のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

今日も降りましたとも

2008-01-27 | Weblog
雪が、ええ!



いやあ
やっぱりこうでなくては。

北日本生まれののろでございますが
京都の冬は甚だ苦手でございます。
冬のくせに雪も降らずにただただ寒いってのが、気に入らないんでございます。

冷えるんなら 降ってくれ。
降らんのなら 冷えないでくれ。



雪が降りますとね、やっぱりなにかこう、暖かいですよ。
暖かいと申しますかね、寒さを忘れますよ。
寒くたって許容できますよ。
あたりがあんまりきれいなのでね。



寒椿。




てな具合に
道々立ち止っては写真を撮っていたりしますと
せっかく早くに家を出ても結局
いつものごとく始業ギリギリ出勤になってしまうのでございました。




すみません。

2008-01-26 | KLAUS NOMI
すみません。
すみません。
うっかりすると「のみや」になりがちな当のろや、
ノミ話はなるべくひと月に一回以下との自己規制を(一応)課してはございます。
そして、つい先日、ノミ話をさせていただいたばっかりではございますけれども
また、させていただきます。
どうしても、ご報告せずにはいられなかったものですから。

当のろやに御来訪いただいている皆様のうち、”KLAUS NOMI”カテゴリに分類されている記事を
最後までお読みくださり、かつリンク先まで見てくださっている方というのは
おそらくよっぽどのノミファンだけであろうとは存じますが

本日は、クラウス・ノミに全然ご興味のない皆様にも
せめて ↓ このリンク先だけでも、ぜひとも、ぜひとも見ていただきたいのでございます。


MySpaceTV ビデオ: Happy Birthday Klaus! by Angi


なんとなれば
非常に美しいからでございます。
のろの美意識にかけて申し上げますが、一聴の価値がございます。

もしも、ヤツの容貌がどうしても気に入らないという方は
映像を見ずに歌だけ聴いてくださってもけっこうでございます。
(いや、のろとしては許しがたいことではございますが)

この映像につきましては、また後日語らせていただきたく存じますが、本日はとりあえずご報告まで。


そしてノミファンの皆様には、こちらを。

YouTube - Klaus Nomi on 20/20


Getty Images - Image details


上の方は映画"THE NOMI SONG"でも使われていた、zenonでのライヴ映像の続きでございましょうか。
下の方は例の、ボウイのバックコーラスをつとめた"Saturday Night Live"の時の写真のようでございます。
万が一”gettyimages"をご存知なかった方のために、老婆心ながら念のためにご紹介いたしますと
この他にもう一枚ノミの写っている写真がございます。

Getty Images - Image details


初めに見た時
ノミより後ろのビル・マーレーの意味不明なひょうきん顔が気になってしまったことは内緒でございます。


1月24日

2008-01-24 | KLAUS NOMI
本日は
お誕生日でございます。

ナスターシャ・キンスキーの(1960)
E・T・A・ホフマンの(1776)
史上最高のカストラートと讃えられたファリネッリの(1705)

それから
クラウス・ノミの。(1944)

1月24日の誕生花はブルースターという花なのだそうで。
他にもサフランですとか、フリージアですとか、オモトですとか、いろいろあるようでございますが
やっこさんには”オモト”より”ブルースター”の方が断然、似合いでございましょう。



どんなものであれ、ヤツについて書かれた文章を読むのは嬉しいもんでございます。
とりわけ喜ばしいのは、生前のノミを直接に知る人々の証言や
ヤツのことをまじめにアーティストとして評価する記事に出会った時でございます。

そう、
こちら
のような。

ざっと訳させていただきますと、こんな内容でございます。

**********************

1983年、クラウス・ノミが「ゲイの癌」で亡くなった時
少数のファンや友達以外に、彼を知る人はほとんどいなかった。
スターを夢見てNYにやって来て、果たせず終わる。よくある話だ。
ノミ(本名スパーバー)はいろんな意味でクィア*だった。
(のろ注:クィア=不思議な、奇妙な、変な。近年はゲイやトランスジェンダーなどの性的マイノリティを包括的に指す言葉としても使われています)
同時代の、イーストヴィレッジ住まいのボヘミアンたちとも、全く違っていた。
しかも彼は天賦の才能を授かっていた。
ワイマール風の低音からファルセットの最高音にまで至る歌声だ。
しかし当時は、カウンターテナーの需要など無いに等しかった。

それでも時代のDIY(Do it yourself)精神にのっとり、彼は自分で自分の活躍の舞台を作り上げた。
その短いキャリアの間に、彼は旗ふりをつとめ、種々さまざまなフリークスたちの先頭に立って歩いた。
自身の両性具有性を前面に打ち出した、レトロ・未来派風のパフォーマンス。
ニューウェーブのバンドを従えた、シュトルム・ウント・ドラング*風のヴォーカルが
60年代のブリル・ビルディング・スタンダードやクラシックのアリアや、
癖の強いオリジナル曲とみごとなまでに渾然一体となっていた。
(*のろ注:”シュトルム~”は18世紀後半のドイツで勃興した革新的な文芸運動です。
適切なリンク先が見つけられませんでしたので、お手数ですが詳しくはWikipedia等をご参照くださいませ)
・・・
ノミが生前に出した2枚のアルバムは、彼の異世界的な魅力の一端を伝えてはいるものの
往々にして、ありきたりなバックトラックが、歌声の素晴らしさをかき消してしまっていた。
音質はひどくとも、残されたわずかなライヴ録音やライヴビデオの方が、ずっとよかったのだ。
つい先頃発売されたアルバム”Za Bakdaz”は、ノミに新たなアングルから光をあてた一枚だ。
いたずらっ子の実験のようでもあり、不思議な言葉で歌われた未完のオペラのようでもある。
音源は1979年ごろにホームスタジオで録音されたものだが
ノミの友人のページ・ウッドとジョージ・エリオットは、これに愛情のこもった修復を施してくれた。
このアルバムは、はるか遠い世界から届いた手紙のようだ。
そこでは、キッチュ(俗悪)とハイ・アート(純粋芸術)がガチンコで取っ組み合っているのだ。


**********************

どうですよ、どうですよ。
この下の文も訳していると日付を超えてしまいそうなので、とりあえず前半部分だけご紹介させていただきました。
(というかそれ以前に著作権問題にひっかかるのではないかと、現時点でもヒヤヒヤしているのでございますが汗)

お時間のある方はぜひとも”Act 1”以下の記事もお読みいただきたく存じます。
ノミの友人であったジョーイ・アリアスやページ・ウッドのお話が掲載されておりますので。

ワタクシの一番好きな一文は
Klaus was the art director of his life 
クラウスは自分の 人生/生活 のアート・ディレクターだった
って所でございます。

ほんとにね、そうだったんだろうと思いますよ。ほんとに。

ヤツがいなくなってから、もう24年と5ヶ月もの歳月が流れたわけではございますが
Nomi isn't dead―Klaus Sperber is dead. And I think he'd have loved the idea of this character going on.
スパーバーは死んでしまったが、ノミは死んではいない。
それに、このキャラクターがずっと生き続けていくことを、彼も喜んだことだろう。


と いうわけで本日は
今も銀河のどこかを旅しているであろうクラウス・ノミの
64回目のバースデーでございます。

誕生日おめでとう、クラウス・ノミ。


ガザ地区の停電

2008-01-23 | Weblog
以前にも転載させていただきました国際的NGO”Avaaz”からのオンライン署名募集メール。
今日、イスラエルによるガザ地区への制裁に抗議する、緊急署名の呼びかけが届きましたので
とりいそぎ、以下にご紹介いたします。

ご協力いただけたなら幸いでございます。


以下、メール和訳文


ガザ地区の住民たちは今、死の淵へと追いやられています。
今週起きたガザ地区の大規模な停電によって、世界はようやくこの現状に注目し始めました。
国際社会は、この大停電を止めさせることができます。
するべきことは明白です。
この問題は「イスラエルvs.パレスチナ」とか「ハマスvs.ファタハ」という話ではありません。
150万人もの人々が、世界最大の監獄に閉じ込められているのです。
ガザ地区の封鎖は集団的な虐待であり、国際法に違反しています。
しかもこの措置は、イスラエルの安全をちっとも保証しやしないのです。

信じがたいことですが目下の所、国連も、EUも、アラブ連盟も、何ひとつ実効的な働きかけをできていません。
私達は、今すぐにキャンペーンをはじめようではありませんか。
この大停電を解消し、ガザへの物資の供給を確保し、停戦調停を促進するために。
停戦こそ、イスラエル・パレスチナ両サイドの市民が、本当に必要としていることなのですから。
下の緊急オンラインメール署名にご参加ください。
署名が100万通に達したら、私達はそれを国連、EU、アラブ連盟に届けます。
どうぞご署名の上、お知り合いの皆さんにも呼びかけをお願いします。

Avaaz.org - The World in Action

(↑のろ注:Cell/mobile欄は必須ではありません。Postcodeは郵便番号です。ピンクのSendボタンで送信されます)

封鎖状態のガザ地区で、人道危機は高まる一方です。
その上、ミサイルが雨あられと降り注いでいます。
封鎖が続くかぎり、真の和平交渉は不可能です。
2006年のイスラエル-レバノン紛争の際には、国際社会の圧力と援助が功を奏しました。
危機を阻止し、市民を暴力から守ることができたのです。
ガザ地区の危機に対しても、我々は黙っているわけにはいきません。
どうぞ署名にご参加ください。そして、このメッセージを広く発信してください。


*******************

以下、メール本文


Dear friends,

The people of Gaza are being squeezed to death. This week's blackouts have finally reached the attention of the world -- and the international community could help end the blockade. Our obligation is clear. This isn't about Israel vs Palestine or Hamas vs Fatah: this is about 1.5 million human beings locked up in the biggest prison on earth. The siege of Gaza is a collective punishment violating international law, and far from ensuring Israel's security, it is only stoking rage and desperation.

Incredibly, the UN, European Union and Arab League have so far failed to act. We must seize this moment with an emergency campaign: demanding that the international community step in to end this blockade, ensure the free flow of supplies, and help broker the ceasefire which civilians on all sides desperately need. Please click below to sign the emergency petition -- we'll deliver it to the UN, EU and Arab League when we reach 100,000 signatures, so sign and tell everyone you know:

http://www.avaaz.org/en/gaza_end_the_siege/8.php?cl=51699441

The humanitarian crisis of sealed-off Gaza is only getting worse, and a rain of missiles is falling. No genuine peace talks will be possible while the siege continues. In the Israel-Lebanon war of 2006, we saw how global pressure and assistance can help stop a crisis and protect civilians from harm -- we cannot stay silent about the crisis in Gaza. Please add your name now at the link above, and forward this message widely.

With hope and determination,

Ricken, Paul, Galit, Esra'a, Pascal, Ben and the whole Avaaz team

PS For more about the crisis:

Associated Press article including Red Cross report:
http://ap.google.com/article/ALeqM5iNIUuovp8Buyld1S6EFTSWfznQZwD8UB050G0

Former Clinton official calls for ceasefire, ending siege:
http://www.iht.com/articles/2008/01/21/opinion/edmalley.php

UN reports on the humanitarian crisis, including background to the blackouts:
http://www.ochaopt.org/?module=displaysection§ion_id=11&static=0&format=html

Deepening medical crisis in Gaza (UN):
http://www.irinnews.org/Report.aspx?ReportId=75693

PSS In a global interactive poll, tens of thousands of Avaaz members helped to set our direction for campaigning on the Israeli-Palestinian conflict -- addressing the humanitarian crisis in Gaza and achieving a reciprocal ceasefire were both supported by over 90% of respondents:
http://www.avaaz.org/en/annapolis_results_2







ケニア

2008-01-19 | Weblog
日本UNHCR協会から緊急メールが届きました。
以下にそのまま掲載させていただきます。


*********************************************

【緊急募金アピール!】
ケニアでの援助活動にご協力をお願い致します!

--------------------------------
★ ケニア避難民への緊急支援始まる ★
--------------------------------
ケニアでは大統領選挙の影響を受け、大統領の出身民族キクユ人を
狙った暴動や治安部隊との衝突で600人近くが殺害され、約25万人の
国内避難民が発生しています。

UNHCRは9日、ケニアの首都ナイロビにて、基本的な生活支援セットの
配布を開始しました。 下記サイトをご覧ください。
UNHCR Japan-News-UNHCR、ケニア避難民に支援物資の配布を開始

今週には、ケニア南西の町ナロクで2度目の支援物資が配布されました。
ここナロクには国内避難民約3000人が逃れてきています。
UNHCR Japan-News-UNHCR、ケニアにて2度目の支援物資配布を開始

支援物資配給の様子を大きな写真でご覧いただけます。
img_080118_kenya.jpg 3072×2048 ピクセル

UNHCRは約25万人の国内避難民の緊急援助に追われています。
一時的に避難する場所を確保し、支援物資の配給や、避難民キャンプ
での援助活動の調整を行っています。
これらの活動に、6ヶ月で650万米ドル(およそ7億円)が必要です。

緊急支援物資として、仮設住居(あるいはシェルター)用のビニールシート、
毛布、マット、台所用品、蚊帳、石鹸を配布しています。
皆様のご寄附でできることを、下記サイトにご紹介しています。
ご寄附でできること | ご寄附について | 日本UNHCR協会

人道支援の最前線で緊急事態への対応に追われるUNHCR職員にとって、
日本の皆様からのご支援は大きな励みとなります。
UNHCRの活動は、多くの皆様による支援に支えられています。
たとえ一人にできることは小さくても、集まることによって大きな力となります。
ぜひ、ご協力をお願い申し上げます。

■オンラインでは様々なご寄附の方法を用意しています。
ご寄附について | 日本UNHCR協会
※「アフリカ地域」への指定寄附ができます。
 通信欄に「メールニュース:ケニア」とご記入ください。

*********************************************
転載は以上まで


600人の死者というのは恐ろしい数です。
その上に25万人もの人々が、家を追われ、生活の糧を失い、野に、路上に、放り出されているのです。
今、まさに。貴方がこの文字を読んでいらっしゃる今、この時に。

難民支援は、理不尽な暴力にさらされ困窮している人たちを単に助けるというばかりではなく
憎悪と報復の連鎖を断ち切ることにも資するものでございます。
少なくともワタクシはそう信じております。

私達は、今すぐ紛争の場にかけつけて当事者たちに「ツマラナイカラヤメロト」言うことはできません。
経済的・軍事的圧力で暴力を停止させる力もありません。
しかし、できることはあります。
私達はひとりひとりの無関心によって世界の悲惨さを助長することもできれば
ひとりひとりの関わりによって-------それがどんなに些細な関わりかたであろうとも!-------、
世界の悲惨さを軽減することもできます。

皆様、関わろうではありませんか。
どんなに些細でもいいのです。自己満足のためだっていいのです。
自分の欺瞞性を押し隠すためだって、言い訳するためだっていいのです。

できることをしようではございませんか。

ほんの少しでも、本当に本当にほんの少しでも、
関わろうではございませんか。


がいこつさん

2008-01-19 | 展覧会
いえいえ、五味太郎さんの絵本の話ではございません。
宮武外骨さんでございます。

昨日1月18日は宮武外骨さんのお誕生日でございまました。
折しも、伊丹市立美術館で開館20周年記念展『外骨-稀代のジャーナリスト』が開催されております。
雑誌「滑稽新聞」をメインに、発刊しては消えて行った数々の出版物や写真、遺品などが展示されております。
いやはや、こんな人が本当にいたのか、と感服するやら呆れるやら。
”過激にして愛嬌あり”とは「滑稽新聞」のコピーでございますが
外骨さん御本人の人となりを表した言葉でもあったのでございましょう。

伊丹市美術館のサイトには”筆禍による入獄4回、罰金15回、発禁処分14回”とありますが
Wikipediaによると”1号のみの廃刊誌は実に17を数える”のだとか。
ま、14も17も同じようなもんでございます。
瞠目すべきはその不屈の風刺精神と諧謔精神。
逆境に陥っても、権力に叩かれても反骨精神をつらぬくその気概は感動的でございます。
一方、権力を徹底しておちょくり、色気と滑稽で対抗するその姿勢たるやほとんど漫画的もであります。

明治20年に創刊した「頓知協会雑誌」では、明治天皇による憲法発布のパロディ画を掲載し
不敬罪のかどで投獄されるんでございますが、獄中で密かに入所者からの投稿をつのって
「鉄窓詩林」なる獄中雑誌の発行をはかります。
のちに「滑稽新聞」で官吏の汚職を告発した際には「官吏侮辱罪」で投獄されるんでございますが
入獄~獄中~出獄の動向を当の雑誌に風刺漫画入りで実況掲載する始末。
読者向けの獄中レポートでは「身体はすこぶる健康。体重も増えました。
頭のハゲた所にも毛が生えて来ました」云々とうそぶいて見せます。
次々下される発禁処分に業を煮やして「早晩発禁雑誌」というタイトルの雑誌を創刊したり
12種ものリーフレット状の雑誌をひとつの袋に納めて「袋雑誌」と称して発行したり。
(つまりその中のひとつが発禁になったとしても、「袋雑誌」自体は存続できる)
好評を博した「滑稽新聞」も、度重なる言論弾圧に憤慨した氏が
「自殺号」をもって自ら廃刊にしたというのでございますから、全く恐れ入ります。

上に挙げた雑誌は、全て本展に展示されております。
ぜひ実物を御覧になって「ほんとにやってるよこの人…」と驚き呆れてくださいまし。
中でも一室を占めて展示されている「滑稽新聞」は、すごいものでございましたねえ。
なにぶんケースの中に鎮座ましましているので、すっかり読むわけにはまいりませんけれども
デザイン、紙面構成、小ネタ、パロディ広告などなど、どれもまあ~見事でございました。
紙面は縦横無尽に活用され、毒と愛嬌がこれでもかとばかり詰め込まれておりました。
下世話なネタもある一方、悪徳業者や権力者による不正への糾弾と風刺は鋭く、
かつ「そこまでしなくても」と思う程の執拗さで追求しております。
とはいえ、そのしつこささえも、あまりにもしつこいが故にかえってユーモラスに思えてしまうのは
外骨さんの戦略でございましょうか。
そのトンガリ具合は留まるところを知らず
欄外を利用して、読者にまで「人に貸すな、人から借りて読むな」と注文をつけておられます。

本誌を貸す可らず可笑味に感ぜば購読を勧誘す可し持て行て御覧なさいなど失敬な事を云ふ勿れ
本誌を借る可らず面白相に思はば購読を申込む可しチョイト貸したまへなどケチな事を云ふ勿れ

いやはや。

同時開催中の所蔵品展(フランスの風刺画特集と日本の風刺雑誌特集)もあわせて
反骨精神よ永遠なれ!と思わしむる展覧会でございました。


岐阜県現代陶芸美術館2

2008-01-17 | 展覧会
1/11の続きでございます。

『中欧の現代陶芸』、こちらも大変面白うございました。
実用的な物、純粋なオブジェ、実用とオブジェの中間の物、社会的メッセージを強く打ち出した物、
カラフルな物、白に徹した物、抽象的な物、具象的な物などなど、さまざまございました。

中でも、ため息が出るほど端正なガブリエール・ハイン(オーストリア)と
シンプルで実用的でありながら遊び心を感じさせるヨハンナ・ヒッツラー(ドイツ)の作品がとりわけのろごのみでございました。

ところでこのヒッツラーという姓、もしかしてHitlerの間にzを入れて改名したんだろうか?と思うではございませんか。
のろは常々ヒトラーとかヒムラーという姓の人たちは第二次世界大戦後、
このあまりにもイメージの悪い名前をどうしたんだろう?と思ってもいたもので、ちとネットで調べてみました。
同じことを考える人はいるもので、”教えて!goo”でもドイツ版語の”Yahoo!知恵袋”でも
「ヒトラーっていう姓の人はもう存在しないの?」という質問が上がっておりました。
それへの回答によりますと「戦後ドイツ憲法ではヒトラー姓を名乗ることを禁じている」(goo)
「そもそもヒトラーという名前がマイナーである」(goo)
「ほとんどのヒトラー姓は戦後に改名した」(yahoo)とのことでございました。
まあ改名したというより、そもそも同じ名字のバリエーションなのかもしれませんね。
加藤さんと嘉藤さん、橋本さんと橋元さんみたいな感じで。

閑話休題。
陶芸でございます。
そもそものろが京都から多治見まで足を運んだのは、日曜美術館の「アートシーン」で紹介された
この作品に会いたいがためだったのでございます。


シュランメル・イムレ 「座るミノタウルス」

↑チラシの小さな写真を拡大したのでちと画像が悪うございます。

ミノタウルス、ギリシア神話に登場する半人半牛の怪物でございますね。
しかし高さ20cm程のこの像に現されたミノタウルスは
怪物と呼ぶにはあまりにもつつましく、寂しげに座っております。

肩を落とし、右手をそっと地面につけ、牛頭をかしげて何事かをじっと考えているミノタウルス。
正面から見ると単に倦んで自然に座り込んだポーズのようでもありますが
像の背後に回ると、背中の筋肉が痛々しく緊張していることが分かります。
たくましい両肩を不自然なほどにきつくちぢめて、身をよじるようにして座っているのでございます。
あたかも自分の大きな身体を、できるだけ小さな空間内に押し込もうと努力しているようでございます。

迷宮に閉じ込められ、生け贄として投げ込まれた青年たちを喰らって生きるミノタウルス。
光の届かない迷宮の冷たい床に、ひとり座りこみ、考えます。

「どうして生まれてしまったのか?」


役者にミノタウルスを選んでいる所がよろしうございますね。
放心と集中とが一体となった表情で、座り込み、考える。
これを人間にやらせてしまうと、何と申しますかねえ、妙な崇高さがつきまとってしまいます。
即ちロダンの「考える人」がそうであるように
見る者の心に「こうやって自分の存在意義を考えることのできる”人間”ってのはやっぱり高尚だよなあ、
人間は知的な生き物なんだよなあ」と、人間という種の自尊心をくすぐる感覚を
呼び起こさずにはいないこってございましょう。

いえ、ワタクシは何も「考える人」をおとしめるつもりは毛頭ございません。
あの作品は一種の人間讃歌であって、あれはあれで大変いいものでございます。
あちらが自らの内に秘めた可能性について考える、人間の知的側面にフォーカスしているのに対し
この「座るミノタウルス」は、存在していることの所在なさと
「なぜ存在しているのか」という答えの無い問いの方にフォーカスした作品であろうと思います。

そして人間ではなくミノタウルスという怪物に託することで、この問いはいっそう混じりけのない
切実なものとして、見る者の心に訴えるのでございます。
誰にも望まれずにこの世に生を受けた怪物、あらゆる人から疎まれて生きるこの怪物が
こんな表情で熟考することといったら
「生きていていいのか、いけないのか?何のために生きているのか?何のために生まれたのか?」
ということ以外に、いったい何がございましょうか?

作者のシュランメル・イムレ氏、調べてみますと
量感のあるヌード仮面をつけた人物像を多く制作なさっているようでございます。
本展に展示されていたのは2点だけでございましたが、ぜひもっと多くの作品とお会いしたいものでございます。


前回レポートいたしました「前衛陶芸の諸相」とあわせて概括いたしますと
ダイナミックな動きや繊細な表情、優しさや毒々しさなどなど
陶という素材の多彩な側面に触れることができ、大変充実した展覧会でございました。

ああそれなのにそれなのに
お客さんが少なすぎます、あまりにも。
少ないと申しましょうか、館内にいた2時間半の間、のろが出会ったお客さんはたった2人(1組)。
平日とはいえ、すでに学校は冬休みに入っておりましたのに。(行ったのは去年の年末なんでございます)

おまけに、入場料が大人一人320円という激安っぷりはこれいかに。
片方320円じゃございませんよ。両 方 で、でございます。
そりゃあ安いに越したことはございませんけれども、これで経営大丈夫なんだろうか?と心配になります。
岐阜県美術館などはすでに高校生以下の入館を無料にしているそうで
この現代陶芸美術館もそうするつもりでいらっしゃるらしいのですが
大丈夫なんでしょうか。潰れちゃいやですよ。ほんとに。
しかしこうしたことに踏み切るからには、おそらく単に行政による支援をあてにしているのではなく
みなさんが来てくれる、という信頼と、それだけ集客力のある、魅力ある展示をしてみせる、という
熱い気概が美術館にあるからでございましょう。

皆様、美術館へ行こうではありませんか、美術館へ。



岐阜県現代陶芸美術館

2008-01-11 | 展覧会
岐阜県現代陶芸美術館へ行ってまいりました。

多治見駅からちっちゃなバスに乗り、見事な枝振りの桜やメタセコイアの植わった修道院を窓から眺めつつ約15分で到着。
わりかし人里離れた所、というか山ん中にございまして、それだけに空気が大変おいしうございました。
そんなロケーションのせいか、建物の雰囲気が兵庫陶芸美術館ミホミュージアムに似ておりました。

開催されていた展覧会は『前衛陶芸の諸相』『中欧の現代陶芸 ―ハンガリーとチェコを中心に』

『前衛~』から入って『中欧~』に抜けるという格好でございまして
静かな展示室に足を踏み入れますと、八木一夫さんの『頁1(ページワン)』がひらりと姿を現します。



陶という素材で紙を表現していることの面白さよ。
ゆるゆると溶けてゆくアイスクリームような前小口(ページのへり)の量感が、ウームたまりませんね。

素焼きの肌にバサッと置かれた白が鮮烈でございます。
ページをめくる刹那に視線の前を横切る、紙の白色でございましょうか。
風に吹かれて軽やかにめくれるページの、一瞬の静止像とも見えますし
ずっしりとした知識の集積である書物が、読者である私達に胸襟を開いた瞬間を
象徴的に表現したもの、という見方もできましょう。

鑑賞者に様々な解釈を許すこの作品において、のろがとりわけ心魅かれたのは
単なる情報の入れ物ではない、書物の「もの」としての存在感が表現されている点でございます。

と申しますのも、ワタクシがここ数年来気になっておりますことに
用途や美醜以前に「もの」が「もの」として3次元の空間に存在していることの
説得力、と申しますか力強さ、があるからでございます。
のろはこれを「もの感」と呼んでおります。
どんな瑣末な物体にも、存在しているかぎり「もの感」が備わっているわけでございますが
特に書物の持っている「もの感」は、デジタル媒体に対抗する書物それ自体の価値として
積極的に評価されるべきものと考えております。
情報のデジタル化が進んでおります昨今、単に情報の入れ物や伝達手段として見るならば、
書物よりも優れた媒体はたくさんございます。
しかし書物の持つ高度な「もの感」は、情報技術がどんなに発達しても交換不可能な価値でございます。

そんなことを常々思っているもので、のろには
文字も書かれていなければめくることもできないこの作品『頁1』が
書物から機能を取り払い「もの」としての存在感を結実させた作品として見えたのでございました。

この作品が展示されているのは一番はじめの展示室でございまして
この後にも詩情豊かな藤平 伸さん、どこかユーモラスな金子潤さんなどなどの個性豊かな作品が並んで
見る者の目と心を楽しませ、驚かせてくださいます。
「もの感」が気になっているのろとしては、最後に一室を占めて展示されていた
三島喜美代
さんの作品群に圧倒されました。
↑陶芸作品でございますよ、これ。
古新聞や古雑誌、段ボールや電柱といった本当に見慣れた、何でもない「もの」達が
ちょっとやそっとでは揺るがない質量で再現され、圧倒的な「もの感」を発しております。
また、彼ら何でもない「もの」達が強い存在感を主張すしているだけに、
彼らが伝達する、広告や娯楽といった「情報」のはかなさについても思わずにはいられません。
「情報」と「もの」、そしてこれらに取り巻かれている「私達」との関係を考えさせられる作品群でございました。



『中欧の現代陶芸』についてはまた次回に。


『国立ロシア美術館展』2

2008-01-07 | 展覧会
1/3の続きでございます。

レーピン。
レーピン。
おお。
ヴォルガの船曳きのレーピン。
イワン雷帝とその息子のレーピンでございますよ!
やっほう!

来ているのはてっきりチラシに載っている1点だけなのかと思いましたが
何とまあ、大小とりまぜて10点も展示されておりました。
ワタクシ実物のレーピン作品を見るのは初めてだったのでございます。
意外にストロークが大きいんでございますね、
細かく細かく筆を重ねてあのようにリアルな表現を達成しているのかと思いきや。
肖像画の目元口元などは実際、細かいんでございますが
所々にべラスケスのような荒めのタッチを用いておられました。
それでもって対象のかたちや質感を見事に再現しているというのは、画家の技量の高さを物語るものでございます。
そんな技量の高さはもとより、人間を内面から描こうとするような画家のまなざしがいっそう心に滲みました。
とりわけ印象深かったのはこの作品でございます。


©The State Russian Museum 2007-2008

両手を前で組み、かかとをきちんと揃え、夢見るような眼差しをこちらに向けている青年は
ロシア最後の皇帝、ニコライ2世でございます。
身につけている衣服も、おだやかに陽の射す室内も、高級という言葉をつかうものあほらしいほど高級感に満ちあふれておりますが
この絵には「皇帝の偉容を讃える」といった仰々しい雰囲気は全くございません。
見る者を圧する堂々とした威光も、うそくさい慈愛の微笑みも、レーピンは描きませんでした。
そのかわり、世間ずれしていない一人の人間の姿を、皮肉も誇張もない誠実な筆で描いております。
絵の中の皇帝は、ごく静的なポーズにもかかわらず、血が通ってるように生き生きとしております。
その表情からも、ポーズからも、温厚で誠実だったというニコライ2世の人柄がしのばれるではございませんか。
さらに背景と床の正確な空間表現によって、額縁の向こうにそのまま3次元の空間が広がっているかのような現実感がかもし出され
皇帝は今にも組んだ手をほどいて、額縁から外へ一歩を踏み出して来そうなのでございました。

とまあ
のろは他の何よりもレーピン作品に心うたれたのでございますが
展示されている作品はどれも素晴らしいものでございました。
ボロボロの服をまとった孤児たちの姿。含みのありそうな笑みを口元に浮かべた、大理石のエカチェリーナ2世像。
絵の前に立っていると、しんしんと冷たい、湿り気を帯びた空気が鑑賞者の肺まで届きそうな、冬の森の風景。

浅学の恥をかえりみず白状いたしますればのろはロシア絵画に対して、甚だ偏ったイメージを持っておりました。
ひたすら質感の再現と室内風景の描写を煮詰めて行ったものであり、他のヨーロッパ諸国と比べて
あまり目立った動き(時代的変遷)がないもの、ぶっちゃけて申せば面白みがないものと思っていたのでございます。
お恥ずかしいかぎりでございます。
本展のおかげでこの偏見は大いに矯正されました。

また来てねロシア!
待ってるよロシア!
エルミタージュにはきっといつか行くからね!
レンブラント見にだけど。

『国立ロシア美術館展』1

2008-01-03 | 展覧会
えっ
初夢でございますか?

巨大な地下型の遊戯施設がありましてね、来場者は遊びながら螺旋状の建物をどんどん下りて行くんでございます。
ところが「注文の多い料理店」のように、みんな最後には恐ろしい怪物に食べられてしまう運命にあるのですよ。
のろはそのことに途中で気付いて必死で逃げ出し、何とか地上までたどりつくんでございますが
何も知らない子供たちがまた送迎バスで施設にやって来て、みんな楽しそうに施設に入って行くのを
途方に暮れて見ていることしかできない

といういとも陰惨な夢でございましたよ。
あっはっは。

それともうひとつ、のろ宅のお隣さんが玄関口へやって来て

隣人「歌とか歌うのやめてくれませんか?けっこううるさいんで...」
のろ「すみません。すみません。もう歌いませんので」汗汗

といういともリアルな夢でございましたよ。
うーむ。こ これは笑えません。

それはさておき
国立ロシア美術館展 ロシア絵画の神髄へ行ってまいりました。

実を申せば、チラシやポスターにあまり魅力を感じませんでしたので、行こうか行くまいか迷っていたのでございますが
いや、行ってようございました。
しかも展示品中でのろの心に最も深い印象を残しましたのは
まさにチラシやポスターにフィーチャーされていた『アイヤ岬の嵐』という作品だったのでございました。



印刷物だけを見て作品を見た気になっちゃいけないよなァ、とつくづく痛感いたしました。
実際に作品の前に立ってみますと、2.15×3.25メートルという大画面から
ごうごうという海鳴りと身を切る強風が、こちらに襲い来るような迫力でございました。
まずもって、深く冷たい海水の色と、細かい粒の集積となって光り輝く波頭の表現がまあ~、ものすごうございます。
印刷物ではとうてい再現できない深みと輝きでございました。
画面手前、小舟の上の人々は、岸壁にぶつからぬよう祈りながら、そびえ立つ岩肌をうちまもっております。
その小舟に向って挟み撃ちをかけるかのように、白い飛沫を頂いた高波が今しも襲いかかろうとしております。
ああ、次の瞬間には、このあまりにもちっぽけなボートは木っ端みじんになっているのでございましょうか。
いや、いや。
画面の奥は暗雲が垂れ込めておりますが、小舟の向う手前には、陽が刺しているではございませんか。
乱雲が途切れ、空から光が射しているではございませんか。
天候の回復を予兆するかのように、海鳥も飛んでおります。
何より、人々はまだ諦めてはおりません。必死でオールを取り、水に落ちた仲間を助け上げ、
今しも沈没せんとする本船でもなお、安全にボートを下ろそうと奮闘しているのでございす。

荒々しい自然美のなかで翻弄されながらもたくましく立ち向かう人間の営み...何て申しますと
あまりにもベタな感じがいたしまして
はいはいロマン主義ですなあと片付けたくなりますけれども
画家の圧倒的な描写力と繊細な色彩感覚は、本作を「典型的◯◯」とひとくくりに片付けることを固く拒んでおります。




次回に続きます。



新年

2008-01-01 | KLAUS NOMI




おや
福助さんって
誰かに似ておりませんか。






似てませんか。
そうですか。

何だか新年早々お葬式じみた色彩になっているのろやでございますが
今年も空気を読まずこんな調子でやって参る所存でございます。
すみません。