野球とゴルフ!

2017-11-07 20:00:00 | スポーツ

米国のMLBワールドシリーズ、日本シリ-ズは何れも決着がついた。
高校野球、大学野球も明治神宮大会で、2017年の総仕舞いとなる。

私も若いころは下手な草野球を楽しんだ。富士紡績 本社の野球部時代は 投手を務めさせ
られた。

当時の土曜日は、週休2日制ではなく半ドンの時代だった。
土曜日の午後 準々決勝戦。日曜日は午前10時ごろから準決勝戦。午後、決勝戦の連投が
当たり前だった。
若かったのだろう・・・土・日の三連投など苦にならずケロリとしていた。

思い出の試合はあった。
全国繊維産業野球・トーナメント大会が東京で開催され、各地区で優勝の強豪が参集した。
関東地方は我が 冨士紡績 が代表であり、ブロックを勝ち抜いて大会の決勝に進出した。
対戦する相手ブロックを勝ち進まれ決勝に臨まれたのは、北陸代表 EBIHARA商事
さんと記憶している。

あの有名なプロ野球オーナーとしてご存知の、田村 駒治郎氏が経営の商社であると伺った。
戦後の混乱でプロ球界も軌道に乗らずの条件下にあったのでしょう。
復員兵の元選手を社員待遇で待機させておられたのでしょうか、強いチームでした。

投手は、江田 貢一選手。私より5才程の年長の復員兵さんだった。
打てなかった・・・確か3対1で敗れ、富士紡は準優勝だったと記憶している。
江田投手はシーズン半ば、確か繊維産業大会で優勝した直後 セ・リーグ松竹ロビンズに入団
翌年には23勝を挙げたと記憶している。
惜しむらくはコーチになられた後54歳の若さで死去なされた。

大戦敗戦後混乱のの東京は、徐々に復興は始まったが、テレビは未だなく、娯楽で盛んと
言えば、ダンスホールの人気が一番だったかなぁ。
映画館や喫茶店も 同伴席 とか ロマンスシート などで人気があった。

野球の後の私は、27歳の誕生月に友人に誘われゴルフに行った。
100近く叩いたはずだ。 頭に血が上り火がつき練習の日々が続いた。

昭和31年10月、職・住中間の「六郷ゴルフ倶楽部」の正会員になった。
3か月間会員同伴のプレーでサインを頂き、12月に委員会からハンディ18の通知を得た。
早速翌年1月の月例「新年杯」5月 月例「皐月杯」11月月例「菊花杯」に優勝を重ねて
オフィシャル ハンディキャップ「11」になった。

野球では「死球」を喰らい、走者にはスライディングで「脛」を狙われ何本ものミミズっ腫れ
の痛さがあった。考えてみたら「安泰」のスポーツ・・・何やらホーッ。


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