のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『テンペスト』

2011-06-30 | 映画
京都シネマで上映中の『テンペスト』を観てまいりました。

嗚呼、消化不良。

ジュリー・テイモア監督の映画デヴュー作『タイタス』はワタクシの大好きな作品でございます。『タイタス』と同じくシェイクスピア劇を原作とする本作はしかし、所々に光るものをかいま見せつつも、全体としてはちぐはぐな仕上がりになってしまっておりました。
モッタイナイのひと言でございます、衣装、ロケーション、そしてとりわけ俳優陣が素晴らしかっただけに。

The Tempest Movie Trailer Official (HD)


題材からしてCGを盛大に使いたくなるお気持ちはわかります。しかしその使い方がいまいちこなれていないと言いますか、全体的に小うるさく感じられてしまいました。特に妖精エアリエルの動かし方はいただけません。残像を引きながら無駄に画面上を瞬間移動するのなんて、もうCG創成期じゃないんだからこういうのはよそうよ、と思ってしまいました。

ベン・ウィショー演じるエアリエル自身は、まっちろけで、中性的で、ぼさぼさ頭で、それはそれは可愛かったんですけれどね。水の中から現れる演出や半透明の姿もよろしうございましたし。船に火をかけたり蜂の群になってキャリバンたちを追い回す時の悪魔的な笑い顔も、助けてもらった恩をもう忘れたのか、とプロスペラになじられるシーンでの、先生に叱られているいたずら小僧のような表情も、また「ご主人様、私を愛してくださっていますか?」という台詞におけるしんみりした切実なトーンも実によかった。ベン・ウィショーの他の作品はワタクシ未鑑賞でございますが、なかなか芸達者な役者さんのようですね。



だからこそ、最後にプロスペラがエアリエルを解放してやる所を、役者よりもCGがキモと言わんばかりの何の感慨もない描き方にしてしまったことが残念でなりません。ここも絵的にはまあ綺麗だったんでございますけれども、プロスペラとエアリエルの間に主人と下僕という以上の親密な雰囲気があっただけに「かわいいエアリエル、これが最後のつとめだぞ。あとは大気の中に自由に飛び去るがいい。達者でな」(白水社版)、この台詞をつぶやいて、飛び去るエアリエルを見つめるプロスペラという絵がぜひとも見たかったのですよ。
また最後の「これにて私の術は破れ...」の長台詞を、俳優が語るのではなく、エンドロールとともに流れる歌にしたというのも、独創的といえば独創的ではありますけれども、やっぱりヘレン・ミレンが朗々と語るのを聞きたかった。こんな所にも消化不良感が残ります。

それから音楽の唐突な使い方、これだけはどうあっても擁護できません。とりわけ-----これは『タイタス』でもその兆候がありましたが-----所々これみよがしにかき鳴らされるエレキギター使いはダサすぎます。エアリエルが「王の船に乗り込み、舳先に行き、ともに行き、甲板に行き、船室に行き、火の玉に変身して連中を仰天させて」やる場面など、視覚的には悪くないのに、ぎょわんぎょわわ~んといういかにも大変なことになってます的なエレキ音のせいで、非常に安っぽいシーンになってしまいました。モッタイナイ。

所々、これは!と思う演出もあったのですよ。プロスペラが描く魔法陣を強風にたなびく炎の輪とその焼け跡で表現したり、プロスペラが岩屋の書斎でフラスコの中に黒い羽根を落とすと同時に、ナポリ公たちのもとには真っ黒な怪鳥ハーピー(に扮したエアリエル)が現れる所なんぞは、これこそ映画ならではの表現よな、とワクワクいたしました。そのセンスが作品全体に行き届いていてくれたらよかったのですが。

本作で最もユニークな、それゆえ最も評価したい点は、言うまでもなく主人公であるミラノ大公プロスペローを女性に置き換えたという点でございます。これによって、プロスペラ(プロスペロー)と他のキャラクターたち、とりわけ娘のミランダ、奴隷キャリバン、そして使い魔エアリエルとの関係に、原作にはないニュアンスが付されておりました。復讐に燃える魔術師であり、娘を思いやる母親でもあるプロスペラを演じるヘレン・ミレン、凛としたたたずまいに格調高い台詞回しで他を圧するかと思えば、一人娘に対する深い情愛をふとした台詞や所作に表すさすがの名演でございます。

ヘレン・ミレンのみならず俳優陣はみな素晴らしく、CGの全く使われていない役者同士のかけあいのシーンはたいへん見ごたえがございました。老臣ゴンザーローが喋るたびに王弟セバスチャンが絶妙のタイミングでへらへらと茶々を入れて来る所なんてまあ、各々の人物の個性がテンポよく表現されていてお見事でございました。
ちなみにいかにも誠実で人の良さそうなゴンザーローを演じるのはトム・コンティ、はい、『戦メリ』のろーれんすさんでございますね。セバスチャン役は当ブログではそこそこおなじみなアラン・カミング。軽薄で辛辣で斜に構えておりながらもどこか間が抜けている感じがたいへんよろしいかと笑。



それからキャリバン役のジャイモン・フンスー、野太い声に堂々とした体躯で、非常に存在感のある「化け物」を造形しておりました。「俺は夢の続きが見たくて泣く」の所や、最後にゆっくり岩屋から出て行くシーンに漂うもの悲しさが印象的なだけに、ドタバタ喜劇の部分でそのまんまドタバタしているだけなのがちと残念な所。いっそ喜劇的要素は呑んだくれ2人につめこんで、徹底的にシリアスなキャリバンにした方がよかったのではないかしらん。

そんなわけで一長一短の感がある本作ではございますが、好き嫌いで言うならば、映像美術的には高い完成度を誇るものの観客置いてけぼり感もたいそうであったピーター・グリーナウェイの『プロスペローの本』よりも、もともとの戯曲の持つ娯楽性に配慮した本作の方がワタクシは好きでございます(デレク・ジャーマン作は未見)。DVDがレンタル屋の棚に並んだらもう一度じっくり鑑賞したいとも思っております。
テイモア監督には本作の不評にめげず、また古典劇を手がけてほしい所です。ただ、本作のCG使いを見ますと、何をやってもいいけど『夏の夜の夢』には手を出さないでいただきたいと願わずにはいられません。

ところで本作の日本版ポスターおよびキャッチコピーは素晴らしい出来映えでございますね。『タイタス』の「復讐は、女のたしなみ」というコピーも秀逸でしたけれども、ひょっとすると同じコピーライターさんが手がけられたのかしらん。重厚かつシンプルなドレスに身を包んだヘレン・ミレンの立ち姿と「私に抱かれて、世界よ眠れ」の一文、一編の詩のような作品でございます。まあ、海外版ポスターの方がこの映画の雰囲気に忠実ではありますけれどもね。



改装ウォルシンガム本3

2011-06-20 | 
6/18の続きでございます。

本書を改装した一番の目的は、開きのよさを確保することでございました。よって背表紙は本体の背に接着せず、本を開くと本体と背表紙の間に空間ができる「ホローバック」としました。しかし今回使ったのはたいへん柔らかい羊革でございます。背表紙が開くたびにふにゃふにゃするようでは、ちとかっこ悪い。上にタイトルラベルを貼る予定なのでなおさら、閉じても開いてもそれなりにパリッとした形を保っていてもらわねば困ります。そこで表紙をくるむ前に背表紙にあたる部分に和紙を一枚貼り、背表紙の芯としました。あまり固い紙を貼ると今度はコードの出っぱりを出しづらくなってしまいます。
↓芯の上端に貼ってあるのは麻紐。背表紙の天地を補強し、形を整えるためでございます。
角の部分は3方向から折り曲げることに。



再び水ときでんぷん糊をたっぷりと塗って、天地→左右の順で折り返します。薄く漉いてある縁の部分は水分を吸ってよく伸び、皺ができてしまうため、湿っている間によくよく馴染ませ、凸凹を落ちつかせます。

折り返し部分が乾いたら、縁を切りそろえ、段差を小さくするためやや厚手の紙を貼ります。
その紙もすっかり乾いたら、表紙側の見返し(きき紙)を貼ります。



折丁に巻き込んだ部分は、隣のページに貼付けず遊ばせておくことにしました。なにせ本体の紙質が良くないので、負担をかけそうなことはなるべく避けねばなりません。
角はきれいに納まり、背表紙の折り返しもなかなか上手くいきました。

さて、仕上げにタイトルラベルを作ります。
紙コレクションをひっくり返した所、楽紙舘で買ったものと思われる、ネパール産の手漉き紙が出てきました。厚みといい色合いといい本書のラベルにはぴったりでございます。
黒一色の地味な装丁にした分、タイトルラベルくらいにはささやかな装飾を入れようと当初は計画しておりました。主題と副題の間にワンポイント入れるとか、まあ、その程度の。しかしまたも脳内クライアントからダメ出しをくらったので断念して,結局文字だけのラベルを作ることにしました。

うちのphotoshopで使えるフォントを全て試してみたのち、ふたつに絞り込んで印刷。実際に背表紙に当ててみて、パラティーノというフォントの方を採用することにしました。後で知ったのですがこのフォントの名前は16世紀イタリアの書家ジャンバッティスタ・パラティーノに由来するものなのだとか。おお、図らずも同時代人ではございませんか。当時のイングランドとローマの関係は険悪であったものの、ウォルシンガムは若い頃にイタリアに滞在していたことがありますし、イタリア語にも堪能であったことですから、かの地由来の書体を使っても、きっと許していただけるでしょう。

思ったよりも綺麗に印刷されたました。こすると表面がほほけてくるので、全体を鑞でコーティングしてから貼ります。実際に貼ってみると、狙い通りにパーチメントのような風合いに仕上がりました。よかよか。



革の乾燥に伴って装飾のラインがぼやけたり板が反り返ったりするのではないかという懸念は、幸いなことに杞憂に終わり、開きの悪さも大幅に改善されました。もとは開いたまま置いておくこともできなかったのですよ。
反省点は、コードに使った麻紐が細すぎたということ。全体的に軽い本なので強度の点では全く問題ないと思われますが、16世紀イングランド風にしては背のでっぱりが少々大人しすぎるように思います。ヴォリュームを出すためにコードの上に細く切った和紙を貼ったのですが、革をかぶせたら結局シングルコードにしか見えなくなってしまいました。

しかしまあ、全体的には、自分でもそれなりに満足のいく出来に仕上がりました。及第点といった所でございます。



というわけで
完成しました、国務長官殿。

えっ
もっと社会の役に立つようなことに時間と労力を費やせって。
ああおっしゃるとうりでございます。しかしワタクシは自転車操業的に何か作っていないと駄目なのですよ。

ところでこのElizabeth's Spy Masterが出版されたのは2007年の春でございまして、同年夏にはSir Francis Walsingham、秋にはWalsingham、その前年にはHer Majesty's Spymaster、また2009年にはThe Elizabethan Secret Servicesと、ここ数年なぜか立て続けにウォルシンガム関連書籍が出版されております。
さらに今年の秋にも、350ページのハードカバー本The Queen's Agent: Francis Walsingham at the Court of Elizabeth I: The Life of Sir Francis Walsinghamが出版を控えていたりして。

そもそも近年ドラマや映画でテューダー朝を舞台としたものが流行しているらしいので、ウォルシンガム本ラッシュもその流れの一環かもしれません。あるいは、とりわけ2007年夏に世に出た本の”A Courtier in an Age of Terror”(テロの時代の廷臣)という副題が物語っているように、情報網を駆使して冷徹に、しかも献身的に、国内外の難局に対処した国務長官殿の姿に、今の時代に求められる政治家のあり方を見いだそうという試みでもありましょう。

正直、現代の政治家にウォルシンガムの権謀術策メソッドを真似していただきたいとは全然思いませんけれども、私利私欲を廃した仕事への情熱や現状分析の冷静さ、広い視野、そして芸術文化に対する理解といった点は大いに見習っていただきたい所でございます。

改装ウォルシンガム本2

2011-06-18 | 
6/16の続きでございます。

花布(はなぎれ、本の背の両端についているアレ)を作ります。
これも16世紀っぽく、麻糸を折丁の端に縫い付けつつ芯にぐるぐる巻いていく、頑丈ながらも見た目はごく簡素なもの。表紙は黒服をイメージして黒一色で装丁すると決めていたので、花布は白いひだ襟のイメージで光沢のある糸を使おうかとも考えておりましたが、セント・ポール大聖堂の地下あたりから「派手になるからやめて」という厳命が飛んで来たのでやめました。
本を作ったり改装したりする際、本文を構成している作品の作者や、作品の対象となっている人物を念頭に置いて「こうしたら喜んでいただけるだろうか」と考えながら素材やデザインを決めていくことがしばしばあります。いわば彼らは仮想のクライアントといった所でございまして、クライアントであるだけに、時々注文をつけてきます。



本体を綴じ終えた所で、ホームセンターで9ミリ厚の杉板を買ってまいりました。これで表紙の芯を作ります。
本当はもう少し固くて目の密な木材が望ましかったのです。しかし固さ・大きさの条件を共にクリアするものがなかなかございませんで、またカットサービスをしていない店舗であったので、自転車で運べる大きさのものを選ばざるを得ず、妥協のすえ手頃な大きさのこの杉板に落ちつきました。
ともあれ、9ミリではちと分厚すぎるので、6ミリ厚まで削ります。
ここでのろの大好きな可愛い可愛いかんなが登場。片手にすっぽり収まるサイズで、押しても引いても使いやすい。刃は3カ所に付け替えられ、取り付ける場所によって湾曲面や角の部分も削れるつくりになっているスグレモノでございます。その上デザインが可愛いときたもんだ。ちなみにネーデルラントもといオランダ製ですよ、国務長官殿。ちょっとデ・ステイルじみた配色もいいですね。

さて鋸でおおまかに切り出した板の4辺を面取りしてヤスリをかけます。
実際に作業してみると、やはり材がかなり柔らかい。ワタクシの腕のせいもあるでしょうけれども、面取りが終った時点で、へこんだりささくれが剥けたりで、小さな陥没部分があちこちにできてしまいました。そうした箇所にはかんな屑を詰めた上でヤスリをかけて平らにします。

どうやら形が整ったのち、ノド側に穴を空けてコードを通し、本体と接合します。



ここでちと変則的なことをしました。革表紙に装飾を施す場合、表紙を革でくるんだのち、押し型やローラーを使って箔押しなり空押しなりをするのが普通でございます。ワタクシはそういった道具を持ち合わせませんので、表紙の芯にあらかじめ凹刻をしておいて、その上に革を被せることにしたのでございます。(一般的ではないというだけで、こうした装丁が全く行われていないというわけではありません)
ところが上述のように材が柔らかく目が粗いので、正確な図案を刻むことはかなり困難であると予想されました。そこで0.8ミリ厚ほどの厚紙を表面に貼り、その厚紙を切り抜いて凹凸をつけることにしました。後で板が反ってしまうのではないかと少々心配な所ではあります。
これはこれで、けっこう大変な作業ではありました。つけっぱなしのラジオからは『フィガロの結婚』のライヴ録音がずーっと流れております。これからは「恋とはどんなものかしら」とか聴くたびにこの作業を思い出すんだろうなあ。

さあ、いよいよ革を被せます。革は全体を薄めに漉き、エッジ部分はさらに薄く漉いた上で、全体に水で溶いたでんぷんのりをたっぷり塗ってえいやっと一気に被せます。装飾の線がきれいに出るように、革が湿っている間にへらでしっかり押し込んでおかねばなりません。というわけで、ここは写真を撮っている暇がございませんでした。

どうにかこうにか装飾の格好がついた所で、今度は背のコードのでっぱりを形状記憶させるために、麻紐をぎっちりと巻き付けます。拷問しているわけではないのですよ。
このまま乾かすと本当にぎっちりとコードの出っぱりがついた本になります。しかしワタクシとしては革に縄目が残るのが嫌であったのと、イングランド的野暮ったさを残したいということがございましたので、生乾きの状態で紐をはずしました。

英国が野暮ったいとはこれいかに、とお思いのかたもいらっしゃるかもしれませんが、英国は産業革命に伴って綴じ機やら製本用クロスやら色々と便利なものが発明されるまで、製本先進国であったことは一度もございませんでした。

↓16世紀イングランドの本

CILIP | Rare Books and Special Collections Group

binding Ahd2

↓同フランス

Yessiree Books ? French Binding of the 16th Century

Binding of Henry II, King of France, from Gellius, Aulus: Noctes Atticae | Flickr - Photo Sharing!

Bodleian Library Shop French Bookbinding

↓同イタリア

16th Century italian Bookbindings


というわけで野暮ったさ維持のため、革を漉くにあたっても、端や角の部分以外はあまり薄くしすぎないよう気をつけました。分厚いだけに装飾の凹線部分にまんべんなく押し込むのに少々苦労したものの、その分厚さのおかげで線のエッジが優しく落ち込み、直線のみで構成されたデザインにもの柔らかな印象を付与することができたと思います。
まあ、それについては完成作を見ていただくとして。


次回に続きます。

改装ウォルシンガム本1

2011-06-16 | 
ペーパーバックをハードカバーに改装しました。
ウォルシンガム話12で、「紙質は悪くカバーデザイン最悪でノドの余白も大きくないくせに横目で製本されているという、ちょっぴりがっつり怒りたくなるような造本」とご紹介したElizabeth's Spy Master : Francis Walsingham and the secret war that saved Englandでございます。

「横目」というのは、紙の繊維が紙の短い方の辺と平行に走っているということでございます。
逆に「縦目」の紙は、繊維が紙の長い方の辺と平行に走っております。
本は各ページが縦目になるように製本するのが機能的にも構造的にも、また美的にも望ましいのであって、ありがたいことに現在日本で出版されている本は、文庫・新書といった安価な本や語学テキストのように一時的な利用に供されるものまで、ほとんどが縦目で製本されております。ところが、のろの知る限りのことではありますが、洋書のペーパーバック(特に英国のもの)は妙に横目製本の確率が高いのでございます。

横目製本の短所はといいますと、縦目と違って紙のしなる方向が横向き(本の背に対して垂直)であるためページがめくりにくく、当然ながら開きが悪い。また開きの悪いものを無理に押し開くため背に負担がかかり、開くたびに背表紙にめりめりと縦じわが刻まれて壊れの原因となります。さらに空気中の水分を吸収することによって前小口に波うちが生じやすく、それに伴ってノドには横皺が刻まれ、開きの悪さを助長する上に美観も損ないます。
長所はといいますと、ありません、多分。

その上に装丁もまずいとあっては、まるっきりいいとこなしでございます。
文化芸術のパトロンでもあった国務長官殿の伝記が、こんなお粗末な作りであっていいわけはございません。

というわけで
まず本体と表紙を分離し、1ページずつばらします。



ご覧下さいまし、この見事なまでの横目っぷり。
バラバラにした各ページのノドを縦目の紙で接いで、4枚1折りの折丁を作ります。
八木重吉詩集で使ったのと同じ中国の手漉き紙を細長く割き、幅の広いものを外側、狭いものを内側にして両側からページを挟んでいきます。1枚目と8枚目、2枚目と7枚目...という順番で繋いでいくので、途中で並びがおかしくならないように注意しつつ作業を進めます。



乾いたのち余分な紙を切り落とし、4枚ずつ重ねて折り、背に綴じ穴を空けます。
16世紀っぽくダブルコード-----折丁同士を繋ぐ支持帯(コード)を、ひとつの綴じ穴につき2本ずつ渡す-----で綴じることにしました。



見返しには黒のラシャ紙と銀・赤・グレーを基調とした現代的なマーブル紙の2種類を使い、最初と最後の折丁に見返し紙を巻き付けて一緒に綴じる「巻き見返し」としました。
見返しを本体と一緒に綴じつける場合、細かい部分は別として、綴じの時点で本全体のデザインを頭の中でおおむね完成させておく必要があります。
振り返れば今回は「総革・16世紀風」という基本方針は変わらなかったものの、技術的・デザイン的な要請からこの「細かい部分」の変更が少なからずございました。

次回に続きます。


T-1000ばなし-2

2011-06-09 | 映画
西を向いても東を向いても嫌なニュースばかり。

【驚愕】元東電社員の内部告発 | PBR



それはさておき

先週放送された『T2』は前回にも増してカットされまくりであったような気がするのですが、ワタクシの思い過ごしでしょうか。ほとんどダイジェスト版を見ているような心地がいたしましたよ。
それでも、T-1000が顔面にショットガンをくらいながら元気にT-1000走りしているのや、業火の中から無表情で(←ここ重要)すたすた歩み出て来るのや、胴体に突き刺さった鉄棒をぬっ ぽん と横ざまに抜き取るのや、邪魔者さんたちを無駄のない動きでさくっさくっと刺し殺して行くのを見ることができてたいへん爽やかな気分になりました。



前回のT-1000ばなしはこちら

悪を定義付ける言葉はさまざまございましょうが、倫理的・社会的秩序からの逸脱というのもそのひとつでございます。実際、映画の悪役もその多くは逸脱者であるわけでございますが、T-1000の逸脱ぶりときたら他の悪役連中と比べても抜きん出ております。その抜けっぷりが、何とも爽やかなのでございます。

まず
倫理的逸脱という以前に、倫理という概念自体を持ち合わせておりません。
社会的逸脱という以前に、いかなる社会にも属しておりません。
もちろん反社会的行為をしているという自覚もゼロ。
損得にもとづく価値判断すらございません。
これが例えば地球を侵略しに来たエイリアンであるとか、悪の組織のボス、強欲の輩、快楽殺人犯、悪霊、または凶暴な新生物といった一般的ワルモノたちでありますと、何か価値あるものを自分の所有下に置きたいとか、自分の利益を守りたい、また拡大したいとか、快楽を味わいたい、恨みをはらしたい、あるいは単に種として生き残りたいなど、自らに利することを追求して、その過程で秩序の側に立つ主人公と対立するわけでございます。
しかしジョン・コナー殺害という目的のためだけに作られたT-1000には、そもそも獲得したり、守ったり、拡大したりするべき利益というものがございませんし、はらすべき恨みも癒されるべき渇望もございません。殺人を楽しんでいるわけでもありません。生き延びるということすら考えてはおりませんでしょう。T-1000が執拗に甦って来るのは、ジョン殺害という自らに与えられた指令をまだ達成していなという理由ゆえに過ぎないのですから。この点、一般的な悪役像からもなお逸脱していると申せましょう。

えっ。
それなら前作のT-800や『T3』のT-Xや『ロボコップ』のED209も同じだろうって。

ちっちっちっ

T-1000の素晴らしいのは、以上に加えて物理的にも我々の常識から大いに逸脱しているという点でございます。
おお、液体金属!
何度破壊されても再生し、リノリウムの床そのままの平面やスライム状のどろりとした形状から、鋭利な刃物、さらには人体といった複雑な表層を持つものまであらゆる形にあっと言う間に姿を変えることができる(気体や複雑な機械はさすがに無理としても)、まさにありえないような存在。この視覚的インパクトは強烈でございまして、T-800やT-Xのように単に「ものすごく頑丈なボディ」を誇るだけでは太刀打ちできない不気味な迫力がございます。

その物理的特徴ゆえに-----『13金』のようなシリーズものや、不死身の悪者なんぞ珍しくもないホラー映画という特殊ジャンルは別として-----、T-1000はしぶとさにおいても他の追随を許しません。

「しつこさ」ではございません。「しぶとさ」でございます。
『激突!』のタンクローリー運転手や『ゲッタウェイ』のルディをはじめ、しつこい、あるいは執念深い悪役ならば大勢おります。「しつこい」悪役であるためには、主人公たちを終盤まで飽くことなく迫害するだけでことたります。しかし「しぶとい」悪役であるためには、善なる主人公たちから加えられる度重なる激しい攻撃に耐え、時には甚大な損傷や破壊からも復活し、なおかつ彼らに対する迫害をたゆまず続けなければならないのでございます。

いったい1895年に映画というものが誕生して以来、T-1000ほどひとつの作品の中で繰り返し攻撃され、倒され、木っ端みじんにまで破壊された一個のキャラクターというものがあったでしょうか(またもホラーは別として)。
人の上に君臨するあらゆる秩序のうち、生死の秩序ほど絶対的なものはございません。それなのにT-1000をはじめとする「しぶとい」悪役たちは、その絶対性すらも逸脱しようとするではございませんか。
生死の秩序を踏み越えた者によって執拗に追い回されるということの恐怖、そこには敵が単に強大であるとか残酷であるということとは次元が異なる、いとも冷ややかな絶望感がございます。
しかもその絶望感の担い手というのが、見た目はちっとも強そうではない細おもてのあんちゃんであるということのイメージギャップ、かつ、機械のくせに狡猾で、人物のコピーからフレンドリーな振る舞いまで応用の幅がとんでもなく広い殺人マシーンという反則的な性能が相まって、「何だこいつ!!」感に大いに貢献しているのでございます。

そんなわけで
もとより既存の秩序を蹴破ってはばからない悪役たちのアウトローぶりを愛するのろではございますが、わけてもT-1000の突き抜け具合には、いつ見ても格別の清々しさを覚えるのでございました。




ああ貴重な人生の時間と限られた能力を費やして何をやってるんだか。
まあのろの人生ごとき別に貴重でもないか。もう疲れちったし。

『カンディンスキーと青騎士』

2011-06-02 | 展覧会
ほんと言うと、もうワタクシどもみんな駄目なんじゃないかしらと思ったりしているわけですが。

福島のメルトダウンが地下水に到達すれば、チェルノブイリより深刻: マスコミに載らない海外記事

筆舌に尽くしがたい体験をした、そして今もしている人々がすぐ近くにいて、恐ろしいことがここやあそこで今も進行中であるのを横目にのうのうと「日常」を送るワタクシのような者どもを、後世の歴史家たちは何と呼ぶのかしらん。哲学者たちは何と定義するのかしらん。文学者ならカミュの『ペスト』のような作品を記して、物語の背景をなす愚かな凡人たちとして描くのかしらん。それもこれも後世なるものがあればの話ですけれども。



さておき

カンディンスキーと青騎士展へ行ってまいりました。

兵庫県立美術館-「芸術の館」レンバッハハウス美術館所蔵 カンディンスキーと青騎士

カンディンスキーがカンディンスキーになるまでの足跡。
ワタクシの知る限りでは、彼の初期の作品をこれだけ集めた展覧会は、2002年に開催されたカンディンスキー展以来でございます。序盤に展示されている小さく写実的な風景画の数々や、ロシア的なモチーフを描いた作品などはカンディンスキーの名からはにわかに想像できないもので、こうしたものをまとめて見られる機会はなかなかないのではないかと。いずれもごくおとなしい印象の作品群ではありますが、これはこれでいいものでございます。


絵を描くガブリエーレ・ミュンター 1903 

またミュンヘン近郊の町ムルナウに滞在して、画家仲間たちと共に過ごしながら製作を始めた1908年以降は、同じ風景画でも現実にはありえない鮮烈な色彩が画面を覆うようになり、より鮮やかで自由な色彩によって抽象絵画誕生の土台が着々と築かれていることが見て取れます。いよいよ「抽象画家の祖カンディンスキー」になりつつあるという感じがするではございませんか。


ムルナウ ― グリュン小路 1909

抽象絵画が生まれそうで生まれない、そんなぎりぎりの所にある風景画の数々は、踏み越えようとしては逃げて行くその境界線と、それを追いかける画家との攻防の記録でございます。カンディンスキーが仲間と共に新たな表現を模索したムルナウ、その製作の場に満ちていた緊張感と実験精神は、今も絵の中に息づいているようでございます。

ひとりカンディンスキーのみならず彼の周辺に集まった画家仲間たちもまた、フォルムの単純化や自由な色彩によって、とりわけ印象派が追求した「自然の模写」としての絵画からの脱却を指向していたことは、その作品や言葉から伺われます。抽象絵画という美術史上の一大事件が、ひとりの天才からポンと生み出されたものではなかったこと、新しい絵画表現を志す画家たちが互いに刺激を与え合う中で、具象と抽象の間にある決定的な境界線を踏み越えたのがカンディンスキーであったのだということがしみじみ分かる展示でございました。

展示室の一番最後に掲げられているのは大作「コンポジションVII」のための習作。



習作といっても100×140cmという大きさの堂々とした作品でございます。田舎の風景を描いていた頃から思えば遠くへ来たもんだ、と心中つぶやきかけましたが、解説パネルを見ると製作は1913年つまり、具象と抽象の境界線を追いかけていた頃からたった5年しか経っていないことに気付いて驚きました。
短期間のうちにここまで来ることができたのも、自由な色彩とフォルムの追求という「青騎士」の理念に共鳴し、志を同じくする盟友たちがいたからこそでございましょう。

そんなカンディンスキーの盟友のひとりが36歳の若さで亡くなったフランツ・マルクでございます。


虎 1912

人間が失った純粋さを体現するものとして、動物をこよなく愛したマルク。自宅には鹿を飼い、動物園で一日中スケッチにいそしむことも稀ではなかったという彼が「動物を描く」という行為に込めた真摯な感情と理知的なアプローチには、キュビズムやフォーヴィズムといった”◯◯イズム”に収まらない独自性がございます。
モチーフが虎にせよ、鹿にせよ、牛にせよ、彼らの形態や動きを注意深く把握するそのまなざしは親密であり、その動物が担うイメージをも考慮した形態の単純化は対象への敬意に満ちております。一方、画面を縦横に走る豊かな色彩は独自の色彩理論にもとづくものであり、「青騎士」の理論的な側面を伺わせるものでもあります。この人がもっと長生きしていたら、あるいは友人のクレーやカンディンスキーと一緒にバウハウスで教鞭をとっていたかもしれません。また画家としてもどんな所まで到達していたであろうかと、ないものねだりなことを考えずにはいられません。
まったくの所、第一次世界大戦が美術界に与えた負のインパクトのうち最も大きなもののひとつが、画家として活動を始めてからわずか10年のマルクを、はかなくもヴェルダンの戦場で失ったことであろうとワタクシ思っております次第。

いまになって、僕は死を、にがい、愁いにみちた気持ちで眺めています。でも、それは決して死に対する不安からではありません。なぜって、死の憩い以上に人の心をやわらげてくれるものはないのですから......。僕が死をにがにがしく思うのは、未完成の作品を残してきたという痛恨の情からです。作品を完成させること-----これこそ僕が全存在をかけた生の意味だったのに......。僕の生きようとする意志は、まだ描かれていないタブローのなかにひそんでいるはずです。
死の3週間前に書かれたマルクから母への手紙(『夜の画家たち』坂崎乙郎 平凡社 2000)

マルクやアウグスト・マッケが戦死し、他のメンバーも戦火を被って散りぢりになって行ったことから「青騎士」の活動は短期間で終焉を迎えたわけですが、その短くも鮮烈な活動は美術史上に力強い足跡を残し、本展に見られる多彩な作品に結実しているのでございました。