさん出ていて活気がある。歩いて7,8分のところサテーと呼ばれる焼肉屋が数件並んでいるところがあり、彼は値段交渉、20本で12,000RP、それをテイクアウトにし、少し戻った屋台でナシゴレンとラスティ(冷たい紅茶)を注文。待っている間、サテーを食べる。店の人とその娘と仲良くなり、お話。7歳くらいの子供なのに少し英語がしゃべれる。もうお腹いっぱいで少し残してしまった。
 宿へ戻ろうとしたところにヤシの実を器にしたカキ氷屋でデザート。さっきのラスティーの氷といい初日から「水」を食べているが、お腹は大丈夫だろうか・・・。


宿の前でダンス
宿に帰るとタカが宿の人間にビリヤードに誘われ、もちろん自分も誘われる。店のすぐ前の2階。最初は見ているだけだったが、タカと勝負することに。すると宿の前で歌と踊りが始まっていて、しばらく観賞。タカも腰に布だけつけた格好で参加していた。面白い人だ。

 宿のドミトリーに戻ると人が増えていた。ずっと彼女らはなしをしていて、ましてや電気を消す気配も無い。今は1:00AM。デジカメの時計を直そうとすると4:00AMになっていた。シドニーと3時間時差があったとは・・・!結局しばらくこのあと寝付けなかったので、この日は24時間起きていたことになる。どうりで頭が痛いわけだ。
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040623(水) 初めての東南アジア(前編)

2004年11月20日 | '04インドネシア旅行記
 今日から思い出の東南アジア一人旅日記をスタートさせたいと思います。
 
 
 オーストラリア シドニーから・・・


 朝は4:30AM起き。かるく朝食をとっているとケンさんが起きて来てくれた。5:14AMの400番のバスに乗り、空港へ。8:00AM発のシンガポール行きに乗る。これで8ヵ月半ワーキングホリデーとして旅したオーストラリアともお別れ。その哀愁より、東南アジアでこれからどんなことが起こるかそちらの期待と不安でいっぱいだ。

 席は窓側でなかったし東側の窓は朝日が入ってくる為 閉め切っている。だからせっかくオーストラリアのレッドセンターを飛んでいるのに外を見ることが出来なかった。

 席に付いている映画は「X-MEN2」そして日本映画の「半落ち」を見た。この映画物凄く泣けた。この手の話はもし主人公と自分が同じ立場だったらと思うと涙が止まらなくなる。この飛行機 出発が遅れたせいでシンガポール時間の2:40PM(本当は2:20PM)に着いた。その間 朝食・昼食が出た。

 シンガポール空港ではトイレに入るだけで すぐに搭乗カウンターでチェックイン、3:25PM出発。
 今回は窓側の席だが、またもや翼の上。再び昼食(?)が出た。出された食べ物は必ず食べてしまうのがワーホリのつらいところ。さすがに全部は食べることが出来なかった。

 ジャカルタ時間の4:00PM着。ここインドネシアは最近になってVISAが必要になった。1週間程度の滞在だとUS25ドルを支払う。お金を受け取る側の人はニコニコしていたが、VISAシールを貼る人はそうとうやる気が無い。ATMでとりあえず60万RPをCITIBANKから引き落とし。荷物を受け取りあっさり入国手続き。晴れてインドネシアの地へ。
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