日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№100『女性自身』〈次の政権を取ってほしい党 3位 立憲民主、2位 維新を抑えた衝撃の圧倒的1位は? 12/3(日) 6:01配信〉の記事から、私の語る「システム」論から、改めて覇権システム、

2023-12-03 | 日記
№100『女性自身』〈次の政権を取ってほしい党 3位 立憲民主、2位 維新を抑えた衝撃の圧倒的1位は? 12/3(日) 6:01配信〉の記事から、私の語る「システム」論から、改めて覇権システム、「システム」における「親分ー子分」関係の下で、「政治」に対する「8割のこちら側の国民」の腐敗と堕落、そして緊張感なき怠惰な接し方を考えるとき(続)




(最初に一言)


 いい記事だ。活字がまだ見えていた頃は、必ずこの週刊誌にも目を通していた。今回のネット配信の記事には、さすがに二の句が継げなかった。「参りました」と言うしかない。これが「民意」であり、私自身も、「やっぱりなあ」というところ。
(*なお、是非ともこの記事には目を通してほしい。)


 自民党が第一位ということだ。それは仕方あるまい。そのWEBでのアンケート調査の結果には、私たち「8割のこちら側の国民」の声も反映されているに違いない。「2割のあちら側の国民」の声だけではあるまい。おそらく、私の記事の読者であっても、否、読者ならばなおのこと、そう思うのではないだろうか。


 それゆえ、〈覇権システム、「システム」における「親分ー子分」関係の下で、「政治」に対する「8割のこちら側の国民」の腐敗と堕落、そして緊張感なき怠惰な接し方を〉批判・非難するだけでは済まされない。そこには、当然ながら、私たちが覇権システム、「システム」の下で生きているという愚かしさを自覚する市内に関わらず、とにもかくにも従わざるを得ない厳しい現実が存在していると見た方がいい。こうした観点から、私はこのブログで記事を書いてきたのだから。、




 そんな私だが、ここ数回の記事では前明石市長の泉房穂氏の提言に触発される形で、政権交代に向けてあれこれと無い知恵を絞り出しながら、私の中のどこか奥深いところで眠っていた「夢」というか「希望」を、吐き出していた。私自身が、私の語る「システム」論において、そんな夢とか希望の実現性を、これでもかとあざ笑うかのような内容の記事を書き続けてきたくせに、である。勿論、私の中では、その逆で、どうすればその実現に少しでも近づけるかの思いからであったのだが。


 兎に角、現実は相当に厳しいのは明らかだろう。それはイスラエルによるハマス攻撃を介したパレスチナ住民に対する徹底した暴力行使を、いま目の当たりにしながら、私たち自身の日常の現実を思い知らされるからだ。私たちの身の回りのセカイでも、そうした強者から行使される不当な暴力に対して、弱者の連帯もままならず、さりとて私たちよりも少しは強いと思われる者たちが助けてくれる可能性もないという日々の残酷な生活を踏まえるとき、以下のような「力」(暴力)に対する向き合い方が身についてくる。


 すなわち、「もうこれでいいのではないか」「何をしてもすべては同じ、変わらないのだから」の繰り返しの中で、何もしないでその場を何とかやり過ごすことを選択する。たとえ、その選択が、さらに我が身の不幸に追い打ちをかけるとしても、そうするのだ。勿論、それを誰も責めることなどできやしない。そんなことをすれば、まさに天に唾する行為となるから。それは、そうなのだが、そうした生きるための姿勢・態度から、私たちの生きている空間において何かが腐ってくるような、堕落したような、緊張感のない怠惰な姿勢なり態度が醸成されてくるのかもしれない。


 誤解のないように。この生き方は、私自身のことだ。それゆえ、誰よりも私自身がよくわかっているのだ。だが、そんな生き方をしていたとしても、突如として夢や希望を見ることはあるだろうし、これまでとは異なる私自身を、たとえうたかたの夢に終わったとしても、それはそれで何も恥ずかしいことではあるまい。むしろ、こんな私だからこそ、夢や希望を心の中に抱くことは、生きる糧となり、私を勇気づけてくれるのだ。




(最後に一言)


 改めて言うことではないのだが、私のような人さまから見れば、なんと恵まれた人生をと勘違いされているような者でも、現実の厳しさに何度も打ちのめされてきたことか。そのたびに、誰かを妬み、羨みもした。そして上を見ればきりがない、と自分に言い聞かせて、私なりに努力をしてきたつもりだ。それでも、私の中ではなんともやり切れない、思いが怒りとなって、どうしようもなくなることもある。


 そんなことの繰り返しの人生ではあるが、それでもやはり「いつでも夢を」の心を持つのは大切ではあるまいか。今回の『女性自身』の記事に接して、我に返ってしまった感のある私は、またまた落ち込んでしまったのだが、それでも夢や希望を語ることを忘れてはいけないのだ。それを、ここ最近の私は再確認している次第。 


(付記)


 兎に角、今は泉房穂氏の提言に沿った形での政権交代実現を、である。



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