のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

エド・ハリス同好会惨殺事件

2017-03-13 | 映画
「エド・ハリス同好会のメンバーたちと一緒に山遊びに出かける途中で公共施設に立ち寄ったら、2日前からそこのトイレに潜んでいた『スーサイド・スクワッド』のジョーカーさんに全員惨殺される」という映画を、自分が惨殺されたまさにその施設で見ている、というのろ史上最強クラスにわけのわからない夢を見ましたので、ここにご報告いたします。

ちなみにその1
施設で休憩している時「エド・ハリス出演作で最高賞と最低賞を決めようぜ」という話になり、最高賞は意外にも『ポロック』になりました。最低賞の方は「色々あり過ぎて決めらんねえよな」という結論にあっさり落ち着きました。ワタクシとしてはここで「『チャイナ・ムーン』も今ひとつだったよね〜」と切り出して、ついでにチャールズ・ダンスの名前をみんなに覚えてもらおうと思ったのですが、速やかに決まりすぎて果たせませんでした。

ちなみにその2
ワタクシはエド・ハリス同好会の会員ではございませんし、そういう会が実際にあるのかどうかも存じません。

ちなみにその3
『スーサイド・スクワッド』は観ておりません。しかし(あるいは、だからこそ)ジョーカーさんはめちゃめちゃ怖かったです。必死で逃げているのに、木立の間からあの緑色がチラッとね…


最近眠りが浅いせいか、よく夢を見ます。
先日はロン・パールマンが出て来てくれました。
何をしに来てくれたかのは残念ながら覚えておりません。
どうせならライトセーバーぶんぶん振り回してるとか、ドラゴンの背に乗って空を駆け巡るとか、間一髪のところでバスター・キートンに助けてもらうとか、そういうのが見たいんですが。
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ツラ報告

2017-01-15 | Weblog
熱と頭痛で動けず、咳もできない衰弱ぶりで、振り返ってみればインフルエンザだったような気がします。
食べられないわ動けないわで、ジーンズの上から掴んでも両手の輪の中に納まるくらい腿が痩せてしまいました。
また、好きなこととはいえあまりといえばあまりな激安案件に今後半年ほど関わるというか没入することになり、ちょっと色々ツライです。
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ミュージカル『わたしは真悟』

2016-12-25 | Weblog
ミュージカル『わたしは真悟』を観て参りました。

ミュージカル「わたしは真悟」公式サイト

美術も振り付けも音楽も何もかも結構でしたが、何より素晴らしかったのは「真悟」その人です。
時には重さを持たないように軽やかに、時には壊れた機械のように痙攣的にと、流麗で力強く、自由自在に展開される迫力の身体表現、目が釘付けになりました。
そして、あの声。
万感の思いを込めて「母」であるまりんに呼びかけ、自分の存在の全てをかけて「父」であるさとるに呼びかける、あの痛切な叫び声を思い出すだけでも涙が出てきます。
自我を宿した機械である「真悟」の精神は、原作の漫画の中では一貫して幼児の姿で描写されておりました。これをいったい演劇でどうやって表現するのかと期待半分不安半分で鑑賞に臨んだわけですが、蓋を開けてみればいくら拍手を送っても足りないぐらい素晴らしい真悟像でした。精神としての真悟を演じる成河氏、そして機械としての真悟を操る/演じる方々が、その全身で表現する無邪気さ、一途さ、そして残酷さ。原作からかなりのプロットが削られているにも関わらず、原作のそれにも迫るほどに切実で真摯な真悟の「在りよう」は、ストーリーの中に自然に流れ込む歌の旋律よりも、映像を巧みに使った舞台装置よりも美しいものに思われました。

筋の省略や表現媒体の違いを克服するためでありましょう、原作とは少し異なる、舞台オリジナルの場面もいくつかありました。例えば真悟が埠頭でしずかの名前を呼んだり、さとるが電気店のPCで思いがけなく真悟にアクセスするなど。その中で最も印象深かったのは、最後の最後の終幕シーン、即ち、真悟が「終わる」その瞬間に、子供のままので遊ぶ父と母=さとるとまりんの永遠の姿を見るという胸に迫る場面への、真悟自身の参加です。原作では楽しそうにこちらに走って来るさとるとまりんの姿が描かれ、次の瞬間に真悟はこと切れるのに対し、舞台ではさとるとまりんが天空から降ろされたような長いブランコに座って互い違いに漕いでいる所へ真悟(の精神)がやって来て、二人の背中を押して同じタイミングで漕げるようにしてあげるという演出がなされておりました。
さとるとまりんの子供時代は、現実の時間的流れの中では二人の成長に伴って「終わる」一方で、決して汚されることなくきらめく存在として永遠の中に留まっております。それと同じように、彼らの「子供」である真悟もまた「終わる/死ぬ」のと同時に永遠の世界(=子供としてのさとるとまりんのいる世界)へと旅立って行ったのでしょう。そのことが詩的に、かつより明確に描かれた、切なくも優しい演出でありました。

少しだけ欲を言うなら、真悟がかつては万能であった自身のエネルギーと能力、そして記憶までも犠牲にしながらさとるの元へと辿りつくくだりを、もう少し時間をかけて描いて欲しかったとは思います。それから「そしてアイだけが残った」の一文も、できれば聞くなり見るなりしたかった。

真悟以外のキャストについても少し。
さとる役の門脇麦さん、所作や台詞回しが実に自然で説得力があり、本当に10歳ぐらいの男の子が舞台に立っているように見えました。
しずか役の大原櫻子さん、原作の登場人物では最年少なのに時々大人びたことを言う、かつ中盤までかなりのウザキャラであるしずかは難しい役どころではないかと想像しますが、チャーミングに演じておられました。情感のこもった歌もお見事。


さて本作はミュージカルであって、印象的な歌も色々とあったわけですけれども、NHK-FMのラジオドラマで初めてこの作品に親しんだワタクシとしては『わたしは真悟』といえば何をおいてもこの曲なのです。最初の「ジャ〜ン」だけでもうグッと来ますね。

佐野元春 『レインボー・イン・マイ・ソウル(ライブ 1993)』
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長野行その4(川本喜八郎人形美術館)

2016-10-01 | 展覧会
うわあああイザベルううう

それはさておき
長野行その3の続きでございます。今回で終わり。


年に何度か展示替えを行う川本喜八郎人形美術館、今回の展示テーマは「黄巾の乱〜三顧の礼」ということで、『人形劇三国志』の冒頭から半ばまでに登場した人形たちが主に展示されておりました。実際に人形を目の前にしてみますと、十常侍や張角兄弟といったほんの少ししか出番のない人形たちまで非常に「丁寧に」作られていることに、改めて感嘆いたしました。丁寧に、といいますのは、いかにもその役柄にふさわしい表情やいでたち──衣装の色合いはもちろん、素材まで含めて──が与えられているということでございます。

展示室の中央には、ホールのミニチュア人形よろしく、三顧の礼の一場面が再現されておりました。三度目の訪問でやっと捉まった孔明先生、しかしお昼寝中の所を起こしてはいかん、と黙って目覚めを待つ劉備、それを見て呆れる関羽&張飛、というアレ。
思わず笑ってしまったのは、大人しく待っている劉備(何故か髭がない青年Ver)の後ろで、草廬に火をつけて叩き起こしてやると騒ぐ張飛の腰帯を関羽が冷静に掴んで引きとめているポーズ。アホ犬と飼い主の趣きでございます。



その向いでは左側に劉備ファミリーと五虎将そろい踏み(&なぜかここにくい込んでいるお使い男・孫乾)、右側に曹操、董卓、袁紹といった主君クラスがずらずら居並ぶ贅沢展示。展示ケースの向かって左端に関羽、右端に曹操という配置なのですが、これって…



やっぱり「あんなにちやほやしたのに結局振り向いてくれなかった関羽を未練がましく見ている曹操とそれを飽くまでも無視する関羽の図」という解釈でよろしいでしょうか。

袁術は手に玉璽を持っているのですが、底がちゃんと赤く汚れているという芸の細かさ。まあそれ以上に、ワガママぼんぼんがそのまま大きくなりました感が漂う袁術の「ダメなおっさん顔」が実に見事で、まじまじと見入ってしまいました。
近くでよく見て気付いたことといえば、衣装のくたびれ具合もございます。特に趙雲は、鎧の胸元を締めている紐の端がかなりボサボサになっていたり、衣装の所々にほつれが見えるなど、劣化が目立ちました。思えば趙雲は早い段階で登場して最終盤まで活躍する一方、時々は鎧を脱ぐ関羽や張飛と違って完全に着たきり雀でしたから、衣装の傷みが激しいのも無理はありません。

その奥の呉コーナーには太子慈や甘寧といったTVには出て来なかった面々も並んでおりました。太子慈は早死にしましたし、孫策との絡みで若武者のイメージがあったのですが、人形の顔はわりとおっさんでした。甘寧は吊り上がったまなじりに張り出した頬骨、曹操顔負けの三白眼で、水賊上がりらしい不敵な面構え。
ここで周瑜や魯粛殿に会えなかったのは残念でしたが、孫父子3人が一緒に並んでいるという珍しい光景を見られました。セルリアンブルーで所々彩られた孫策兄ちゃんの衣装の何と爽やかなこと!とっても顔色悪いけど!TVで見ていた時は何とも思いませんでしたが、比べて見ると孫権はもちろん、病弱貴公子の劉琦よりも顔が白い。おまけに髪や眉毛の色も薄い。衣装の色合いと相まって、はかない印象すら与える人形でございました。かたわらの孫権が100まで生きそうなギラつき加減なので、いっそう。

そして、そして、そう、そして、展示室の一番奥には、いらっしゃいましたとも、黒装束の孔明先生が。
このひとに会いにワタクシは来たのです。

『人形劇三国志』の諸葛孔明といえば、黒い長衣の下に、黄土色の襟のついたライトブルーの衣を着てらしたはずですが、青い部分はかなり色あせており、ほとんど白に見えました。思えばちびっこのろが毎週土曜日夕方に、ブラウン管の向こうでのご活躍を見ていたころから、30年以上も経ったのです。対面したらそれなりに感慨があるだろうとは予期しておりましたけれども、実際にあの羽扇を胸元に構えたポーズの孔明人形を目の前にし、またとりわけ熱い思いの感じられる解説パネルの文を読みましたら、我知らず涙が出て来てしまいました。

『人形劇三国志』の孔明人形は衣装も冠も黒を基調とし、配色の点で他の人形とは一線を画しております。長衣の上から腰帯を締めないストンとしたシルエットも、主要キャラクターの中では孔明と龐統のみ。最初の登場シーンでは晴耕雨読の書生らしい地味な布衣をまとってらっした孔明先生が三顧の礼を経て出廬を決め、この黒い衣装で現れた時、子供心に感じたものです。「ああ、今、主役が替わったのだ。げんとくさんから、この人に」と。
諸葛孔明といえば道士のような白衣姿というのがオーソドックスないでたちでございますが、ワタクシにとって諸葛孔明という人物/キャラクターとの出会いであった人形劇のインパクトはとにかく大きかったのであり、今でも小説などで孔明先生登場シーンを読むと、頭の中に浮ぶのはこの人形劇の姿と立ち居振る舞いであり、声はもちろん森本レオでございます。

人形の顔を見ていると、劇中の色々な表情が思い出されます。眉毛の動く張飛や瞳が左右に動く曹操などとは違って、孔明人形は物理的には無表情ながら、見事な人形操作と声の演技のおかげで、それは様々な表情を見せてくれたものです。もちろんこれは他の人形にも言えることですけれども、孔明人形はもともとの静かな面持ちのためか、ふとした「表情」の変化も胸に迫るものがあったのです。
自らの読みの甘さを恥じて目を伏せ、張飛との和解を喜び微笑みかけ、降服論を唱える呉の群臣をはったとねめつける。天を仰いで呵々大笑したこともありましたっけ。
数々の名場面を思い出しながら対面しておりますと、今にも人形が動き出しそうな気がして来るのでございました。TVの中でよく見慣れた、あの身振りで。

閉館間際になって外へ出ればそろそろ街灯が灯ろうという黄昏時。美術館向かいのスーパーで夕食を買い、歩いて「ホテルオオハシ」に向かいます。素泊まりor朝食付きで6500円という普通の(のろ規準では少しお高めの)ビジネスホテルなんでございますが、ここは朝ご飯がとっても美味しかった。普段は納豆ご飯と汁物一椀だけで済ますのろさんも、小松菜の胡麻和え、茄子とピーマンと玉ねぎの味噌炒め、焼き鯖にきんぴらごぼうと色々いただいてしまいました。

チェックアウトをしてからも8時過ぎの電車まで時間があるので、周辺をぶらぶらしながら駅へと向かいます。

駅周辺とそれ意外の所ではかなりの高低差がある模様。



消防署の横になぜかSLが。



地図で「並木通り」という名前を見た時はケヤキでも植えられているのだろうと思いましたが、さすが長野といいましょうか、リンゴ並木でございました。町なかにリンゴの実がなっているという風景が新鮮でございます。



飯田市は「人形の街」ということで売り出しているらしく、駅の案内板の上にピノキオめいた可愛いのが座っておりました。バス乗り場の上にも。



このあと電車に揺られること3時間弱。線路沿いで早くも穂を延ばしているススキや、ホームの端で慎ましやかに咲いている月見草、山並みの上のまぶしい雲、みんなして向こうを向いているひまわり、白い丸石のごろごろしている河原と水遊びの子供たち、木々の合間にふと現れる雑草の箱庭、低い家々の間にそびえ立つイオン、実り始めた水田、そして遥かに山を越えて行く送電線の鉄塔などを窓外に眺めているうちに、諏訪湖にほど近い岡谷に到着。
岡谷では武井武雄のイルフ童画館を訪ね、ついでに下諏訪まで足を伸ばして諏訪市美術館で詩情あふれる小杉小次郎─窓辺物語を、北澤美術館でパート・ド・ヴェール -秘められたるガラス技法-を鑑賞し、さらについでに湖上花火大会の屋台で中華杏仁ソフトとじゃがバター(バターつけ放題)と焼餅(シャーペイ)を買い食いなぞしてから岡谷駅に戻り、駅の連絡通路から遠くの花火をちょっとだけ眺めてから予約した宿のある宮木へ。20時前にまさかの無人駅に降り立ち、真っ暗闇の中を15分程とぼとぼ歩いて天竜川沿いのビジネスホテルへたどり着き、ホタルの絵があしらわれている浴衣(正直ちょっと別の黒い虫を連想させる意匠)をはおって眠りについたわけでございます。

いいかげんこの記事も長くなりましたので、もはや詳しいレポートはいたしませんが、北澤美術館に作品が展示されていたルイ・ダームズというガラス作家がめっけものでございました。優しく品が良い色合いに親しみ易いデザイン、作品は全て小ぶりで両手にすっぽりと納まるくらい。持って帰りたくなってしまいます。解説パネルによると、非常に薄くてもろい作品が多いので、現存しているものは多くはないのだとか。

そんなこんなで長野行。翌日、塩尻→中津川→名古屋経由で帰って来ました。天気がよかったので中津川で途中下車し、木曽川を渡って「天空の城」苗木城跡まで行ってみました。写真を色々撮りましたけれども、この旅行レポもいいかげん間延びしてしまいましたので今回は割愛いたします。最後に、自分用のお土産をひとつ御紹介。



多分、虎。
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とどこおり中。

2016-09-28 | Weblog
さくさく投稿して旅行記をいいかげん終わらせたいのですが、この所Macさんの具合がたいへん悪くて。
5年目だし、冬は激寒・夏は極暑の劣悪環境だし、寿命かしらん
何もかもままなりません。
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長野行その3(川本喜八郎人形美術館)

2016-09-17 | 展覧会
長野行その2の続きでございます。


ホールのミニチュア人形たちを満喫し、満を持していよいよ展示室へ。
人形たちを太陽光や外気から守るため、展示室入口には窓のない自動ドアが設けられており、通路からは中の様子が窺い知れません。
憧れの大スターに会いに行くような心地で、いささか緊張しながらほの暗い展示室に足を踏み入れますと...
いきなり呂布&貂蝉!
ダウンライトを浴びて暗闇の中に寄り添い立つ呂布&貂蝉!
やっほう!

というわけで以下、怒濤の呂布語り。

さてひと口に三国志演義ファンといいましても、登場人物の好みはまちまちでございましょう。ヒーローすぎる劉備・孔明は嫌いだという人もあれば、義人とはいえ傲慢な振る舞いもある関羽はいけ好かないという人もおりましょう。悪役の曹操が嫌いだという人や、張飛は粗暴すぎて嫌だという人もおりましょう。しかし「演義」ファンの中で、呂布が積極的に嫌いだという人はいないのではないだろうかと、ワタクシ何となく信じております。何故ならば「演義」の呂布は、全話を通じて最強と言ってもいい程の武勇を誇るとんでもなく勇猛な武将である一方、あらゆる人間的な誘惑に屈するとんでもないバカでもあり、要するに憎めない奴だからでございます。

うちの呂布。(海洋堂出身、身長6cm)

装束の色合いは実物と若干違いますが、とてもよくできております。

バカ、といっても頭が悪いということではございません。天下無双の名馬に釣られて義父(兼主君)を裏切り、傾国の美女に釣られて次の義父(兼主君)も裏切り、目の前の城に釣られて協力者を裏切り、かと思えば口のうまい輩には簡単に丸め込まれ、妻に泣きつかれれば軍師の献策を踏み倒し、進退窮まっては酒に溺れ、ついには部下に裏切られ、捕らえられた後も潔く死ぬでもなく、最後の最後までじたばたしたあげくに処刑される、とまあ人間的弱さの見本市のようなキャラクターであり、行動がいかにも大人げないという意味での「バカ」でございます。しかもこれだけトラブルの種をまき散らしながら「俺は争いごとが嫌いな性分なのだ」と自分が裏切った当の劉備に向かって言い放つ無神経さ。

とはいえ呂布には、金銭にがめついだの地位にしがみつくだのといったいやらしさは見られません。また何かをいつまでも根に持つといったな底意地の悪さや、先々のためにこっそり根回しをする、表と裏の顔を使い分けるといった陰湿な側面もございません。ひたすら目の前の「いいもの」に釣られてあちらにぶつかり、こちらによろけ、その過程であらゆる信頼関係を破壊しながら突き進む様は、むしろ妙に子供っぽさすら帯びております。また一騎当千の猛者であり「人中の呂布、馬中の赤兎」ともてはやされながらも、短絡的な選択を重ねて自ら滅んで行くその姿には、一抹の悲哀が漂います。

単純脳筋野郎と見られがちなキャラクターではありますが、実際はそんな爽やかなものではありませんし(笑)、爽やかではない所が呂布の魅力の一つであろうとワタクシは思います。直情型でも張飛のような愛嬌はなく、勇猛でも許褚のように素朴ではなく、千人並みの武勇を誇りながら精神的にはひどく脆弱で、猛々しさと子供っぽさと悲劇性を併せ持つ英雄。こうした複雑な魅力が、川本人形の呂布には見事に表現されております。緑と赤を基調にしたいとも華やかな衣装も、天下の名馬・赤兎にうちまたがり無人の野を行くがごとく戦場を駈けめぐる猛将のイメージにぴったりです。声を担当した森本レオの演義も素晴らしかった。

ところでTV画面で見た時、呂布は他の人形たちと比べて大きく見えたものでございます。しかし実際に貂蝉と寄り添って立っているのを見ますと、少し背が高いくらいで、それほど甚だしい違いはございません。おそらく他の武人系人形と同じ程度の大きさかと。おそらく両肘を張ってのしのし歩く歩き方や、横目で睨みつけながら顎を反らすゼスチャーなどの傲然とした身振りが、実際よりも人形を大きく見せていたのであり、人形遣さんの巧みさの現れという所でございましょう。

そうそう、人形の動かし方なんですけれども。
展示室内に衣装を着ていない状態の人形が置いてありまして、何とこれを、来館者が手に取って動かしてみることができるんですぜ。持ってみて驚いたことには、人形の腕を動かすための棒が意外に重い。ピアノ線製なのだそうです。人形遣いさんは片手で人形の支柱を持って首の角度を変えるレバーを操りつつ、もう片方の手で支柱を支えながら人形の手首に接続している2本の棒を動かさなくてはなりません。これがまあ、やってみると実に大変で、人形の腕がすぐ変な方向へよれてしまいます。


実際の棒はもっと長かったです。

展示室に出されていたのは一番簡単なつくりの、首と腕が動くだけの人形でしたので、目を動かす時はどうするのかとスタッフのかたに尋ねた所、さっそく奥から目用と口用とレバーがついた人形を出して来て実演してくださいました。他にも衣装は人形の体に縫い付けてあるとか、三国志人形の中で一番の衣装持ちは劉備である(17着もあるんですって!)とか、色々と教えて頂きました。


需要の有無に関わらず次回に続きます。
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長野行その2(川本喜八郎人形美術館)

2016-09-09 | 展覧会
9/5の続きでございます。


長年の念願かなってやって来ました川本喜八郎人形美術館。入ってすぐのロビーには、名文として名高い「出師の表」を背にして、サイズの大きめな孔明人形が佇んでらっしゃいます。ワタクシとしてはどうしても、劇中で使われていた、頭部が大きめに作られた人形のイメージがあるものですから、この7頭身の孔明人形にはとりわけ感慨は抱きませんでした。そう、ワタクシはちょっとよそよそしい「この」孔明人形ではなく、水色の衣に黒い背子をはおり、いつも心持ちうつむき加減で、水が流れるようにさらさらと歩を進める「あの」孔明人形に合いに来たのですから。とはいえ衣の陰影が実に美しいので横からもパチリと。展示室内は撮影禁止ですが、ここは自由に写真を撮ることができます。


ロビーの片隅、展示室へと向かう階段のふもとに、美術館スタッフが作ったというミニチュア人形たちが並んでおりました。こちらは期間限定の企画のようです。

ウェルカム人形展とすてきな世界の人形劇ポスター展 2 | 飯田市川本喜八郎人形美術館 | お知らせ

今回の展示テーマ「後漢末〜三顧の礼」に合わせたのでしょうか、三顧の礼の一場面が再現されております。


午睡中の孔明先生、黙って目覚めを待つ劉備、怒る張飛となだめる関羽。隅っこの方についでのように超雲がいるんですが、なぜか槍先に血糊がついてるYO!


(←左)城壁の外には妖しい道士ズ。左の白い方は左慈ですが、右の方は于吉か管輅か、はたまた紫虚上人でしょうか。


ワタクシは人形劇三国志が本当に大好きです。子供の頃は毎週放送を楽しみにしておりましたし、10年ほど後に再放送されたものはことごとくビデオに録画し、好きな話は何度も繰り返し観たものです。しかし、こんなワタクシにしてもどうしても擁護できない点が3つございます。即ち、

1.左慈が出しゃばりすぎる
2.呂蒙の扱いがひどすぎる
3.龐徳の声がせんだみつお

そう、左慈がですね、やたらと出張って来るのですよ。劉備の所にまで現れて幻術で惑わそうとするわ、曹操を催眠術で操ろうとするわ、もうやりたい放題でございます。左慈は他の人形たちと違って眼球が入っておらず、代わりに妖術を使う時に眼が赤く光るなど面白い所もあったのですが、あんまりしつこく出て来て幻術の大盤振る舞いをしやがりますので、しまいには「もういいよ」という気分になってしまいました。これが『水滸伝』だったら別に構わないのですよ、ええ、杖の一振りで狂風が吹きまくろうが、派手に幻術大会やらかそうが。最終的には公孫勝先生が出て来てエイヤッとやっつけてくれますしね。でも、三国志ではちょっとねえ。

(→右)呉コーナーは「碧眼紫髭」の孫権がいるのでそれと判りますが、孫権の横の周瑜以外はちょっと誰が誰やら判りかねます。後列のもみあげ延ばしてるのは闞沢かなあ?

(←左)こちらは魏コーナー。白面に三白眼の曹操が中央におります。向かって左の眼帯姿は夏侯惇に違いありません。右のひねくれた表情をしているのは曹丕でしょうか。

(→右)曹操の後ろにいるのは曹操以上に目つきの悪い司馬懿。

(←左)一番手前には董卓・王允・貂蝉・呂布の「連環の計」カルテットが。この4体、他と比べていやに作りが丁寧な気がします。再現度も素晴らしい。王允の首の突き出しようといったら。

(→右)手前の人たちは誰だかちょっと判りませんが、奥で悲しそうに空箱を抱えているのは荀彧ですね。その横は周瑜に一杯食わされた蒋幹でしょう。顔が実物の人形にそっくりです。
荀彧は正史でも、また正史を下敷きにしたフィクションである『三国志演義』でも、若い頃から曹操に使えた重鎮でございます。しかし人形劇での荀彧は、主君である曹操から空箱を贈られるという嫌がらせを受けて憂悶のあまり自殺するというエピソードのためだけに登場する老臣であり、正直「ポッと出」感が否めません。この人形劇では悪役である曹操陣営の参謀たちはたいがい性格悪そうな顔立ちに造形されておりますので、宦官の横暴に対抗する清流派の名士であり容貌も勝れていたという、要するに気骨ある美男子イメージの漂う荀彧のようなキャラクターは出しづらかったのかもしれません。不品行であったという割には真面目そうなイケメンに造形してもらった郭嘉とも被ってしまいますしね。


長野行レポ、さくさく進めるつもりが案の定川本喜八郎美術館の所でとどこおっておりますが、途中でやめるのも何ですので次回に続きます。
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長野行その1

2016-09-05 | Weblog
今年は1週間連続で休みがありましたので遠出をしようという気にもなり、長野県は飯田市の川本喜八郎人形美術館へ行くことにしました。長いこと行きたい行きたいと思っていた美術館です。

飯田市川本喜八郎人形美術館

鉄道では行きにくい所なので長距離バスを利用しようとしましたが、帰省ラッシュのせいか京都→飯田便はすでに満席となっておりました。そこで青春18きっぷで名古屋まで出て、名古屋→飯田便に乗ることに。バス席の確保もビジネスホテルの予約もネットでさくさく完了。いやはや便利な世の中です。
20年来使っている旅行用のリュックサックを久し振りに引っ張り出し、最近は持っている人をあまり見かけなくなったデジカメのバッテリーをめいっぱい充電し、化膿しているできものの痛み止めに秘蔵のロキソニン5錠を携え、最寄りのJR駅から7:40発の便でのんびりと出かけます。

ラッシュ時ほどではありませんがそこそこの混みようで、大きなスーツケースを携えている人もちらほら。米原で乗り換えてからは座席に座ることができ、10:30に名古屋駅到着。午前中とはいえ太陽はかんかん照りで、京都に勝るとも劣らない暑さでございます。桜通口改札からてくてく歩いて名鉄バスセンターへ行き、中のコンビにで買った鮭おにぎりを頬張りつつ11:00の発車を待ちます。バスの中でご飯を食べるのは嫌ですからね。
バスは定刻通りに無事出発。斜め後ろに座っているおばさまと、そのお隣の席の飯田市出身らしいおばさま、たまたま乗り合わせた他人同士のようですが、早速なごやかに世間話を始められました。しばらくはおばさまがたの会話をBGMに窓外を眺めておりましたが、バスが高速に入ってしまうと両面壁ばかりで面白くありませんので寝てしまいました。

目が覚めると、交通事情で20分ほど遅れているとのアナウンスが。ともあれ、昼過ぎには飯田市に着きました。斜め後ろのおばさまがたは既に10年来の知己のように親しげなご様子。しかし片方が目的地に着いたこととて、親戚一同へのお土産らしい紙袋を手に、爽やかに別れの挨拶を交わして降りてゆかれました。ワタクシも後に続きます。

ほぼ真上から照りつける太陽の下、徒歩で美術館へと向かいます。
マンホールにはリンゴがあしらわれております。


ゆるい坂道を下って、上って、10分ほどで到着。ああ、ここに皆さんいらっしゃるのですね。
川本人形といえば、まず誰をさし置いてもまず孔明先生でございましょう。代表作なだけあって、至る所に顔を出して来館者を迎えてくださっております。


よく見ると他の面々も。上から『平家物語』の清盛、『三国志』の関羽、『花折り』の小坊主、『死者の書』の郎女(いらつめ)。

階段を見れば「川本喜八郎」と「人形美術館」の間には三国志人形のシルエットが描かれております。
しかも一つ一つ違う。

方天画戟を構えているのは呂布ですね(賈華だったらびっくりだ!)。その上の段にいるのは貂蝉。ううむ、実に正しい位置関係です。

階段を上り切ると、おや、奥の方に誰かいらっしゃるようです。


次回に続きます。
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『ゴーストバスターズ』(2016)

2016-08-24 | 映画
あ!チャールズ・ダンスだ!チャールズ・ダンスが出てるじゃないですか!
こういう「私が権威だ君は黙りたまえ」みたいな役、本当に似合うなあ!!
ちなみにチャールズ・ダンスは昔『ゴールデン・チャイルド』という映画で、本作で出て来るライヴ会場のゴーストと似たような姿の悪魔を演じたことがありますね。

↓0:47のやつね。
Ghostbusters Official Trailer #2 (2016) - Kristen Wiig, Melissa McCarthy Movie HD


だからキャスティングされたって訳ではないと思いますけれども。


というわけで
『ゴーストバスターズ』を観てまいりました。長野行レポートは次回からとさせていただきます。

いやいやどうして、面白かったですよ。前半はもたつき感がありましたが、ゴースト退治が始まるとやっぱりワクワクいたします。ガジェットが活躍する終盤のバトルも楽しいし、2丁拳銃ならぬ2丁プロトン・ガンで、襲い来るゴーストたちをバッタバッタと薙ぎ倒すシーンは実に爽っ快でございました。街を破壊する巨大ゴーストや、ジャガイモ似の大喰らいゴースト、そして足を引っ張るだけのバカといったオリジナルから受け継いだ要素も、旧作にくっつき過ぎず離れ過ぎず、上手に料理されてされておりました。旧作といえば、あの人やらこの人やらがカメオ出演しているのは織り込み済みとして、ゴーストバスターズとは多分何の関係もない某大御所ミュージシャンが顔を出しているのは何故なんでしょうか。

さておき。主人公を女性にすることで、この手のエンタメ映画でありがちな男女比と役割、即ち、抜けている所もあるが個性的で有能な男たち&可愛くてセクシーな紅一点、という構図がきれいに逆転しているのも面白い。見た目がいいだけのボンクラ男ケビン(クリス・ヘムズワース)が劇中ではっきり「観賞用」だと明言されているあたり、いっそ清々しい。
字幕が変な女言葉ではないのもよろしうござんしたね。「〜なのよ」とか「〜だわ」とか言いませんでしょう、実際。

とまあここまで誉めて来ましたが、手放しで絶賛できるかというとそうでもなく。細かくギャグを挟みすぎなせいで話の流れが寸断され、所々でテンポが悪くなっている感は否めません。怒りのビンタ一発で悪霊を叩き出すとか、心霊オタクむき出しなノリで現場に乗り込んで行くなど、キャラクターに即したことをしているだけで充分面白いので、続編があれば小ネタを詰め込みすぎずサクサク進む展開にして頂きたいと思った次第。
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お久しう。

2016-08-19 | Weblog
どうも、長らくご無沙汰でございました。

頭のてっぺんから足の裏まで様々な皮膚疾患まみれでそりゃもう死にたさMAXな日々ではあります。
しかし今年は1週間も連続で休みがあったので、怠け心に鞭打って旅行に行って来ました。
写真を色々と撮って来ましたので、次回から写真入りレポをUPして行こうと思います。
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