伊東一派分離にあたり、隊に置いて行かれた伊東一派残党の一部が幕臣取り立て不服で、脱走。
それが信奉する伊東元参謀の迷惑になる、と茨木司と彼らの企てを知りながら止めなかった中村五郎が
各々の責任感から脱走者の後を追って・・・
う~ん・・・ 33巻の概略でも書こうかと思ったが、すでに月刊誌を読んだ時に大体書いているし
なんか面倒・・・ と言う訳で内容は省略。
P22 畳の敷き方 床(床の間)に向かって畳の短辺を刺すような敷き方はあまり見かけないと思う。
P24~32 京都守護職邸に宿泊することになた茨木らが皆、同じ寝巻を着ている。さすが会津藩。
布団も寝巻もある程度用意しているらしい。そう言えば 局長、副長も黒谷での会議が長引いて
宿泊ってこともあったなあ~。
以前、副長・参謀・斉藤組長が江戸へ向かった道中で描かれていた旅籠で、ずっと、自分の
着物をそのまま寝巻として泊っていたようだったのが気になる。
かつて見た時代劇(水戸黄門)は旅籠で風呂上がりに浴衣を着ていたように思うのだが・・・
あれはドラマだから浴衣を着ていたのか? 当時の旅籠では寝巻の用意はなかったのか?
寝巻代を払えば貸してもらえるのか? 素泊まり、食事つき、寝巻つき、とか選べたのかなぁ。
やっぱ気になる~(>_<)
P66・79 <4名の亡骸は夜も明けぬ暗闇の内に屯所へ戻り、 即刻、盛大な葬儀が執り行われた。
そして午前8時には葬儀を経て、墓地へ盛大な葬列が組まれた>
P79の画。棺を担いでいる隊士たちは門へ向かって行列しているようなので、葬儀をして、
墓地へ向かうところ、と推察する。 が、注意書きにはこの時の刻は午前8時と明記している。
午前8時・・・ もうお天道様も昇り、十分明るいと思うが隊士の手には提灯。 背景も日の出前の
うす暗い雰囲気を表しているよう。 高く掲げている提灯は葬儀の用具かもしれないが・・・
最後のコマの画もようやく明け始めた空を描いているような・・・
時刻と描かれているうす暗い画の差。 これはいかに?
①提灯が必要なほどの曇天を表している。
②手提げ提灯も葬儀の用具で局長を始め隊士ら心情をうす暗い画で表している。
③光縁寺に到着し埋葬を終えたのが午前8時という意味で、屯所を出るところを描いている
この画の時刻はまだ日の出前。
④喪の雰囲気を醸し出すための演出。
まっ、どれも外れでしょう(笑) こんな短時間で棺やお坊さんを手配し埋葬まで済ませ
られるとは、やり手ですな 副長。 しかし早朝に叩き起こされたであろう桶屋(棺桶も作って
いるのかどうか知らんが)、坊さんも大変だなあ。
P148 馬鹿か清三郎。 このマンガには時々 『ばか〇〇(〇〇には自分の名前が入る)』という
独白が出てくる。 ばか清三郎 とか セイの馬鹿 とか。 自分はこういう言い方を
したことも思ったことも無いが、他の人は失敗した時や自戒の時にこういうセリフがぱっと
出てくるものなんだろうか・・・。 以前、沖田組長が ばか総司 って独白している場面を
読んだ時は何か鳥肌がたった。 いい年して ばか総司 って・・・ どうなん? (;一_一)
P155 前から思っていたが、敷布団が小さいように感じる。 背が高い、という設定の沖田組長の
身長なら、畳と同じサイズぐらいの敷布団でないと足とははみ出ちゃいそう。 畳の寸法は
長辺が約180センチだからこの画から推測すると敷布団の長さは160センチ程度か?
短いよなぁ・・・ はっ、江戸時代の平均身長って低いらしいから、もしかして沖田組長、実は
160センチに満たないとか? 勝手に175前後ぐらいかと想像していたが周りが皆低身長
だから160程度の布団に収まる身長でも高身長なのか・・・?
P156 あれ、敷布団の柄が元に戻っている! リバーシブル説、玉砕(笑)
沖田組長の咳もだんだん頻繁に出てくるようになってきましたなぁ。
3か月の減ページ掲載に次号休載。 次の34巻が出るのは 8ヶ月後ぐらいかなぁ~
気になる場面で終わらせて、結構じらすねぇ(笑)
追記 1/17
いかん、いかん。 私的だけど面白い点をあげねば・・・
風景・植物、町並み、家屋、調度品・・・ いろいろ丁寧に描かれていて、どれも興味深い。
例えば 御陵衛士屯所 高台寺塔頭月真院。
何気に 画像検索したら、実際の月真院の門(P9)や庫裏(P84)が描かれている。 取材して
ちゃんと描いているんだなぁ~と。 P183の4コマ目。二人の奥に 何やら五重の塔らしきものが
描かれている。 京都の地理に明るくないんで 『京都の五重塔といえば 東寺の五重塔か?』と
思ったが、月真院の南に八坂の塔があるらしい。 たぶんその塔が描かれているんだと思う。
ひとつの画から御陵衛士の屯所の位置に興味を持ち、グルってみる。 勉強になるねぇ。
そして、33巻を改めて読み直して(見直して)気づいたのが、守護職邸に泊ることになった
茨木司と中村五郎が縁側で話している場面の画。P24
中村五郎の背後に描かれている家屋の外壁にある二つの開き扉。それぞれの扉の前には沓脱石
(単なる踏み台代わりの石かも)が置かれているから人が出入りするための扉であろう。 そして、
すぐそばにある手水鉢。 ・・・ ああ、もしかしてあの扉の中は雪隠(トイレ)? 雪隠そのものは
母屋の中に組み込まれているが外から使う様になっているのか!? よく見たら、階下に下駄か
草履が2足ある。 きっとどこかの建物か資料を見て描いているんだと推測するが・・・珍しい。
と思ったら、P51にもっとよくわかる日中の画があった。 母屋ではなく下屋部分が雪隠なんだ・・・。
他にも気になって、本誌の画と見比べると結構手直しが入っているんですね。
例の敷布団は目立つけど、羽織や顔にトーンを貼ったり、無地だった掛け軸に絵や漢詩らしき文字を
加えたり、行燈に影を加えたり、下駄を描き足したり・・・
と、言った具合に私的にはストーリーはもちろん、背景をじっくり見るのも、また愉し。
だから 風光る は面白いんだよね。 ← とりあえず強調しておく XD